過去も想い出も一緒に食っちまおうぜ過去も想い出も一緒に食っちまおうぜ
過去も想い出も一緒に食っちまおうぜ
「さざなみ、この赤いひとよく見るのですけどクリスマスと何か関係あるんですか」
これを言われたとき、オレは古典的にずっこけそうになった。
季節はすっかり冬で、気温は一桁台が日常化していき、吐いた息がすっかり白くなった12月。
リハビリがてら散歩というか。気取った、少しの期待を込めた言い方を許してもらえるのなら、デートしていたときのことだった。
デート。
その言い回しはどこかオレの心を高揚させる。どこか色めいたものになっていくせいで照れくさい。
街中はいつのまにか赤や白、または緑に彩られ、あたりには軽快なクリスマスソングのイントロが流れている。夢みたいに平和そのものの世界だった。
平和すぎて、平和ボケしても仕方がないんじゃないかというほどに穏やかな時間。
そんななか、デフォルメされたサンタクロースを指しながら要は不思議そうな顔をしていた。
「嘘だろ……」
「今すごく失礼なこと考えましたね。さざなみの考えることくらいぼくにはお見通しなのですよ」
えっへんと胸を張って得意げな要をまじまじと見てしまう。
忘れがちだけどオレと要は同級生であり、同い年だ。なら、もう二十歳を迎えた人間の言動なのだ、これは。二十代の男として、珍しいなんてもんじゃない。あんたくらいだ。そうとすら思ってしまう。
そのまま、嘘だろ……と呟いてしまうのも無理はない。こんなことあるか? と誰にともなく問いただしたくなってしまう。
純粋を通り越して、何も知らないまっさらな世間知らずのお姫様かよ。深窓の令嬢……にはちょっと派手すぎるな。要は大人しくもないし、それほどお上品でもなんでもない。ああ、お嬢様だとしたらそれはそれで大変そうなのはおひいさんを見てればわかるから、また違う苦労があるんだろうけど。でも、でもなぁ。
「言っとくけど、見たことくらいはあるのですよ」
「はぁ」
「この季節によく見るのです。寒くなってくる頃です。それくらいはわかります」
「逆に言うとそれ以外わからない、と」
「ぼくにわからないことはありません。……と以前のぼくなら言っていたかもしれません。そのせいでずっと聞けずにいました」
「あんたのプライドの高さもそこまでいけば難儀だろもう」
「で、でも。さざなみなら馬鹿にしないでしょう?」
オレより身長の高い要が、視線を少し下に向ける。オレにまっすぐ向ける。見下ろす、まではいかないものの、見上げる、でもない、要がたまにやる独特の仕草。その度にあんたデカいな……と感じる。身体のあちこちが削ぎ落ちても、縮むことのなかった体躯はえらく細長い。
その目には純粋な期待が宿っていた。そして信頼。どこまでもまっすぐなあんたはいつになっても健在らしい。
「だから、ちょっとだけ素直に聞いてみようと思って……。さざなみはぼくにどんどん教えてくれて構わないのです」
絶妙に謙虚の方向は間違っている気もしないでもないけど。というか謙虚ですらない。言い方が変わっただけであいもかわらず偉そうだ。
まぁ、オレには心を開いてくれている、ということもわかるから、悪い気はしない。それどころか、ちょっと嬉しくもある。
オレは口を開いて見慣れたクリスマスの象徴について、要に説明を始めた。
「えっとだな……。その赤いひとはサンタクロースって言って……いい子にプレゼントを配る……なんだ?えっと……じいさんだ」
だけど、うまくできない。改めて説明しようとすれば、オレは殆どその赤い存在についての理解がなかったことを思い知らされた。最終的にボソボソと何かを付け足し、目を逸らす。
きまりが悪くて要のことを見ることができない。
「さざなみ」
「なんだよ」
「さざなみももしかしてよく知らないんじゃないんですか」
そんなわけがない。何年アイドルやってると思ってるんですか。
そんな言葉が脳裏をよぎる。強がりでもない軽口。
