百々人は免許を取っていない。だからなのか、免許があってもそう思うのかはわからないけれど、運転をしているというそれだけでこんなにも格好良く見えてしまうものかと、助手席に座るたびに運転席の横顔を見ては胸をときめかせていた。車に乗り込みバックミラーを調整する仕草や、まっすぐに前を見据えてハンドルを握る横顔、譲ってくれたドライバーに片手を上げる仕草。特別なことなどしていないのに、すごく大人に見えてその一挙手一投足をどきどきしながら観察してしまう。
今になって思い返すと、複数の現場の合間を縫って送迎をしてくれるプロデューサーにも何か言いたげな時はあったし、C.FIRST単独の移動では出来る限り電車やタクシー移動を活用していた。元々人に何かをしてもらうことがあまり得意ではないのだろう。そう思うと、免許を取って自分の足で遠くまで行けるようになった眉見はとても自由に見えた。そして百々人もその自由に相乗りして、同じだけ移動距離を伸ばしている。
海岸沿いの国道を走らせて目についた駐車場に車を停めると、スニーカーのまま砂浜へ降りる。日差しがあるとはいえ春を迎えたばかりの気温はそう高くなく、強い風のせいで寒いくらいだ。パーカーの胸元をきゅっと寄せると、目を開けていられないほど吹き付ける砂から風下へと顔をそらした。
「あまり海日和ではなかったな」
同じく顔を俯かせながらも手で風よけを作り、細めた目で水平線を見る眉見が呟く。もともと目的地なんて今度の映画の勉強を兼ねた工芸品の展示を見ることしかなかったから、海に行くと決めたのもそれを見終わった数刻前である。その時点で風速を調べていればよかったのだろうが、眉見も水上バイクに乗る日は波の高さを気にするものの、少し歩くくらいだからとそう気にしていなかったらしくすまないと簡潔に謝られる。
「いいよ、僕も考えてなかったし。これだけ砂が痛いのって、海に来たーって感じしない?」
「ならいいんだが。これだけ砂だらけだと車の中もすごいことになりそうだな」
海は電車の窓から見るものだった。試験や発表会の会場が都心から離れていると、高架を走る車両から遠くにきらきらと陽の光を反射している海の端っこが見える。遠くから見ている百々人には砂浜も台風みたいな風も塩のにおいも届かなくて、ただ遠くに眩しくて広い青が見えるだけだったから、息苦しさにいつも目をそらしていた。海や空の広さに比べて自分の悩みなんてちっぽけに思えると言うけれど、悩みどころか自分がひどく小さな無価値なものに思えていやだった。アイドルになってから何度か仕事で行くことはあったが、まだよく知らない場所だという感覚は拭えない。
海の話を出したのは地図を見ていた百々人だが、看板にならって信号を右に曲がったのは眉見だ。眉見にとって海なんて見慣れたものだろう。泳いだこともあれば船に乗ったことも、飛行機でまっさらな碧の上を飛んだこともあるだろう。百々人みたいに気負わずとも、簡単に見に来れてしまう場所なのだ。
波打ち際まで近づく気がない百々人に合わせて、眉見もまだ砂利に近い砂を踏みしめて足元の枯れ枝を見ていた。どちらから言い出すでもなくそのまま砂浜を後にしてしまい駐車場へと戻る。
「うわ、靴の中砂だらけだ」
「服もな。はたいてから乗ってくれ」
「あはは、すごい落ちてくる。髪もがさがさだ」
眉見の整えられた髪も嵐に襲われてきたみたいにあちこちに飛んでいるから思わず笑うと、仕返しとばかりにぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。ただでさえ脱色で傷んだ髪が潮風と眉見のいたずらとで絡まってしまい、可笑しいくらいに暴れているのをサイドミラーをのぞき込んで手櫛で直した。車内に乗り込んでしまえば風の音はドアの鉄の向こう側から聞こえてくるだけになり、無風の助手席は心なしかあたたかい。ミネラルウォーターのペットボトルを傾けて一息つくと、眉見の大きな手がサイドブレーキを下ろし緩やかに車を発進させた。
運転すると性格が変わる人もいるというが、眉見の運転はいたって静かで丁寧で皆が描く眉見鋭心どおりだ。免許のない百々人にはよくわからないけれど、速度も路上マナーも教科書通りに見える。
「そこ右折だよ」
「ん、ああ」
けれど百々人としてはその模範的な運転より、ふと気を抜いた眉見がナビを聞き逃したり青信号に気付いていなかったりするところの方を気に入っている。そういうところを見せるのはユニットメンバーである自分たちくらいのものだと自負しているから、気を抜いていてもらえるのがうれしいのだ。皆が眉見の運転を褒める時、でもこの前は高速出損ねちゃって一つ先まで遠回りして帰ったんだよ、なんて話もばらしてしまいたくなるのだが、それは眉見の威厳のために黙ってあげている。だからこっそり秀と目を合わせて声に出さないように笑うと眉見が気まずそうにするから、それが余計に面白くて3人になった途端に声に出して笑う。
バックミラーを見て、サイドミラーを見て、目視でも後方確認をして。大きくハンドルを回しつつも歩道を気にしながら右折していく。反らした首の骨と血管が浮き上がっているのを呑気にじっと見つめて楽しんだ。助手席の仕事はナビのチェックとペットボトルのキャップを開けて渡すのと進行方向にある店探しだから、それ以外は好きなように眉見を見ていてもいいのだと決めている。
日はまだ高い。今から帰れば夕飯にも早すぎる時間についてしまうだろう。帰りの渋滞には気をつけておかなくてはいけないが、それでもまだ十分に寄り道ができる時間だ。
「もう高速乗るよね?」
「ああ、もうすぐインターだ」
「じゃあさ、どっかサービスエリア寄ろうよ。地域の名産品とか見よう」
「ならこの前桜祭りの仕事帰りに寄ったサービスエリアにするか。大きいし、今の時間ならそう混んでないだろう」
「やった、あそこもっと見てみたかったんだ。僕もナビ見とくね」
別に大きくても小さくてもどこのサービスエリアでも良かったけれど、広いほうが時間をかけて回れるから都合がいい。まだ帰りたくないのもサービスエリアを遊び歩きたいのも本心だけれど、ちょうど良く日が沈んだ頃に帰りたいという下心もあった。今日はまだ解散してあげる気にはなっていない。明るい時間に言う“まだ帰りたくない“は効力が薄いのだ。