子ども部屋の御伽噺:TRUMP(ダリ+ウル) 陽も月光も同様に遮る、重いカーテンはまるで緞帳のようだ。
明るさの遮られた一室を、更に区切るようなベッドの天蓋の内側で、ウル・デリコは今が昼なのか夜なのかを考えていた。
使用人が水差しを交換に来た折に時刻を尋ねれば良かった。
しかし、軽蔑を隠そうとしない彼らの余所余所しさは、こうして伏せっている間は特に、何倍もこの身を苛むものだ。
時計はベッドの天蓋の影へと隠れていて、身体に燻る熱のせいで、自分にはそれを窺い見る体力もない。意識を手放そうにも、これまでずっと眠っていたからか、目だけが妙に冴えてしまっていた。
こういう瞬間に鎌首をもたげる不安を……不安と呼ぶにはあまりにも衝動的な激情を、ウルはよく知っていた。そして、諦めにも似た心地で、それにまた呑み込まれるのは時間の問題だと思った。おそろしい、おそろしい。いずれ、必ず至るーー。
予感のまま思考に沈みかけた瞬間、廊下からカツカツと忙しなく響いてくる音を聞いた。
そんなふうに高らかに鳴らす靴音の主は、この屋敷において一人しかいない。
「息災か息子よ‼︎ ……いや息災ではないわ寝込んでいるのだからな」
バン、と大きな音を立てて扉が開いたかと思えば、微かな光が部屋に一筋差し込んでくる。柔らかな光量から月光であろうことが分かって、ウルの疑問は思わぬ形で解消されることとなった。
「……お父さま?」
「まだ良くないのだろう、寝ていろ」
デリコ家の当主たるダリ・デリコは、扉を破るような勢いからは一転して、そっとウルを制すと、どかりとベッドサイドの椅子に腰掛けた。
そんな様子に、思わずしぱしぱと目を瞬かせてしまう。
「……眠れないのか?」
凝視するウルの視線を真っ向から受けて、気遣うようにダリはぎこちなく額へ手を寄せる。
戸惑いが勝って、ウルはどうにも、言葉を紡ぐことができなかった。
彼がダリ卿としてではなく、父として自身に接してくる機会は、年々少なくなってきているように思う。
だから、混乱してしまったのだ。こんな風に面と向かって優しく言葉をかけられることに。
「では仕方がないな……夢路のともに物語でも語って聴かせてやろう」
挙句ダリは、ウルの言葉を待たずにそんなことを告げてくる。
ーーお父さま。
発声のために喉を震わせようとした矢先、朗々とした口調で続いた言葉は、ウルの喉を瞬時にひりつかせた。
「ダンピールの……」
ビクリ、と反射的に肩が動く。
父は知っているのだろうか。屋敷の使用人たちが口にするあの噂話を。本当なら自分は、この特級貴族たるデリコの家に相応しくない存在であるという、その内容について。
しかし、次の瞬間に与えられた言葉は、そんな思考を飛ばしてしまうに十分な衝撃だった。
「……ヴァンパイアハンターの話だ」
「……えっ?」
我が意を得たり、と言う具合に、彼はにまりと笑う。
「そいつは珍しいことに、繭期を越えたダンピールだった」
「……ま、繭期を」
「そうだ」
思わず喉から飛び出た言葉は、絞り出したように細い響きだった。
「そいつは、血盟議会のとある『めっちゃ貴族でめっちゃすごくてめっちゃ偉いヴァンプ』と組んで、事件を解決する……」
そんな風にダリは生き生きと語り始める。
ダンピールのその人が、吸血種と肩を並べ、事件を調査し、時に敵対者と戦い、解決に奔走する。
それはとても、魅力的な物語だった。
「そ、それでっ⁈ お父さま、続きは……?」
興奮と同調するように熱が上がり、そうしてどんどん目蓋は重くなる。それでも、思わず尋ねずにはいられない。事件の顛末と、そして、彼の結末についてーー。
「ーー我がイニシアチブの下、命じる」
静かな声の主は、そのままウルの視界を覆うと、その夜の帳を下ろす。
ーー今の話は夢だ、忘れろ。
眠りに落ちる寸前。
前髪を撫でるように優しく悲しい声で、そんな言葉が聞こえたような気がした。
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ぼんやりと、覚束ない記憶の中で、微かに輪郭だけ覚えている物語があった。
ダンピールのヴァンパイアハンターの物語。
解決した事件の全容は朧げであるわりに、繭期を越え、快活に力強く生きるハンターのその様を、何故かありありと思い起こすことが出来るのだ――まるで、誰かが丹念に語って聞かせてくれたみたいに。
ぼんやりと記憶にしかないその物語は、出典がどうにも曖昧で、どうやって見聞きしたのかも思い出せない。そこがまた不思議だった。
しかし、かといって他者には尋ねにくい。なにせ、「ダンピール」で「ヴァンパイアハンター」だ。吸血種社会において二重に禁忌的な存在である。
自身がダンピールであることが、屋敷において公然の秘密のようになってからというもの、あの発作のような死への恐怖にどこか納得してしまったことも確かだった。
喘ぐようにやり過ごす絶望に微かな光が灯るのは、「負けるな」と請うような声が胸に響く瞬間と、「繭期を越えさえすれば」と、そのヴァンパイアハンターの物語を思う瞬間だった。
記憶をもとに、その物語を今なお探している。もちろん、誰にも悟られないようにひっそりと。
立ち入り禁止区画の書庫になら、そういう物語の書籍も所蔵しているのではないだろうか。そんな微かな期待のもと赴いたその区間で、ある一冊の本を見つけた。
「……TRUE OF VAMP……、TRUMP……?」
そうして、知ってしまったのだった。
吸血種の神さま――自身の願いを余すことなく、叶えてくれるかもしれない存在を。
【終】