俺は相棒の彰人のことが好きだった。初めて会った頃から、一緒に歌わないかと声をかけられたあの時から。ずっと燻っていた世界にあたたかい光が生まれたみたいに、もうこのまま暗闇の中に沈んでいくしかないと思っていた俺を、明るいところへ引っ張りあげてくれた彰人。そんな彼と出会ってから、以前の俺では絶対に見ることのできなかった新しい世界を見ることができた。それはありえないほど眩しくて、驚くほどに楽しい。楽しいなんて言葉では表せないほどの充実した毎日だった。彰人は何もなかった俺に夢を与えてくれた。他の誰でもない俺を相棒に選んでくれた。彰人にとってはそうしたくてしただけかもしれないが、俺にとっては人生が変わるほどの大きな出来事だったんだ。
今の俺があるのは、こうして俺が俺の想いを大切にしながら生きていられるのは____彰人のおかげなんだ。好き、大好き、愛してるなんて口先だけでは表現できない。胸の中いっぱいに彰人を想う気持ちがあって、彰人のことを考える度にズキンと痛んだりきゅんとときめいたり。こんな感情を抱いたのは彰人が初めてだった。
……だからこそ、彰人には絶対に幸せになってほしかった。俺たちの夢はRAD WEEKENDを超えること。俺の願いは彰人に幸せになってもらうことだった。彰人が幸せになるためなら、俺は何だってしたい。例え自分を犠牲にしても、大好きな彰人にだけは幸せでいてほしいんだ。
「冬弥」
「……あっ。なんだ 彰人」
我に返ると、彰人がこちらを見ていた。急に黙りこくってしまったのを変に思ったのだろう。購買で買ったサンドイッチを手に持ったまま、どうやら1人で考え込んでしまっていたみたいだ。
「さっきからサンドイッチ見つめてどうしたんだよ。食欲無いのか」
「いや……少し考えごとをしていた。すまない」
「ふーん……別にいいけど、なんか悩んでるなら言えよ」
優しい……好き……彰人が好きだ……こういうふとした瞬間に想いが溢れ出して困ってしまう。1人で抱えるのが難しいほどに気持ちが膨れていて、時々きゅうっと胸が苦しくなる。恋愛小説なんかで書かれている恋の痛みとはこれのことなのだろうか。
「いつもありがとう、彰人」
「これくらい当然だって。オレたち相棒だろ」
相棒。相棒……そうだ、俺たちは間違いなく相棒だ。彰人はよく俺のことを相棒だと言う。周りに紹介するときにもその言葉を用いることが大半だった。それが事実なのだから当然だ。……しかし、これだけ念押しされていると……やはり“それ以上”は望めないということなのだろうか。
「彰人」
「ん」
彰人のブレザーの袖を引く。彰人は既に昼食を食べ終わっていて、今は俺と話すためだけに此処に居てくれている。そんな優しさに勝手に期待を抱いてしまうのは、きっといけないことなんだろうな。
「……優しいな、彰人は」
「どうしたんだよ急に。このくらい相棒なんだから普通だろ」
「……そうだな……ありがとう」
これは俺が変に期待して勝手に嬉しくなっているだけだ。彰人はそのままの意味で、相棒として俺を想ってくれているのだろう。俺はそれがすごく幸せだ。彰人にとって特別な存在でいることができているのだから。相棒という立場があるおかげで、俺は彰人の隣にいられるんだ。
でも、それは今のうちだ。確実にタイムリミットは迫っているだろう。彰人に、恋人という存在ができた瞬間……俺は彰人の一番じゃなくなってしまうのだ。それは俺にはどうすることもできないものだった。あんなに気遣いができてかっこいい彰人を、女の人達が放っておくはずがない。たくさんの人が彰人と付き合いたいと思うのは不思議なことではないんだ。そしてもしそれが、彰人好みの女の人だったら。彰人に俺よりも大切な人ができたら、彰人の隣は俺の場所じゃなくなってしまう。……怖い。そんなことを想像するだけで胃がぐるぐると不快感を覚え、正気を保っていられそうにない。いつまでも彰人の隣に居たい。
「ねー東雲くん、放課後遊びに行かない ヒマな時教えてよ」
「え ああごめんね、チームで練習があるからちょっと難しいかな。誘ってくれてありがとう」
「そっかー、残念。練習頑張ってね」
……しかしそれは、ただの俺のわがままだ。彰人はよく女の人に声をかけられているし、告白だって何度もされてきたに違いない。いつか彰人好みの女の人が現れるだろう。離れたくないとはいえ、一方的な感情で彰人の邪魔をするのは本末転倒。俺が身を引くことで彰人が幸せになれるのなら絶対にそうするべきだ。……到底受け入れられそうにないが、いつかはその日がきてしまう。その時には、俺のこの感情は不要なものになる。もしそうなった時には潔くこの感情を捨て、彰人が幸せになれるように毎日願おう。ただ相棒として彰人を支えよう。
