夏の影【登場人物】
ウィル
本名ウィリアム・ターナー
眼鏡をかけた金髪の快活な青年。 あまり空気は読まないが、読まないだけなので人付き合いはうまい。 小児科医を目指している。
ビル
本名 ビル・ターナー
茶髪に三白眼の落ち着いた印象の青年。 ウィルとは大学からの友達。一般外科医を目指している
1
ある夏の昼下がり、人の混みも落ち着き始めたころにある大学の学食のフロアで盛り上がる二人組がいた。
「絶対幽霊だって!!」
興奮したように力説したのは、金髪に眼鏡の青年だ。興奮しているのか鼻息は荒く頬も赤くなっている。
「だから違うってば」
そう答えるのは、茶髪に利口そうな三白眼の青年。
二人は同じ大学に通う同級生である。学部は違えど友人として仲が良い。
「何が違うんだよ!! お前は見てないからわからないんだって!!」
金髪眼鏡の青年が声を張り上げると、周囲の学生が何事かと視線を向ける。
だがそんなことはお構いなしに話を続ける。
「俺は見たんだよ…ドアの隙間の暗闇からこっちを覗く真っ黒な目…思い出すだけでも…ほら!鳥肌!」
楽しそうに鳥肌が立ちざらざらになった腕を見せてくる。
茶髪の青年はそれを見て顔をしかめた。そして心底面倒そうに口を開く。
「お前さ、それだけの情報でなんで幽霊だと思ったんだよ、絶対人か猫だろそれ。」
「そんなわけないだろ!あと…そう、隙間から流れ出てきたんだよ、冷気が。」
「エアコンつけっぱなしにして外出しただけだろ。ついでにさっきの鳥肌もここの冷房が効きすぎてるだけの話だ。あとは?」
「あと!?えーっと……あ、目は俺の胸くらいの位置にあったから猫ではない!そして姿は陰に、暗闇に溶けて見えなかった!あと…あ!1人暮らしなのに部屋の奥から音がした!」
「台に乗った黒猫だろ。あと部屋のゴミが崩れただけ。」
すぐに反論の余地がなくなったのか、金髪眼鏡の青年は言葉を探すように口をパクパクさせる。
その様子をみて、茶髪の青年は呆れたようなため息をつく。
「まあでも、暇つぶしにはなるか……。よし、今日の帰りにお前の部屋行かせろよ。」
「え?なんで?」
金髪の青年は不思議そうに首を傾げ、それを見た茶髪の青年も怪訝そうな表情に変わる。
「なんでも何も……その怪奇現象の正体を突き止めるためだろうが。」
「ああ!なるほどね、でもそれなら俺の部屋じゃないぞ。」
そう言うと、金髪眼鏡の青年は嬉しそうに笑った。
そして椅子にもたれかかり、椅子を傾けながら背をそらすようにして後ろの人間に話しかけた。
「そういうことだから今日空いてるか、ヒロ?」
===
2
突然話を振られたその青年は危うく飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになって咽ていた。
金髪の青年が慌てて背中をさすりに行く中、茶髪の青年は思考を巡らせていた。
(こんな奴いたっけ…いや、顔は微妙に見覚えがある気がする…。顔面偏差値がずば抜けて高い顔…でもそれだけだ。誰と仲がいいとか、交友関係で話は一切聞いたことがない。というか)
「お前の部屋の話じゃなかったのかよ…」
「ん?なんか言ったか?」
金髪眼鏡の青年がきょとんとした顔で振り返ると、茶髪の青年は何も言わずに首を横に振り、ヒロと呼ばれた青年に向き直る。
「えと…ヒロ、でいいんだったか?初めましてだよな、俺はビル。よろしくな。あと…滅茶苦茶言ってすまん。」
つい先ほどの部屋にゴミがたまってる前提での話を謝罪した。ヒロはその謝罪を聞いて少し微笑むと、軽く会釈をして答えた。
