身勝手な君 騒がしい隠れ家の日常は早い。日が昇ると同時に火が入れられる食堂は起きてくる仲間の為に急いで食事の支度をする。湖面の輝きが強くなると今度は組まれた水を順に使って洗濯が開始され、次に植物園の水やりの分と移り変わっていく。
そうこうしているうちに朝食を終えた者がそれぞれの仕事に従事する。各地を巡りに行く石の剣達はそれぞれ準備を整えると船で順に運んでもらいその足を外に向ける。物資の点検や調整をする者はそれぞれ今日の役割を相談して倉庫へ向かった。
大人達の時間が過ぎると今度は子供達が食堂で賑やかに朝食を頬張る。屈託なく笑い、美味しそうに食べる姿は提供する側も通りがかった者もその喧噪を煩わしいものではなく好ましく見守る。賑やかな時間が過ぎると次は年嵩の者の時間だ。静かにゆっくりと食の時間を求める者がこの時間に顔を覗かせ、長い始まりがやっと終わる。
そんなゆるりとした時間に珍しくガブの姿があった。
「なんだ、飲み過ぎか? ガブ」
「違うよ、クライヴの頼みで少し遠くまで行って帰ってきたら明け方だったんだぜ」
少ししか寝てないよと言いながら大きな欠伸をしつつ、目の前のパンを頬張る。時間が立って少し硬くなったがそれでもぱりっとした内側には柔らかな味と弾力が潜んでいた。
ほらよと渡されたスープは残りの野菜と汁が溶けあってどろりとしていたが、よくよく煮詰まって濃い味を舌に伝える。濃厚なその味に意識が覚醒するとパンをつけて染みた味を堪能した。
「ああ、美味かった。ごちそうさま」
「どういたしまして。これからどこかでかけるのかい?」
「いや、オットーに報告したら今日は休ませてもらうぜ。なにせここんとこずっとだったからな。今夜は飲みに来るからよろしく頼むよ」
「分かった。とびきりの一杯を用意しておくよ」
仲間の笑顔にガブがそいつは楽しみだと返すとぐんっと伸びをしてオットーの所に行こうと足を向けたところで声をかけられた。
「ああ、ガブ丁度いいところにいた」
聞こえて来た柔い声の主はこの隠れ家のリーダーであるクライヴの者だった。今日は自室からきたのかいつもの黒と赤の衣服ではなく、白シャツにズボンと言う軽装だ。
「よう、クライヴ。おはようさん」
「もう昼に近いがな、今回も助かったよ」
「へへ、どうってころはないぜ。お前の頼みならすこーしだけ無茶してやる」
「頼もしいな」
かけがえのない友人は目を細めて笑う。ぼさぼさの伸ばしっぱなしの髪に青い瞳が柔らかな光をうけて湖面のように煌いた。
「ところでガブ、少しいいか」
「なんだ。まさか終わってすぐ次の厄介事か?」
「そう言うわけではないんだが……オットーへの報告が終わってからでいい、俺の部屋に来てくれ。頼みたいことがある」
「了解。それじゃあ、後で寄るとするよ」
とんと拳をクライヴの胸に当て、ガブが片方の目をウィンクのつもりか閉じる。弾けた拳は逞しくも張りのある胸に跳ねた。返事の代わりにクライヴもまたガブの胸にとんと拳を当てる。よくよく使い込まれた戦士の拳が誓いのように触れ、離れていった。
まったく、あいつは勝手が過ぎる。
何度そんな些細なものは他の者に任せておけばいいと言っても一向に聞かない。
それどころは目を離すとすぐに自ら赴こうと出て行ってしまうのだから始末が悪い。少しは周りに放り投げて自分のことを考えてみれば良いと言うのに。
ドミナントの名残なのか、己の体力が無尽蔵であると勘違いしているのではないだろうか。力は失われ。魔法も使えぬ上に左の手すら動かん低落だ。それをどこまで理解しているのか。
先日とて、場所がロザリアであったのが災いしたとはいえ集落の傍に魔物が出たからと飛んで行った挙句に無様に怪我をして帰って来た。その後を追いかけざるを得なくて付いて行ったはいいが、こっぴどくやられた為にまたあの医者に雷を落とされ、私も交えて説教を連日で受ける羽目になったのは記憶に新しい。
人の事ばかりで自分のことを歯牙にもかけない性格は躾しなければなるまい。
とはいえあの何処までもしぶとい自我の持ち主だ。私の言葉等聞くふりをしてお得意の『すまない』という形ばかりの謝罪をするのは目に見えている。となれば言うことを聞かせる為にはて、どうするのが最善か。
思案すれどこれという案は出ず、組んだ腕をそのままにベンヌ湖の小さな波が流れていくのを見つめる。