かわそうと思えばいくらでもかわせる。適当な説明をして、エンターティナーとしてファンを楽しませることだけに徹することだってできる。
だけど、それはなんとなく不誠実だと思った。初めて、思った。まっすぐにオレに聞くあんたに適当な答えを返したくはなかった。ちゃんと答えてやりたかった。
それでも、わからないことは勝手にわかるようにはならない。
要がわからないことを、きっとオレもわからない。オレは答えを明確には持っていない。馬鹿になんてしてないけれど、知らないのはオレも同じだった。
クリスマスにサンタクロースとやらにもらったゲームやら漫画やら玩具やらを見せびらかすクラスメイトを、オレはどこか遠くの世界のものとして見ていた。
その正体がサンタクロースだか、親だか、なんてどうでもいい。誰から貰ったかなんて知ったこっちゃない。
ただ、事実として、オレの家には来なかった。朝見たらプレゼントが置かれていたことなんて、なかった。
普段与えられない周りの言う『楽しいもの』が、クリスマスだからと言ってオレのもとにくるはずなんてない。ただただオレをアイドルにさせるために、それ以外のものは排除されてきた。
だけど、サンタクロースにかけられた呪いはオレを締めつける。来なかった。プレゼントを貰えなかった。それだけでオレは『わるいこ』になってしまう。『いいこ』なら貰えたプレゼント。それを貰えない『わるいこ』。居ることが許されない子。クリスマスの浮かれた空気にひとり取り残されていく、子。
幼い頃に訳もわからず積もった不満が、どろどろと流れ込んできて息ができない。
あんなの、ただの迷信だろ。なぁ、そう言ってくれよ。宗教とかよく知らねぇし、興味もないから正しいことなんてひとつもわからねぇけど。
ぐるぐる考え込んでいたら、手に何かがあたった。要の手が、オレの手を握ろうとしている。
不安そうにゆらゆら揺れているその手に、オレは繋ぐことを迷ってしまう。躊躇してしまう。
こんな『わるいこ』があんたの手を握っていいのか、と幼い頃の記憶が今と混濁して、窒息間近な状態を走っている。
「さざなみ。怖い顔をしているのです。眉間にすごいシワが寄っているのです。こわいのですよ? アイドルならそんな顔はしないほうがいいのです。目付きの鋭さも相俟って結構ひどい顔です」
「そんなにか?」
「はい」
「即答かよ」
「ほんとにひどい顔してますから。……もしかしてさざなみにとって赤いひとのことは嫌なことでしたか」
「嫌なことっつーか。まぁ……オレが『いいこ』じゃなかった。だから『いいこ』にプレゼントを配る存在が来たことないんだよ。ごめんな。満足いく説明ができなくて」
手が、握れない。
要の指が掠って、でも自分から掴むことができない。
街中に溢れるクリスマスソングのイントロも、もみの木も、はしゃぐガキの声も、全部『あたたかいもの』なはずなのに、妙にオレのまわりだけ冷たくて避けたくなる。
目に入れるのもやめて、耳を塞いで、一目散にここから抜け出したくなる。
クリスマスの説明だったらいくらでもできたのに、よりにもよってサンタクロースの説明を求められた。動揺していた。オレはこんなことじゃ動揺しなかったのに、要のまっすぐな丸い瞳にあてられる。
逸らしていたはずの視線がかちあった。
どこまでも愚直で、ごまかしを知らない目。不器用で、誠実な金色の瞳。
「さざなみ」
「なんだよ」
「ぼくは『わるいこ』ですか」
「えっ……? あ、違うんじゃね? あんたは全体的にいい子だと思うけど」
「さんたくろーすとやらは『いいこ』にプレゼントをくれるのですよね」
「まあ……」
「ぼくは貰ったことなどないのです。赤いひとから『いいこ』だねと言ってもらったこともなければ、プレゼントも貰ってないのです」
「……」
「ねぇ、さざなみ。ぼくはまだ知らないことがいっぱいあります。だけどこの赤いひとがぼくたちの価値を決められるとも思えないのですよ。ぼくもさざなみもこの赤いひとに面識はありません」
