桜、酩酊、未必の恋。───────────────────
「ふふ、ゼノ! ゼノも飲んでっか!」
「そういう君は少々飲み過ぎじゃないかい、スタン」
「飲もうって言ったんは誰よ」
確かに誘ったのは僕だ。
今年も桜の季節だねと嬉しそうに話す旧世界・日本育ちの弟子たちの様子を見て、僕たちも是非見に行ってみないかと声をかけたのは僕だ。
どうせならお酒でも飲みながら、という提案をしたのも、確かに僕だった。
それは紛れもない事実である。
出たゴミを持ち帰るために持ってきたビニール袋には、既に3つ、空になったビールの缶が入っている。それも350mlではなく500mlのものだ。
桜の観測に適した場所を探す前、立ち寄った店で迷いなく6缶パックを手に取っていた時点で何となくそんな気はしていたが、察しが付いていたとしても今日のスタンの飲酒スピードはすごい勢いだった。
彼は間違ってもストレスをアルコールで発散するようなタイプではないので、これはただ単純に楽しむために飲んでいるのだろう。どうやらこの突発的な花見を随分と楽しんでくれているらしいことだけは分かる。
「桜、本当に綺麗じゃん。思った以上に良い肴になるね」
「そう言ってもらえると誘った甲斐があったよ。あの子たちが浮かれていたのも納得の美しさだね。かつての日本人が何千年もかけて愛でてきた品種とはまた替わっているのだろうが……」
「少しぐらい昔と違ってたって、そいつを愛してきた想いまではそう変わんねえんだろ」
「君がそんなに桜を気に入るとは、少し意外だったよ」
僕がそう返せば、スタンはバッとその場から2、3歩後ずさりながら、心底驚いたような顔をしてこちらを見た。酔いが回っているのだろう。耳や頬まで赤い。
「ウソだろ! ゼノ、今の分かんねえ?! ストーンワールドでロケット飛ばしたトップ科学者様の内の一人が聞いて呆れんぜ」
「おおスタン、僕は今どうして急に罵倒されているのかな」
「どんなあんたでも俺はずっと愛してるって言ってんだよ」
そうして呆れたようにふっと笑ったスタンから、キスが落とされた。
頭上から舞い落ちてくる桜の花びらに紛れながら、酒臭くて煙草臭いキスが、僕の額に。目尻に。頬に。鼻に。唇に。首に。手の甲に。
キス、キス、キス、──キスの雨が降る!
雨を通り越して、もはや嵐だ。こうなったスタンは誰にも止められない。
時折そばを行く通行人は僕達を見留めるとハッと顔を赤らめたり、ギョッと顔を青くしたりしてはそそくさと去ってゆく。
おお、分かっていたとも。
どんな僕も愛してくれてきた君だけど、きっと今の僕の姿を一番尊んでくれているのだろうね。
散らされ続けるリップの色で元の自分の顔色がわからなくなる前に帰らなければと思うのに、一心に向けられる愛情が心地良くて、動くのが勿体なく感じる。
スタンほどじゃないけれど、僕も軽く飲んではいるし、ここでふたりきりアルコールに鈍らされた意識の波間に揺蕩っていたいのも事実だ。
ああ、だけど──。
「なあゼノ……」
「おっと……。『待て』だ、スタン。君のその顔は、流石に僕だけのものにしておきたいからね」
「ん……」
スタンの表情に、声に、酔いのせいだけではない熱が混ざり始めた。
帰る頃には冷えるかもしれないと念の為に持ってきたコートを頭から被せてやり、この素晴らしい生き物を世界から隠してしまう。
さあ帰ろう僕たちの家へ。
君が僕を尊んでくれるように僕も君を世界で一番尊いものだと思っているよ。
だけど僕の愛は君がくれるのものとは少し違っていて、まっすぐな愛を持つ者からしたら厄介だなんだと言われるのかもしれないね。
それでも君はきっと、そんなところも愛していると言ってくれるのだろうけど。
いい大人が2人、鼻歌なんか唄いながら桜が舞い散る夜道を歩く。
吹く風はほのかに冷たく僕たちの体を撫でたけど、その程度では冷めない熱に浮かされて、この日僕たちはひと足早い熱帯夜を迎えたのだった。
完
250330