食物連想ゲーム 人は誰かを忘れる時、まずはその声を忘れる。
こんな嘘か本当かもわからない話を聞いたのはドラマの撮影現場だった。円城寺さんが出演したドラマを見学しに行った時に、なんとなく見覚えのある男優がそう言っていた。
もちろんこんなのはセリフでしかないし本当かどうかもわからない。それでもその言葉は脳にこびりついて鈍色に揺れている。なんだか試されているみたいで気分が悪かった。
妹と弟の声はまだ覚えている。大丈夫、と何度目になるかもわからない納得を自分自身に与えながらぼんやりとテレビを見ている。ひとりだったらきっと「大丈夫、」って口に出していたかもしれないけど、いまは隣にコイツが転がっているから意識して口を閉じていた。
なんで今日に限ってコイツがここにいるんだろう。コイツの気まぐれを読み解こうだなんて思わないけど、たまにひどく心がざわめいて少しだけ暴力的な気持ちになる。そうして少しだけ自己嫌悪をする。そういうの、誰も知らない。
俺は何も言ってないけど、テレビがついているからコイツは退屈なんてしていないはずだ。それなのにコイツはテレビの音なんて聞こえてないみたいに俺に目線を向けて口を開く。開いた唇から覗いた牙を見て、俺はテレビじゃなくてずっとコイツを見ていたことを他人事みたいに知った。
「チビ、昼間の話気にしてんだろ」
「……だったらなんだよ」
「だったら、最後まで覚えてんのってなんなんだろうな」
俺の返事を聞いてるのか聞いてないのかわからないことを言ってコイツは笑った。昼からずっと気にしていたっていうよりは気まぐれに思いついたんだろう。なんというか、嫌な話だ。
たったひとつ残るまでにいくつ忘れるかなんて、考えただけでもゾッとする。忘れるつもりはないし忘れる気もしないが、ざわざわとした気持ちは思考のほつれから虫食いのように浸食してくる。
つまるところ、不安なんだ。
「……なんなんだろうな」
なんなんだろう。最後に残るモノも、オマエが言いたいことも、なんにも検討がつきやしない。オマエだってバカなんだから、バカな俺に難しい話をしないでほしい。文句を言いたいけれどなんて言えばいいのかわからない俺の気持ちなんて全部無視して、コイツは俺の腰に腕を回してきた。猫が伸びるみたいにからだを伸ばしたコイツは俺の首筋に顔をうずめる。
「……匂いかもな」
匂いなんてオマエと同じ石鹸の匂いしかしないだろ。言い返すのもバカバカしくて、引き寄せて、抱きしめる。
「……どうだろな」
やっぱり石鹸の匂いしかしない。それなのにコイツは言う。
「チビの匂いは忘れねー気がする」
「……はぁ?」
なんかびっくりするくらいムカついた。オマエは絶対に『いなくなる側』に決まってるくせに、なに言ってんだよ。根拠なんてないくせにそう思った。今すぐコイツを殴り倒して俺がどれくらいやるせない気持ちになったかを教えてやりたくなった。殴ってやろうか。ぐっと堪えて、堪えきれなかった衝動のままその白い肩に噛みついた。
ぷつ、と皮膚が破けて口の中に血の味が広がっていく。目の前のわけがわからない生き物の血が自分のモノと同じ味なのがなんとなく馴染まなくて笑いそうになる。コイツは悲鳴のひとつもあげないから、ここには俺のくぐもった声しかない。
「味かもな」
近すぎて表情が見えない。怯えてるのか、呆れてるのか、わからない。
「忘れないの。味かも」
「……変なの」
コイツはなんの抵抗もしないで俺の腕の中に収まってた。味か。味なら最後まで覚えていられるんだろうか。まぁそもそも味なんてコイツの以外知ることもないんだろうけど、自分の血の味と混ざってしまわないかちょっと心配になる。
味か。全部食っちまえば、胃の中に仕舞ってしまえばコイツはいなくならないんだろうか。なんでコイツにはいなくなるイメージがつきまとうんだろう。なんで俺は、コイツがいなくなるイメージに怯えてるんだろう。食っちまうか。いや、それっていなくなるってことなのかな。
ぼんやりしてたら唇がビリッてした。目の前にコイツの顔があって、その唇を彩っているのは俺の血なんだと理解する。
「……痛ぇよ。バカ」
コイツの真っ赤な舌が真っ赤な血を舐めとる。本当に楽しそうに、コイツが笑う。
「くはは、やっぱ匂いのが忘れねーだろうな」
「……そうか」
それならそれで別にいい。でも一生覚えてるのは俺なんだろうな。オマエは絶対に俺のことなんて忘れるだろ。別に、いいんだけど。