何の先入観も持たずに展開される、要特有のめちゃくちゃ極まりない理論。
その理論に積み上げてきた価値観が揺らいでいく。
そうか、そっか。
そう思えば救われるのか。
不安の先にある答えがオレを導いていく。真っ暗な過去に懐中電灯を振り回したような明るさが現れる。
サンタクロースなんてものは概念で、実在すらよくわからなくて、なのに子どもを選別して回っている。
『よいこ』にはプレゼントをふるまい、『わるいこ』には何も与えられない。
残酷的な行為を、している。
オレには要のように言い切ることはできなかった。ただ、落胆を抱えながら諦めているだけだった。
恨んでなどはいないけれど、どこか寂しかった。
そう。寂しかったんだ。
オレはやっとそれを理解することができた。気がした。
「要って変なところ強いよな」
「ぼくはいつでも強いのです。来年こそ腕相撲で勝ちます」
「それは無理だろ」
「なんでですか」
「いや……、まぁいいんだけど。目標は高くても」
単純な力比べでもなく、要は今でもリハビリをしている。たまにぐずって休んだりするけど、概ね通い続けている。だけど、まだ回復は少し遠かった。そんな日常生活すら危ういやつがオレに腕相撲で勝つのはちょっとした夢物語ではある。
「負けるつもりはないからな」
「ふふん。望むところなのです」
だけど、勝負を受けたなら真摯に返す。それがスポーツマンシップというものかもしれない。いつだってフェアでいたい。それが難しいことを知っていて、でもなんとなくバトル漫画っぽくて嬉しい。
その腕に全力をかけるかどうかはどうでもいい。ただ、その感情こそがきらめいている。
「要。ケーキ買って帰ろう」
歩いて行った先の適当なケーキ屋を指差す。予約とかしてないけど買えっかな。
買えなかったら適当に違う店入れば良い。今なら楽観的に、なんとかなるだろと答えられた。
「好きなの選んでいいですか」
「そんな種類あるかわかんねぇけどな」
目を輝かせ、何にしようかと要はディスプレイに張り付いた。
大きな苺のうえに、サンタクロースのマジパンが乗ってる、4号のホールケーキが目に入る。
『だけどこの赤いひとがぼくたちの価値を決められるとも思えないのですよ。ぼくもさざなみもこの赤いひとに面識はありません』
要の言葉が反響する。
オレは小さくデコレーションされているサンタクロースのマジパンに目をやった。
あんたのこと、サンタクロースのことはよく知らねぇけどあんたにオレたちの評価をさせるなんてまっぴらごめんだね。
オレは吐き捨てる。幼稚な寂しさを、もうそんなこと思ってないと鼻で笑ってやる。
何も知らない、話したこともない、幼稚園に先生が読み聞かせた絵本でしか見たこともないあんたに。ただの赤い服を着ているだけの何も関係がないじいさんに。
要がくれた言葉は不思議とオレに勇気とあたたかいものを与えてくれた。
初めてだった。そう思えたのは。
「さざなみ、これがいいです。いちごもいっぱい乗ってるのです」
「いいな」
「でしょう!ぼくの選択に間違いはないのです」
ケーキを店員さんに言って箱詰めしてもらう。
ポピュラーなタイプのショートケーキ。まっしろい生クリームと、赤いいちごと、サンタクロース。
それを見てオレは全部食べてしまおうと思ったね。
『いいこ』も『わるいこ』もいない。勝手に評価するやつなんてごめんだ。
「要。サンタクロースはな、食べるものなんだよ」
「なんと!」
ケーキに乗せられた、クリスマスを象徴する赤いじいさん。
食っちまおうぜ。全部。
「これ、食べられるのですか!?」
「ああ」
馬鹿みたいだと思うなら笑えばいい。
ふたりで噛み砕いて、味わって、ただの砂糖菓子になった赤い塊にしよう。
誰かの評価に縛られて生きるのなんてまっぴらごめんですからねぇ。
そして、噛み砕いたクリスマスを、あんたとおいしいねと笑えるならそれ以上のものはないから。
だから。要。Merry Xmas。今夜はいい夜になるかもな。