ふと目に付いたのは小麦色の髪の青年。確か灰の大陸までミュトスと共にきた不死鳥のドミナントでは無い方だったか。ミュトスとよく共に居る姿を見かけていたなと思うと一つの案が浮かぶ。
ふむそう言う手もあるかとバルナバスはその思い腰を上げると立ち上がった。
「おい、貴様」
「誰だよ俺は今日はつかれ……え」
かけられた声に振り返った先でガブは固まる。自分に声をかけた仲間だと思った相手はまさかのバルナバスで、文字通りガブは固まった。
「灰の大陸まで連れだってきたのだ。ミュトスと親密だったと記憶しているが、違いないな」
「え、えっと……そう、ですが」
どう返せばいいのか分からずなんとも妙な言葉で返事をするガブにふむとバルナバスが続ける。
「あの自分勝手な奴があちこちにふらついては些事にかまけて己のことが見えておらんでな。私では限界がある。しばらく見張って外へ行くのを止めてやれ」
「……えっと、クライヴを。俺が止めろ……と仰せで」
小さく頷くバルナバスはむすりとした表情のままだ。険しい瞳をクライヴの自室に向け、了承したものとしてガブに続ける。
「見張っておかねば倒れかねん。まったく、人の気も知らないで勝手をするくせに聞かんときた……」
はっと息を吐いてバルナバスが続ける。
「手のかかる男よ……分かったな」
「は、はあ……」
一方的に言い終えるとバルナバスはガブの方を見ないまま背を向けてハルポクラテスの書庫へと足を向ける。これで番犬はつけた。しばし様子をみて改善しないようならこの手で躾けるかと思いつつ。
まったく、あいつは頑固でどうしたら良いのか分からない。
なにより居場所がまったくつかめない。呼びに行こうと探すとやれここにいたとか。あっちにいたとか。ふらりと蜃気楼のように場所が変わる。そうしてやっと見つけ出して頼みごとをすると無表情のまま断ると言ってくる。
この隠れ家にいる以上少しばかり手伝ってくれてもいいと思うのだが、勝手に連れ帰ったのをまだ怒っているのだろうか。だとしたら俺の言うことを聞いてくれないのは仕方ないが、それでもその腕を借りたいと思うのは勝手が過ぎるのだろうか。
自分の部下では無いし、かといって仲間と言う言葉でもない。ならば何故連れて帰ったのか。それにも明確な答えはクライヴには難しかった。それでも消えていくには放っておけないとその手で抱いて連れて来た。
目を覚ましたバルナバスは驚愕したがそれでもそれがミュトスの願いならとこの隠れ家に居てくれることを了承した。そこまでは良かった。
日がな一日中書物に目をやったり、あるいはヴィヴィアンやハルポクラテスと言葉を交わして彼だけが知る過去の貴重な情報を交わしている姿も目にした。気がついたら消えてしまいそうなほど覇気の無くなったかつてのオーディンは陽炎のようにゆらりとクライヴの視界に現れては消えていく。
そのきままな姿は猫を思わせるが本人に言ったら怒られるだろう。
そんなバルナバスだがその腕はドミナントの力を失っても輝きを失うことは無く、今の自分では勝てないほど雄々しく全てを切り裂くまさに絶対の剣だった。
各地で起こる魔物の被害はまだエーテル溜まりが解消されても無くなることは無く、隠れ家のクライヴの元には各地から応援や対策の相談がひっきりなしに来ている状況だった。
石の剣を派遣してもいいが、何せベアラーの率が高い。魔法の力に頼っていた者も少なくない。となれば実践の感覚が狂う可能性もある。そんな状況で気軽に派遣するわけにもいかず、それならば自分が出向けば速いとクライヴが自ら剣を手に出ていくことが多かった。
その依頼に独りよりもやはり誰か共に来てくれると心強いとバルナバスを誘うのだが。いつもそんな些事に私を突き合わせるのかねとか。わざわざ貴様が出張ることではあるまい、自重したらどうかねと言われて袖にされていた。
その力があるなら来てくれるぐらい、構わないだろうに。といざ自分が赴くと後ろから追いかけてくるのだから訳が分からない。なら最初から来てくれればいいのではないだろうか。
しかも付いて来る時はそうとう不機嫌なのか顔は怖いし、説教までしてくる。そんなに俺は信用が無いのだろうか。
