テレビから流れる野球中継の解説だけが店内にある声で、客も店主も最低限の言葉しか交わさない。包丁が軽快にネギを切る音と麺の茹で上がりを知らせるキッチンタイマーの電子音、麺を啜り半透明のコップに水を入れる他人の食事の音ばかりが店内で雑多に混じりあう。
そんな中で、眉見も百々人も無言で頼んだラーメンが届くのを待っていた。手持ち無沙汰にSNSをスクロールする百々人から視線を外して厨房を眺め、丼にいくつかの調味料やスープが注がれ混ぜられる様子を見守る。黄金色の麺が浸かると薄切りのチャーシューが並べられ、仕上げに切ったばかりのネギが散らされた。ちょうど自分たちの分だったらしく、愛想のない店主がお待たせしましたとぶっきらぼうに言うと目の前にどこか懐かしいような中華そばが置かれた。ふわりと鼻腔をくすぐる醤油ベースの香りに忘れていた空腹が刺激される。割り箸を割る軽い音が二人分響く。
「いただきます」
湯気の立つ麺に息を吹きかけてスープが飛ばないよう口に運ぶ。運動した体に塩分と深みのある味が染みわたって思わず息をついた。おいしい。
「いざ食べるとお腹すいてたんだなーって気付かない?」
「ああ、普段食べるより数段うまく感じるな」
店内の静かさに合わせて控えめな声量で数言交わすと、またそれぞれ黙々と箸を進める。空腹に促されるままに麵を口に運び、のどの渇きでようやく箸を止めコップに手を伸ばした。
百々人は猫舌なのか慎重なのか、一口ごとに息で冷ましているようだ。麺も啜るのではなく箸をうまく使いながら順に折り畳むよう口に運んでいく。落ちてきた横髪を鬱陶しそうに耳にかける姿が伏せた目と相まってつい数刻前を彷彿とさせ、思わず一連の動作を見守ってしまった。そのたっぷりと唾液を含んだ舌が自身のものを舐めあげる寒気にも似た快感を思い出して身震いする。
「……なに?」
視線に気が付いた百々人が目だけをこちらに向け首をかしげるが、その目はたぶん、こちらの考えていることを分かっている。いたずらっぽくくすくすと笑うと、「ラーメン、伸びちゃうよ」とあっさりと食事に戻ってしまった。その唇の柔らかなぬめやかさも、覗く舌の赤さも、先ほどまで組み敷いて甘い声を漏らさせていた時と変わらない、同じものだ。
自分だけがまだ熱から抜け出せずにいるとバレているのが罰が悪く、振り払うように視線を外すとチャーシューにおおきくかぶりついた。もう視線は上げられそうにない。