こんなにも非の打ち所がない彰人は、俺に執着されるよりももっと素敵な女性と結ばれるべきだ。彰人が幸せに笑っていてくれるのが、俺にとってこの上ない幸せだから。
◇◆◇
「冬弥、大事な話がある」
チームでの練習を終えた帰り道。小豆沢や白石と別れて2人で歩いている最中、真剣な面持ちで彰人に引き止められた。普段話している時にはあまり聞くことのない、緊張を含んだ声色だった。怒らせるようなことをした心当たりがなく、不安に思いながらも続く言葉を待った。それよりも彰人の双眼が不安そうに揺れていて、それが俺にまで伝染してくるようだった。
「オレ、冬弥のことが好きだ」
……すき 好き すき……
「…………へ……」
彰人の言葉はしっかりと聞き取れたのに、理解が追いつかず上手く反応できない。彰人が、俺のことを好き どういうことだ…… あ、もしかして……
「……俺も彰人のことが好きだ。ふふ、言わなくても充分伝わっているぞ。突然どうしたんだ」
彰人の“好き”は、相棒としての好意を伝える趣旨だろう。勘違いしてしまうところだった。とはいえ、こうして言葉にされると苦しさもある反面とても嬉しいな。彰人に好きと言ってもらえるのなんて、きっと今の間だけだろうし……
「違ぇよ オレは恋愛対象としてお前のことが好きだって言ってんだよ」
先程よりも声を張り上げた彰人に力強く肩を掴まれ、思わずたじろいでしまう。……彰人は何を言っているんだ…… 恋愛対象として好き…… 聞き間違いではないはず……そんな、そんなわけないだろう。彰人が俺のことを、好き 俺は夢でも見ているのだろうか。
「……えっ、と……」
「急に伝えて困らせてごめん。けどオレ、ずっと前から冬弥のことが好きだった。これからもずっと冬弥の隣に居たいって思うし、冬弥を他の誰かに渡すなんて絶対に嫌だ。……冬弥も同じ気持ちなら、オレと付き合ってくれ」
「……ぁ…………」
俺もそう思っていた。彰人の隣に立つのは俺だけがいいって、誰にも彰人をとられたくないって。彰人も、同じ気持ちだったのか…… 本当に……彰人が俺のことを……
「なあ、冬弥はオレのことどう思ってる」
「俺……俺は……」
俺も彰人のことが好きだ。今それを伝えれば、俺はずっと彰人の隣に居られる ……いや、そうとは限らないじゃないか。それに、俺が隣に居ては彰人が幸せになれない。だめだ。彰人の幸せを一番に考えるんだ。
「……すまない……俺は彰人と付き合えない。だが彰人の気持ちはすごく嬉しい。伝えてくれてありがとう」
今は自分の気持ちを笑って誤魔化すことしかできない。でもすぐに受け入れるから。彰人の隣に居るのを諦められるように、これから頑張るから。だからその日が来るまでは、相棒として彰人の隣に居させてくれ。
「……それは、冬弥はオレのこと、別に好きじゃないってことか 頼むからそれだけ聞かせてくれ。じゃないと諦めきれねえ」
今にも泣きそうな顔の彰人に真正面から見つめられる。潤んでいても力強さを失わない彼の瞳に自分の顔が映っていて、自分まで泣きそうになった。
彰人が粘り強くてすぐに折れたりしない人間なのは知っている。でも俺のことでこんなにも真剣になってくれるなんて。____あの時と変わらない。一度離れようとした俺に愛想を尽かさず引き戻してくれたあの時から、彰人はずっと俺のことを大切に想ってくれていたんだ。なら余計に、彰人の幸せを願わないわけにはいかない。そのためには俺の想いには蓋をしないと。
「俺は彰人のことが好きだが……それは相棒としてだ。彰人と付き合いたいとは思ったことがない」
「……だったらなんでお前、そんなにつらそうな顔してるんだよ」
「……え つらそうな顔……」
顔に出てしまっていたのか 俺は無愛想なのだから、簡単に顔には出ないはず。まさか表情を読み取られてしまうとは。彰人のために身を引くと決めたんだから、そんな顔をしていてはだめだ。
「気のせいだろう……何もつらいことなんかないんだから……」
「なに誤魔化そうとしてんだ。オレはお前の相棒なんだぞ。お前が嘘ついてるってことくらいわかる」
……ずるい。せっかく決意したのに。そんなことを言われたら揺らいでしまう。彰人は誰よりも俺のことをわかっていて、どんなに取り繕っても全部バレてしまうんだ。
