シンドー旅行記 日本に向かうことになったのは、仕事上でのことである。
ジャック・シンドーは、UMA日本海支部との情報共有のため、日本に向かうこととなったのだ。
「ジャックのルーツの国でもあるのよね。楽しんできて」
ジーンが空港まで送ってくれたとき、そんな言葉をかけてくれた。
ルーツ、などと考えたこともなかったジャックは、少しポカンとして、それから自分の掌を見つめた。ルーツもなにも、人間皆、辿ってしまえばアフリカのルーシーから続くのだから皆似たようなものとも考えてしまう。
とはいえ、見知らぬ国は楽しみなのも確かだ。
ルーツ、と考えると仰々しいが、縁のある土地と思えばなんだかワクワクする気もする。
空港に降り立ったジャックは少し浮足立った気持ちのままキョロキョロと人々を眺めた。
たくさんの人々は足早にどこかそれぞれの目的地に向かっている。聞こえてくる言葉も、喧騒も、すべて音楽のように意味は理解できないが不快でもない。
「シンドー博士」
呼び止められて、振り返るとジャックに手を振る青年がいた。ジャックと同じぐらいの歳に見える。
「初めまして。UMA日本海支部の科学技術班の蘭堂です。お迎えに上がりました」
「ああ、連絡のあった……ジャック・シンドーだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
蘭堂と握手を交わし、ジャックは案内されて車に乗った。日本海支部までは車で一時間ほどらしい。
「日本は初めてですか?」
「ああ。生まれて初めてだ」
「そうですか。それでは是非、日本も楽しんでくださいね」
蘭堂はニコニコと笑みを浮かべながら車を運転している。
「まずは仕事を片付けたい」
「もちろん。ゴーデスの飛来以来、怪獣の出現は地球規模での出来事です。その中でも南太平洋支部の皆さんはとりわけ戦績がいい。我々も知りたいことはたくさんあるのです」
「日本にも怪獣が?」
「ええまあ……なんとか、ギリギリ戦っている、というところです」
車窓から日本海支部の基地が見えてくる。この大きな橋を渡った先にある小さな島が日本海支部なのだ。
首都圏からそう遠くはない。オーストラリアでいえば、シドニーの目と鼻の先に基地があるようなものだ。
日本海ではなく、これでは太平洋ではないか、とジャックが聞けば、狭い島国ではこれが一番いいのだと蘭堂は言った。支部の基地は本当の日本海側にもあるらしい。
「僕よりチャールズや、ジーンの方が適任だったかもな」
「いえ……隊長からは、是非あなたを、と言われましたよ」
「そうかい」
いつの間にか怪獣の専門家扱いだ。
ジャックは苦笑を浮かべながら、胸元のネックレスを指で弾いた。
車は橋を降り、専用のゲートを潜って基地へと飲み込まれていく。基地の中は似たようなものだな、と感想を抱く。
「こちらです」
車を降り、蘭堂の後ろについて歩く。司令室に通されると、皆にこやかな笑みでジャックを迎えてくれた。柔和な彼らにジャックは少し身構えてしまう。
つんけんな隊長が懐かしい。
「シンドー博士、早速で申し訳ないのですが、こちらのデータを見ていただけますか?」
待ち構えていたと技術者たちが群がってくる。態度こそ丁寧だが、貪欲な知識欲が伺える。この方が安心して接することができる気すらした。
そうやって情報交換と、技術提供をしているうちに腹の虫が鳴る時間になった。
「シンドー博士、お疲れでしょう。今日はもう切り上げて、どこかで食事でもどうですか?」
蘭堂が声をかけてくれなければ、シンドーはこの貪欲な技術者たちと一晩明かすところだっただろう。
「市街地に出ますか? それとも出前でも」
「人混みは避けたいかな」
「では、隣の島に寿司でも食べに行きましょう。生魚は大丈夫ですか?」
「オーストラリアにも寿司はあるよ」
基地のある島の隣の、小さな島に向かうと言った。ジャックは運ばれるがままに、その島に向かう。確かに市街地に出るよりは、静かな港町だ。
