タケ漣と間接照明 間接照明を買った。貰ったでも拾ったでもない。わざわざ店舗に赴き、選び、金を出して手に入れた。
買ったのは香箱のように座っている白猫を模した、間接照明と呼ぶには少しチャチな照明だ。人の頭程度の大きさで、上から押すとぼんやりと光る。卓上に乗せたら思いのほか存在感があったので、パイプベッドの脇に置くことにした。
タケルがこの頼りない照明を買ったのは、彼がチャンプと呼んで溺愛している猫をイメージしたアイテムが欲しかったから、ではない。インテリアに拘りだしたから、でもない。ただただ、タケルには下心があった。
そもそも大河タケルという男は、情緒には欠けるがロマンチストなのである。クリスマスには恋人と二人きりで過ごしたい。夏は浴衣で恋人と花火大会に出かけたい。恋人の誕生日には百本の薔薇を贈ってみたい。そういう、テンプレートでポコリと型を抜いたようなイベントに憧れていた。
しかしタケルの恋人である牙崎漣はそういったものに興味がない。そもそも、そういうありがちで夢見がちな恋愛の形を知らないのだ。そしてこれはタケルの不満でもあるのだが、彼らは「僕と付き合ってください」「まぁ、私でよければ」というやりとりで、恋人としての段階を踏んだわけでもなかった。漣がタケルの家に居座る頻度が増え、徐々にタケルが絆されて、いい雰囲気になって、キスをして。そうして数週間前に体を重ねてから、片手では足りぬほどの情交に耽っている。爛れた仲だと言うことは簡単だろうが、タケルがそれにどれほどヤキモキしているかを知れば、またそういった関わり方しかできない漣の難儀さを知れば、人を慮ることのできる者なら責めることはできまい。応援くらいはしてやりたくなる。
キスにせよ、セックスにせよ、タケルは常に了解を取る。流されるままに、なあなあで事に及ばないのはタケルができるせめてもの抵抗だった。それを適当な言葉で流しては自らタケルに触れてくる漣だが、要求が多い。彼の気質を考えたら少ないくらいだが、世間一般にしては多いだろう。というか、頼み込んでいる手前、タケルが要望を口にしないというほうが正しいか。
要望を飲むことが嫌なわけではない。しかし、不満もある。その不満がタケルに間接照明を購入させたわけだが、これには説明がいるだろう。
牙崎漣が、行為に及ぶときに必ず電気を消させるのだ。
タケルは漣の見た目だけに惚れたわけではない。惹かれている要素の、その大部分は精神的な美しさによるものだ。しかし、ならば見た目はどうでもいいかと言われると、そんなことはない。ちやほやと華があると持て囃されている様子はいまいちピンとこないのだが、じっくりと見れば綺麗だという評価に異論はない。そしてなにより、自分の手でぐずぐずになっている恋人の姿を見たいというのがタケルの本心であった。
漣は夜目が利く。まるで猫みたいだとタケルは思う。金色の双眸が暗闇でカーテンの隙間から忍び寄る僅かな月明かりを取り込み妖しく光る様子が如何にも猫っぽい。その目で、真暗闇にしか見えない空間をしなやかに切り取って、その白い指でタケルに触れてくる。たまらない、と何度も思った。触れてしまえば輪郭は手を伝ってハッキリと理解できるが、表情はそうはいかない。顔が見たい。電気をつけたい。しかし断られてばかりだったタケルはムード作りを学ぶべくインターネットの大海へと漕ぎ出した。そこで、間接照明の存在を知ったわけだ。
これならムードも出るし、顔も見える。一石二鳥で望みが叶うわけだ。猫の形にしたのは店で見て一目惚れしたからだが、この形ならアイツも興味を持つだろう、と自分の買い物に頷いてみせる。興味を持ったものならつけてても文句は言うまい。
照明を買ったその日に漣はやってきた。タイミングが良すぎて、ゲームか漫画のようだ。タケルはベッドの脇にあった間接照明をこれみよがしに漣がいつも座る座布団の近くに置いて反応を待つ。食事中はなにひとつ気にしなかった漣だが、一通り平らげたあとに気がついたのだろう、その蜂蜜色の双眸で、猫のように、猫の形をした照明をジッと見ていた。
「それ、光るんだ」
何も聞かれてはいないのに、我慢ができずに声をかけた。漣は「ふーん」と言った後、ぺたぺたとそれを触る。うまい具合に押せたようで、スイッチが入り猫がぼやりと光る。予期せぬ挙動に、漣は「うお、」と言って手を離した。
「な? 光るだろ」
「はっ、光るからなんだってんだよ」
光るからオマエの顔が見えるようになる、とは言えなかった。そもそもそういった触れ合いが毎日あるわけではない。いくら明日がオフだからって、いくら二人が想いあっていたって、いくら月が綺麗だからって、しないときはしない。したい時にだって、漣が偉そうに『ジヒ』をくれなければ、口付け一つ叶わないのだ。
漣はじっと灯りを見ている。ぴく、と一度その整った眉を上げ、不満げ……というにはあまりにも勝ち誇ったように、口を開く。
「いつつけんだよ、コレ」
「……明るくしたいとき、だろ」
明かりなんだから。そう言ってタケルは口を閉じた。漣が真意に気づいているかがわからないので、迂闊なことは言えなかった。元々が無口な男だ。黙ったからとて違和感はない。それなのに、漣は何かを悟ったようにニヤニヤと笑う。
「オレ様は見えるからどーでもいいけど」
「……わかってるなら言わせてもらうが、俺には見えないんだ」
タケルの思った通り、漣には何もかもが見えているらしい。目の色素によって光の取り込み方が違うということを知っているわけではなかったが、自分とは何もかもが違う生き物なのだから、世界の見え方も違うのではないかとタケルが思った通り、その深海のような瞳と月のような瞳が捉えている世界は別物だ。
「見たいのかよ」
「悪いか?」
「ガキ。開きなおってんじゃねーよ」
漣は食器の下げられたテーブルの上に照明を置いた。少し高い位置に置かれた照明は、同じくらいの高さのベッドに広がるシーツをぼんやりと照らしている。その柔い色をした布の上に、漣が猫のように寝そべった。
「いつもみたく、部屋の電気は消せよ?」
「……部屋の電気はな」
タケルが電気を消すと、間接照明の灯りが少しだけ強くなったかのような錯覚に陥る。漣の白い肌が、薄い橙色に染まっている。唇がどうしようもなく艶やかで、タケルは思わず息を飲んだ。これでいいかと問えば、別に、と素っ気ない返事が夜を揺らす。
「チビがくだらねぇことで悩んでるとイライラするけど」
色素の薄い金の目が薄オレンジに染まっている。
「ここまでくだらねぇと、笑えるな」
退屈させんなよ。そういって漣は上機嫌に伸びをする。その様も、結った髪を解く仕草も、脱ぎ捨てた服の下から露わになった肌も、タケルには全部が見えていた。
「……なんというか、」
エロい、という即物的な言葉は既の所で飲み込んだ。代わりに自らも服を脱いでベッドに乗り上げた。向かい合って、逃さないと言わんばかりに肩を掴んでキスをする。迷いのない動作に一言、漣が「ほんとに見えてんだな、」と笑った。