「気にしないで、俺はヒロ。こちらこそよろしく。それで…ええと…ウィリアム?だったっけ?この間貸したノートを部屋まで届けに来てくれたよね。」
「ウィル、な」
金髪眼鏡の青年、ウィルは笑いながら訂正すると、改めて自己紹介を始めた。
「改めまして、俺こそがウィリアム・ターナー。気軽にウィルって呼んでくれ!趣味はゲームとロック。好きなものは美味しいもの全般。嫌いなものは…タイヤ味のグミ!よろしく!」そう言い終わると右手を差し出した。ヒロもそれに応えるように握手をする。
「あ、うん、よろしく。えっと……ウィリアム?」
「ウィル。」
「…………ウィル。」
「はい!」
「……はぁ。」
茶髪の青年、ビルは頭を抱えつつ、このやりとりだけで疲労感を感じ始めていた。
だがそれを表に出すことなく口を開く。
「もう好きにしていいからさ、結局幽霊ってなんだったんだよ」
「お前は見てないからわからないんだって!」
「いやもうそれいいから。単刀直入に聞くけどヒロの家に幽霊はいるのか?」
「いないな。」
即答だった。
「……はい、解散。」
呟きと同時にビルは椅子を引いて立ち上がる。
しかし、その手をウィルが掴み引き止めた。
「待てよ!まだ話は終わってない!!」
「終わったわ、ヒロが幽霊はいないと言った時点で終わりだ」
「…いや待て…『幽霊は』?幽霊ではない何かがいるのか?」
ウィルはヒロの言い回しに違和感を覚え、その手を掴んだまま食い下がる。
渋々と仕方なさそうにビルは座っていた椅子に再び腰かけた。
そしてヒロの方へ体を向け、聞く姿勢をとる。それを見てウィルも満足そうにうなずく。
「ええと……まずウィルが見たものを話してもらっていいかな?」
「ああ、まず『ドアの隙間の暗闇から覗く真っ黒な目』。結構大きかったな。女の子だったら結構かわいかったんじゃないか?もう少し見てたら好きになってたかもね。」
それを聞いたヒロから乾いた笑いがもれる。ビルはウィルに冷たい視線を向けている。
「次に『流れ出てきた冷気』。冷気ってか霊気?多分鳥肌が立ったのはこれだと思う。マジで冷たかったもん、ちょうどこの部屋くらい。」
「確実にはわからんが多分設定できる最低温度だろうな。昼時でさっきまで大盛況だったしこの暑さだ。そういえば今日は今年で一番暑くなるらしい。」
ビルは呆れたような表情を浮かべながら答える。
「そして……『誰もいないはずなのに何かが動く音がした』な。ポルターガイストってやつ?」
「…待て、先に確認しておくがヒロは1人暮らしってことでいいんだな?ウィルの想像ではなくて」
そう問いかけたが何も返ってこない。二人でヒロの返答を待っていると、少し変化があった。
ヒロの顔が少しずつ赤くなっていっている。
「…そうか、よく分かった。帰ろうぜ。」
それを見て何かを理解したのか、ビルは再び椅子から立ち上がり、今度こそ本当に帰り支度を始める。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「そそそそうだぞ、何がわかったっていうんだ!?」
何も理解していないウィルと顔を真っ赤にしたヒロが慌てて引き止める。
「ヒロの家にはヒロのガールフレンドがいて、ウィルはそいつを幽霊とやらと勘違いして怖がってるってことだろ?そんなことに付き合ってられるか。完全に時間の無駄だったな…。」
「え?お前彼女いるのか?」
「ち、違う!彼女なんていないよ!」
「なんだよ、はっきりしろよ。」
「……ヒロ、まさかとは思うがお前…」
「ええと……ね、猫がいる…」