「なあ、冬弥はオレと一緒に居たくないのかよ」
「それは……っ……」
「本当のこと言え、冬弥」
強く掴まれている肩がじんわりと熱い。彰人の手の温度が伝わってきて胸が締め付けられる。俺が自分の気持ちを殺そうとしても、彰人は絶対にそれを阻止するんだ。俺から決して目を逸らさずに、想いに向き合えるまで待ってくれる。彰人が隣に居てくれる限り、俺は自分の想いを殺すことなんてできないんだ。
「……俺も彰人のことが好きだ……相棒としても、恋愛対象としても。さっき彰人が伝えてくれたのと全く同じ気持ちだった……俺も、ずっと彰人の隣に居たいと思っている……」
ぽつぽつと呟いた言葉を、彰人は黙って聞いてくれていた。俺が言い終わると、彰人の腕の中に強く閉じ込められる。あたたかい体温と彰人の匂いに包まれて、脳が幸福感を覚えた。
「はあ……よかった…………」
「彰人……」
「ったく、最初からそう言えよ……」
ああ、俺が好きと言うだけで彰人はこんなに安心して嬉しそうに「よかった 」と言うのか。こんなにも不安気な優しい声は初めて聞いた。……でも違う。気持ちを伝えたからといって、俺は彰人と付き合ってはいけないんだ。
「彰人、俺は彰人のことが好きだが、付き合うことはできない」
「……え、なんでだよ」
俺を離した彰人の瞳がまた不安そうに揺れる。その顔を見ると胸が痛んで仕方ない。彰人には笑っていてほしい。
「彰人は俺と付き合っても幸せになれない……彰人は俺なんかよりも、もっと素敵な女性と幸せになるべきだからだ」
「は 何言ってんだよお前」
何を言ってるって、彰人のためを思って言っているんだ。彰人の幸せを考えるのなら、今俺と付き合ってはいけないんだ。俺と付き合ったら、彰人はこれから女性との出会いが無くなってしまうだろう。俺よりもっと魅力的な女性がいても、俺のせいでその女性と親密になれなかったら。俺が彰人の幸せを邪魔したことになる。
「俺が彰人と付き合うと、彰人は幸せになれない。彰人は魅力があるし、この先どんな素敵な女性と出会うかわからない。その時に俺が彰人を独占していると、彰人の邪魔になってしまうだろう」
「……何言ってんだ オレは誰に好きって言われたって冬弥が好きな気持ちは変わらねえ。この先どんなヤツに出会おうと、オレの隣は冬弥がいいんだ」
「だめだ、彰人には幸せになってほしいから、俺は……」
「オレの幸せを思うなら尚更だろ」
だんだんと怒りを募らせていた彰人が声を張り上げた。目の前を覆っていたもやが晴れたみたいに、彰人の声が、力強い目線が、俺に突き刺さる。
「オレは冬弥じゃないとだめなんだって 冬弥が隣に居てくれることがオレの幸せなんだって…… わかれよ……」
彰人の言葉に嘘はない。わかっている。そんなふうに言ってもらえてすごく嬉しい。
「だめなんだ……」
なのにまだ自分の気持ちに正直になれないのは何故だろう。きっと彰人の言葉を完全に信じきれていないんだ。いつか俺より素敵な人と出会って、彰人がその人を好きになってしまったらって……臆病になっているだけなんだ。相棒の言葉も信じられないなんて情けない。彰人に申し訳ない。そう思うと、流すまいと思っていた涙が零れ落ちてしまった。
「俺だってずっと彰人の隣に居たい……だが、それでは彰人が幸せになれない……」
……後から捨てられて傷つくくらいなら、初めから付き合わない方がいい。しかしこれではただの保身だ。彰人のためだなんて言いながら、結局俺は自分の気持ちを優先しているじゃないか。
恋をするとこんなにも胸が痛い。正解も不正解もわからなくて、どんどん関係がこじれてしまう。でも、彰人の幸せを願う気持ちは変わらない。これで彰人は将来、素敵な女性と結ばれるだろう。これがきっと正解だ。……好きな人を想って自分が諦めなければいけないのがこんなにも苦しいなんて思わなかった。
「……そうかよ」
ああ、これで彰人と付き合うことは完全に諦めなければならない。覚悟していたはずなのに胸が痛くて、足元がふらつく。気を抜くと今にも倒れてしまいそうだ。頭の中がいやに熱くて目眩がする。……本当は彰人と離れたくなかったな……
「え、」
そう思っていると、突然彰人に手を掴まれる。顔を上げると、彰人はスマホを操作していた。何をしているのか窺う暇もなく、俺は彰人と共に光に包まれた。ああ、俺たちのセカイへ繋がるあの曲を再生したのだと、ふわふわと浮くような感覚の中で思った。