皮相観 しゅーくんはきっと僕のことが好き。
本当かどうかなんてわからないけれど、そうだったらいいなって思ってる。
だから僕は彼が見せるいろんなことを好き勝手に解釈して、組み替えて、構築して、自分勝手にしゅーくんの心を定義づける。だってしゅーくんはテレビに映る僕を熱っぽい目で見つめているし、僕が微笑めば耳を少し赤くして見せる。みのりさんに写真をもらっていることだって、僕は知っているんだから。
自惚れたことなんて人生で一回もないんだから一度くらいいいじゃないか。そう思って、やめられないでいる。怒られたらやめるつもりだけれどバレるつもりもない。
例えば授業中、窓越しにボールが高く高く飛んでいくのを見た時なんかに、ふと考えて微笑む、みたいな。益体のない、かわいらしいもの。
羽化したらきっと美しい蝶になるだろうに、飛べるようになったらいなくなってしまうから。だから物言わぬ蛹をただ愛でている。そういう不毛な愛を彼の眩しさに透かして遊んでいる。殻の中に、ドロドロの液体が満ちている。
しゅーくんが深刻な顔で悩んでいる。アイドル活動と関係があるような、ないような。そういう微妙な問題だからぴぃちゃんには言いにくいと言って、僕たちは渡辺さんに相談を持ちかけていた。
なんだか、しゅーくんのファン同士が喧嘩しちゃったんだって。
しゅーくんはアイドルになる前から音楽を作っているから、その時からのファンがたくさんいる。その中にはアイドルとして人気が出たしゅーくんを受け入れられなかったり──?
「えっと、なんでしたっけ」
「古参、だね。昔からのファンってありがたいけど……」
「暴走すると、ちょっと……」
好きでいてくれるのはありがたいんですが。
本当にありがたいと思っているのがわかる優しさを空色の瞳に湛えながらも、しゅーくんの眉間にはシワがキュッと寄っている。指先でシワをちょいちょいと伸ばしてやれば、近づいた距離にまたしゅーくんがドキリと心臓を跳ねさせた……ような気がした。
「この顔ファンというのはなんだ?」
えーしんくんは書き込みのひとつを指す。ああ、と渡辺さんがその疑問を引き受けた。
「顔だけが好きなファン、って感じかな。うーんと……つまり、」
この『古参』は『顔ファン』のことを、しゅーくんのことを顔しか知らないくせに好きだと言うのが気に食わないらしい。言いたいことはわかるけど、同時に憐れみのような気持ちがぶわっと肺に満ちて、自分の浅ましさに眩暈がしそうになった。
でも、だって、この人だってしゅーくんのことを何にも知らないくせに。
僕と目が合った時のしゅーくんの、その淡く染まった耳と目尻をこの人は知らない。いくら『古参』だって、僕よりもずっと前からしゅーくんのことを知っていたって、この人は知らないんだから。
「顔ファンって、いけないことなんですかね?」
しゅーくんの声で我に返る。みのりさんは難しそうに唸りながら逡巡した後に「俺はありだと思うけど……」と呟き、とてもキレイな瞳で告げた。
「この話はすっごく長くなる」
「ならそれは次回にしましょう」
ナイス、えーしんくん。
でも『顔ファン』かぁ。確かに中身を何も見てないって言うのはどうかと思うけど、無関心よりはずっといい気がする。顔だって、ちゃんと僕の一部なわけだし。
「顔だけでも、好きになってもらえたら嬉しいのにね」
「本当ですか?」
「え、……しゅーくんは嫌なの?」
しゅーくんはキョトンとしたあと、濡れた子猫のように首を振った。そうして、なんだか安心したように「そうなんだ……」と誰にともなくふにゃりと笑う。
「まぁ、あんまり酷くなるようなことがあればプロデューサーがなんとかすると思うけど……ファン同士の争いに俺たちが首を突っ込むのは違うと思うな」
というか、されたら心臓が止まるよ。みのりさんがふざけるように心臓を押さえてみせたけど、ちょっと膝が震えていたから本気で想像しちゃったのかもしれない。
「子供同士の喧嘩に親が出るようなものか?」
「いやいやいや、民草が揉めていたら神が降臨するようなものだよ!」
「神の顔ファンってヤバすぎますよ」
雰囲気が一気に弛緩して、ひとまずの結論が出たことを教えてくれる。
僕は飲み物を取ってくると立ち上がって、わざと一人になった。僕はしゅーくんのことを何にも知らない『顔ファン』と、同じくらい何にも知らない『古参』の見えもしない表情を想像していた。
「お邪魔します。しゅーくんのおうち、ひさしぶりだね」
「適当に座っててください。麦茶でいいですか?」
「おかまいなくー」
えーしんくんは後からくるし、お菓子はその時に広げればいいか。そんなことを考えながら荷物をおろすと、いくつかの雑誌が目に留まった。
無動作に散らばっているんじゃなくて、きちんと重ねられた雑誌のいくつかには見覚えがあった。この雑誌の全部に僕が載っていて、幾つかは表紙も僕だった。
やっぱり、しゅーくんって僕のこと好きなのかも。
想像上の蛹が葉と共に揺れている。可愛らしいと思う。綺麗な蝶になることがわかっているんだから、いなくなってしまうくらいなら空想の中でだけ羽を広げてくれればいい。そうやって、知らんぷりできている今が一番楽しいんだ。
でも、忘れていた。しゅーくんは何でもかんでも言葉にしてしまうことを。
「あ、しまうの忘れてた」
麦茶を持ってきたしゅーくんが「マズった、」と口に出す。僕は何を言おうか迷って、とりあえず麦茶のお礼を言った。すると、それが気に入らなかった様子で、しゅーくんが口を尖らせる。
「見たでしょ」
「表紙だけ、だけど」
「ならわかるでしょ」
んんー? と意味もない声を出すだけの僕の膝をしゅーくんがぺちりと叩いた。盛大にため息を吐いた後、まぁいいかと一人納得した様子でこちらへと向き直る。
「……百々人先輩、こういうの嫌じゃないって言ってましたもんね」
んん? と、今度は声に出さずに唸ってしまった。しゅーくんは何やら照れくさそうにしたあとに、覚悟を決めた男の顔をして僕に言う。
「好きなんです。百々人先輩の……顔、すっごい好みで」
「……うん」
顔が好き、の、その次の言葉を待った。でも、続く言葉は考えたこともないものだった。
「その……俺、いわゆる『顔ファン』っていうか……百々人先輩の顔、すごく好きなんですよ」
「……え?」
「もちろん先輩は大切なユニットメンバーですよ!? でも、そういうのじゃなくて……本当に顔が好きで……あ! 顔が好きなだけで、邪な気持ちは一切ありませんから!」
だから安心してください! そう言い切られてしまうが、僕としたら何をどう安心したらいいのかわからない。先日のことをぼやりと思い出す。思考のパズルがハマっていく感覚がして、その欠片が触れ合った隙間から生ぬるい液体が漏れ出るようで。
「あー、言えてスッキリした。百々人先輩が顔ファン嫌いじゃなくてよかったです」
胸の内を曝けだしてスッキリしたのだろう。とんでもなく晴れやかな笑顔で笑うしゅーくんは可愛い。古参も顔ファンも知らない、僕だって考えたこともないような理由で彼は笑う。
──しゅーくんが僕の顔ファンなら、彼にしか見せない顔をしてやろうか。
そう思ってはみたものの、うまく泣くには時間も覚悟も足りないみたい。だから曖昧な笑みしか浮かべられなかった。目の前の顔ファンは少しだけ耳を染めて、なんだか幸せそうに微笑んでいた。