蚊の鳴くような声でヒロが答える。
「……はぁ?なんだそりゃ」
ビルの反応を見て、ヒロはさらに顔を赤らめていく。
「いや、あの……ほ、本当だよ!昼間はすごく大人しい子なんだけど夜鳴きがかわいい子で…!」
「俺が聞きたいのはなんで猫飼って照れてるのかなんだけど…とりあえずヒロは置いとこう。それで、おい、お前、なんか言い訳あるか?」
ビルはウィルに向かって問う。
「あー、まあ、確かに変なこと言ってたな。ごめん、俺が悪かったよ。」
「えっ!あっ!いや!別に怒ってるわけじゃなくて!ただ、その、えっと、」
「ヒロは黙ってろ、他に言うことあるだろ。」
「あ、あ、あ~~~~~~~~~~…お騒がせしました…。」
===
3
「ただいま」
小さく呟き、いつも通りに帰宅し自宅のドアを開ける。
すると途端に冷気が流れ出し外気で火照った体が冷えていく。
「…またエアコンの温度、最低にしてるのか…」
真っ暗な廊下を歩いていくと薄く影を落とす一枚のドアに行き当たる。
音をたてないようにそれを押し開くと、そこには小さく寝息を立てる猫…ではなく少年がいた。
「はぁ、もう、風邪ひいちゃうだろ…」
ヒロはため息をつくが、どこか嬉しそうな顔を浮かべていた。
横になっている少年はゆっくりと目を覚ます。
「…ぁ…おはよう?おかえりなさい?」
まだ眠いのか、声に張りがない。
その様子がかわいらしく、自然と笑みがこぼれてしまう。
寝ぼけながらも少年はヒロの方へと向き直り、ぎこちなさを残しながらもにっこりと笑う。
ヒロはその笑顔に癒されながら、優しく頭を撫でてやる。
「ねえ知ってるかい?俺は猫を飼っているんだよ。黒い眼の…とっても可愛い子なんだ。」
そんな猫をこれまで見たことがない少年は不思議そうに首を傾げる。
そうしながらも気持ち良さそうにするその姿を見つめていると、ふと視線を感じる。
そちらへ目を向けると先ほどまで閉じられていたはずのドアが半開きになっており、そこから覗く目と目が合った。
驚きで固まっているとドアは静かに閉まり、やがて気配も消えていった。
ヒロはしばらく呆然としていたが、猫が呼びかける声に我を取り戻し、再び微笑むと猫を抱き寄せた。
4
「…でもまさか本当に猫ってオチとはな~」
ウィルは残念そうに肩を落とし、ため息をつく。
今日、三人で話していた内容を思い出しながら、ビルは苦笑いを浮かべる。
しかし、疑問が残る。
ウィルはあれからある疑問について何度も考えなおしたが未だに答えを出せないでいた。
それはビルも同じだった。
なぜウィルは幽霊なんて突拍子もない話をしたのだろうか?
腐ってもウィルは大学生、それも医学部だ。常時ふざけた人間だが、なにか根拠がなければ幽霊なんて言い出すわけがないのだ。
「一応聞くけど、なんで隙間から見えたのが人間だと思わなかったんだよ。普通は人がいると思うだろ。」
「ああ、うん、それなんだけど」
ウィルは困ったように頬を掻く。
「いや、だってさ、人間だったら目が二つあるだろ?猫でも二つじゃん。俺が見た『目』は一つだったんだよね。」
「……え?」
ウィルの回答を聞いてビルは固まる。それに気づかないウィルは意気揚々と言葉を続ける。
「しかも、人間でも猫でも目は横長の形だろ?でもそいつは縦長だったんだよ。瞳孔が縦長の生き物は多いけど目縁が縦長の生き物なんているのか?」
「……なんでそれを最初に言わない…?」
――――とりあえず、明日にでも除霊に行かせとくか…。
ビルはいつも通りウィルに振り回された頭を抱えて、これからの事を考えながら深いため息をついた。