はあっとため息を付きながら重なった手紙を見つめる。まだまだ世界は落ち着かず、混乱したままだ。いつの日かこの量が無くなる日はくるのだろうか。俺達が必要とされない世界……きっとそれが望んだ結末なのだろうけれど、そこに至るまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。今日もびっしりと『大罪人シド』への頼み事は尽きないぐらい届いている。
さて、これらをどう割り振るか……広げた複数の手紙を並べ、クライヴが考え込む。その道筋を想うと順繰りに北から回っていけば解決できそうだな。と。
それにはやはり独りでは心許ない。となれば……
「おーい、クライヴ。いるか?」
「ああ、入っていいぞ。ガブ」
二つ叩かれた扉にクライヴが返す。勢いよく扉が開かれると先ほど呼んでおいたガブがこちらに手をあげてやってきた。
「すまないな」
「お前の為ならどうってことはないさ、それでどうした」
「ああ、これらの依頼なんだが」
そういって机に広げた手紙を示すとガブがその瞳を向ける。北から南まで、むしろこの隠れ家を出て風の大陸を一周するような置き方にまさかとガブがクライヴを見る。
「まとめて片づけてしまおうと思ってな」
「まてまてまて、まさか一人で、か?」
何日居なくなるつもりかとガブが目を見開く。
驚く姿にまあ、そうだよなと苦笑しながらクライヴが言葉を続けた。
「俺だけで行くのがいいだろうが、それだと怒られそうだからな……出来ればバルナバスと行こうと思っているんだ」
「……お前、そういうとこ本当凄いよな。普通一緒に行こうって言うか? 仮にもあれだけ派手にやりあった相手に」
「今は敵では無いだろう?」
さらりと言ってのける精神にガブはお手上げだと肩をすくめた。
「それで頼みなんだが……」
「おいおい、俺に何を頼むつもりだよ……あの王様の説得とか言い出したら俺は裸足で逃げるぜ」
クライヴにそう言い放ってガブは牽制しておく。あのバルナバスに説得なんて話しかけることすらガブには出来そうにないと言うのだから。
「はは、出来たら嬉しいが。そんな事をお前に頼めないよ。俺がガブにしてほしいのはバルナバスを見張ってくれってことだ」
「見張る? 俺が、あの王様を?」
クライヴの願いを繰り返すガブにそうだと目の前のリーダーは頷く。
「ああ、俺がこの依頼を片づける準備をする。出来たらすぐバルナバスを連れて出発したいからどこにいるか見張っておいてくれないか?」
「いや、なんでそれ。俺に頼むんだ?」
「お前以外に任せられる奴はいないだろう。誰よりも目が効くのはガブじゃないか」
にこりと笑い恐ろしい頼みごとをするクライヴは決まったと立ち上がる。
「なに、すぐに終えて出るからそう長い事じゃない」
「いや、そうじゃなくて」
ガブが言葉を選んでる間にクライヴは自室の武器が乱雑に置かれた荷置きの場所を探り、数日かかる旅路に必要な二人分荷物を作るべく作業を開始する。
「あんた、説得できるのか。あの王様を」
「どうだろうな、もし駄目だと言われたら仕方ない。一人でさっさと片付けてくるさ」
だから頼んだぞ、ガブと言うと足りないものをメモしてクライヴが立ち上がり、手紙の束を回収に机に戻ってガブの肩を叩いた。
「あの……さ。クライヴ。そのことなんだが実は俺王様に……」
「あっ! カローンは今日仕入れに行くと言っていたな。こうしてはいられない、まだ居るうちに薬草をもらって来なければ……」
「ちょっ、クライヴ?!」
はっと気付いたら行動は早かった。ガブに頼んだと再び告げると慌てて扉の外に走り出す。行く先は食堂傍のカローンの店で、なるほど追いかけるように見ればグツとまさに旅立つ所だったらしく足止めされたカローンの小言が飛んでいた。
「まったくどうしろって言うんだよ……」
思わず頭を抱える。なんで二人とも自分に言うんだよと、げんなりとした気持ちに包まれて腰を下ろした。ぎしりと重さを受けた階段の上の床が軋み、ガブがあーあと組んだ手に顎を乗せる。
互いに見張ってくれと告げた王様と親友。どっちもそっちではないかと。
そんなに二人して相手が気になるなら自分なんかを挟まずに二人でやってくれ。
「まったく、自分勝手なのも二人して自分達しか見てないところ、そっくりだよ」
ぼやいた言葉は誰に聞こえるともなく溶けて、隠れ家に降り注ぐ光に消えていった。