寿司屋の奥の部屋、掘りごたつ式になった部屋に通される。掘りごたつ、をジャックは知らないので、机の下が深くなっていることに驚いたものだ。
注文は蘭堂に任せ、ジャックはぼんやりと辺りを見渡した。ちょうど、湯呑に目が止まる。
似たような文字が並べられた湯呑は、まるで象形文字が描かれているかのようだ。それが「漢字」という文字なのはなんとなく知っている。
「……鱈、鰯、鯛、鯵」
声が出る。これはジャックの声ではない。普通の人間が聞けば、ジャックの口から出た、ジャックの声なのだが。
「えっ! 読めるんですか?」
「いや……その……なんとなく」
曖昧に笑っても、蘭堂は感動してしまっている。湯呑を掲げながら、自分でも漢字を目で追っては、読めないとかなんとか言っている。
「あー……そうだ。蘭堂さん。蘭堂さんも名前を漢字で書くんですよね? どう書くんですか?」
話をそらそうとジャックが聞くと、蘭堂はきょとんとしてポケットからペンと、それから机にあった紙ナプキンを取った。
「これで、蘭堂と」
書かれた文字は複雑で密に詰まった形をしていた。
「らん、どう、ですね」
指差して蘭堂は一文字ずつ教えてくれる。
一文字目がラン、二文字目がドー、らしい。それを聞いてふむ、とジャックは唸った。
「では、僕のシンドー、もこの文字を使うのかな」
「うーん……どうでしょう」
蘭堂は困ったように腕を組んだ。
そして、紙ナプキンにたくさんの文字を書いていく。どれもジャックにはさっぱりだ。
「漢字には、同じ音でも違う文字が使われることがあります。例えば、この“ドウ”という音でも、文字は、堂、藤、道……他にもありますが、名字で使われていそうなものは、浮かぶのはこれだけある」
「難しいものだな」
指差されて、それぞれ違う文字にしか見えないのに、同じ音だというのは不思議な気がした。
「文字の意味は違うんですよ」
蘭堂は丁寧に教えてくれる。“シン”の方にもいくつか候補の文字があるらしい。
「見かける組み合わせとしては、“進藤”とか“新藤”とかでしょうか」
「僕の文字はどれなんだろう」
考えたこともなかった。スペルが違う、ということなのだろうが、こんなに候補があるとは。
「新道」
不意にジャックの手が二つの文字を指さした。
その正体を知るジャックは思わず顔をしかめた。体の使用を許した覚えはない。
「いいですね。新しい道、でシンドー」
蘭堂は気にする素振りもなくその文字の意味を教えてくれる。
「シンドー博士は、いつも怪獣の撃滅以外の道を提案する。そういう共存の道を示すことができる、という意味でこの文字の組み合わせは似合っていると思います」
蘭堂はうんうんと頷いた。
「……そうかな」
聞いていて、なんだか気恥ずかしいように思えてくる。
自分で選んだ文字ではないから余計に。
「蘭堂さん、このメモくれないかな」
「こんな汚い文字でよければ、構いませんよ。後でちゃんとした紙に書きましょうか」
「いや、このメモでいい」
紙ナプキンをもらい、ジャックは目を細めた。たくさんの文字の羅列が、意味を持っているように見えてくる。なんだかとても愛おしい気がした。
そうしていると、寿司が運ばれてきて、腹の虫も騒ぎ出す。眼の前の寿司にありつくことにする。
すっかり食事を終えて、基地に帰る頃には月も煌々と輝いていた。
用意された宿泊の部屋で、シャワーを浴び、ジャックはぼんやりとベッドに腰掛けた。今日もらったメモをベッドサイドのテーブルに置く。
「新しい道ね……」
指で文字を撫でる。
「君はなんでも文字が読めるんだな」
独り言を呟くと、胸のネックレスはキラリと輝いた。
名前に新しい意味を与えられたような、むず痒い気持ちだ。きっと調べれば、本当の文字はわかるはずだが、今はこの文字でいいとジャックは思った。
彼につけてもらったようで、なんとなく気に入ったのだ。