冬の日は短く、練習を終えスタジオを出ると空はすっかり濃紺に塗られていた。
新曲の打ち合わせで隼人の家へ向かった三人を見送り、先ほどまで夏来と二人で居残り練習をしていた。成績補完のために始めたバンドは思っていたよりも楽しくて、厳しい。うまくいかないところを練習したくて同じリズム隊の夏来に声をかけたのが、二人の定期練習会の始まりだ。練習を重ねるたびに、夏来のその日の気分や体調による音の変化、なんでもない世間話からの夏来の考え方なんかがたくさんわかっていく。週に何回かの居残り練習は、二人の日常になっていた。
冷たく刺す空気の中、夏来の銀の髪に夜空が透ける。マフラーからもれた髪の束がふわふわと踊るのを、駅前のイルミネーションが飾っていて、つい目で追ってしまう。何気なく眺めていると、やわらかな頭がくるりと反転しこちらを向いた、髪と同じ透き通る銀の目に捉えられ、そっと息を止める。
「なに……?なにか、ついてる……?」
「いや……んーん、なんでもない。……あのさ、今日最後に合わせた時のラスサビ前、入り遅くなっちまったかなーと思うんだけど、どのへんで合わせたらいいかな?」
「うんと……シキが、四拍目から歌いだすから……」
今日できなかったところを、こうして帰り道で話す。二人分の靴音を心地よく聞きながら、落ち着いた夏来の声に耳を傾ける十分程度が、たまに泣きたくなるほどに愛おしい。夏来の声を冷たい夜に溶かして聞くのが好きで、いつもこうしてふたり、反省会をしながら帰る。隼人たち三人がいるときももちろん騒がしくて楽しいけれど、新雪が降り積もるよう、毎日少しずつ自分の中に夏来を積み重ねていく時間は特別なものだった。
「……だから、一回リズム数えながら、やってみる……?」
「ん、そうしよ。ナツキいつあいてる?」
「えっと……まってね」
スクールバッグを探って手帳を取り出す。春名自身もスマートフォンを取り出すと、カレンダーアプリを立ち上げながら夏来の手元を覗き込んだ。時間までわかるよう詳細に書き込まれた手帳は使いこまれており、書き直しやメモまで、夏来の生活がぎゅっと濃縮されている。ユニットとしての仕事のほかにも、春名が知らない仕事や用事が書かれていて、少しいけないことを覗き見ているような所在なさに視線を揺らす。けれどもそれを覗くことがナツキに許されているのが、うれしくてくすぐったい。
「今週は……明後日の放課後、なら」
「わりぃ、明後日オレがバイトだわ。土日もムズそうだし、来週のー……水曜は?」
「ん、大丈夫。練習、しておくね」
「俺もあけとく。それまでにもっと課題増えてそうだなー」
「今回の曲、転調とかあって、難しいよね……」
その場でスマホを弄り、スケジュールを追加する。春名が前を見ない少しの間、すれ違う人にぶつからないよう夏来がそっと春名の腕を引いて歩く。ダウン越しにくっついたって暖かさもなにも感じないが、体の芯はじんわりと熱を持ち、知らず口角が緩む。
帰りの電車は逆方向だった。改札近くで立ち止まりもせず、ひらりと手を振る。
「じゃあまた、水曜な」
次回の約束に念を押す。学校でも事務所でもいつでも会えるけれど、ふたりだけの次の約束がほしくて、いつも次を作って帰る。夏来には演奏の練習との名目しか言っておらず、本心は伝えていない。
春名の確認に頷いたのを見ると、人の流れに乗って改札を通る。ホームへの階段下、不意にコートの裾を引っ張られた。振り返ると、少しだけ緊張した面持ちの夏来がもう一度、くい、と裾を引く。首をかしげて促すと、澄んだ灰の目とまっすぐにかち合う。
「次の、みんなとの練習の、前に……ごはん、いきたい。ふたりで。……いい?」
真っ直ぐな夏来の言葉にたじろぎつつも頷くと、夏来は緊張を解いてふわりと微笑み、じゃあねとホームへの階段を上っていく。一泊おいて、早くなる心臓に急かされるように反対ホームへの階段を駆け上がった。向かいのホームに夏来の姿を見つけると、向こうも気が付いたようで小さく手を振る。
冷たい手で熱い頬を押さえる。夏来からの直球の『会いたい』に緩んで真っ赤になっているであろう頬に、マスクを深く引き上げた。