勝者不在「僕ってカッコいいかも」
ソファーで伸びている百々人が隣に座る俺に聞こえるような音量で呟いた。視線こそこちらを捉えてはいないが、何も写していないスクリーンを見つめている春の紫陽花のような瞳は俺の言葉を待っている。
「そうだな。端正な顔立ちだと思う」
「それでね、すごく可愛い」
視線は相変わらず絡まないが、眺める横顔は『カッコよく』て『可愛い』。百々人がそれを認識しているのならなによりだ。
「ああ。顔立ちはもとより、雰囲気が柔らかくて愛嬌がある」
「なにそれ」
百々人がゆっくりと俺を見る。うっすらとした笑みを浮かべた顔は『キレイ』だった。その顔を歪めることなく薄桃色の唇が開かれた。
「じゃあ僕が醜くなっても好き?」
その言葉はどこか弾むようで楽しそうだ。百々人にはこういう、少し難儀なところがある。
「なんでそんなことを聞くんだ」
「わからない?」
わかる、気がする。そう答えるべきだろうか。そんな俺の思案はころころと転がるような笑い声に遮られた。
「キミは僕のことが大好きだね」
すっと伸びてきた手が俺の頬を撫でる。証明のようにその手を取って口づければ、その手で額を弾かれた。
「キミは僕の何がなくなったら嫌いになるの?」
「……無責任なことを言うつもりはないが、百々人が百々人である限り嫌いにならないだろうな」
「絶対にならない、って。言ってくれないんだ」
「その時にならないとわからない。ただ、嫌うことはないと思っている」
今度は俺から手を伸ばす。そっと触れた頬は冷房で少し冷えている。自分の指先がいやに熱く感じて、百々人が火傷をしないかだなんてありもしないことを考えた。
「僕が僕である限り……ねぇ、僕って何?」
百々人は俺の手を取り、指先を弄んで遊んでいる。そうして指を動かしながら自身の特徴を挙げていく。
「目、手、声、髪、唇、泣きぼくろ。頑張り屋で、優しくて、そうだ、愛嬌もある」
「ああ。だが、それだけじゃないだろう」
「そうだね。でもね、今のは全部えーしんくんが好きって言ってくれたところだよ」
そうか、と返す。百々人に必要なものは俺一人では差し出せない。だから百々人は俺が望んだだけでは花園百々人にはなれない。
「変なお菓子が好きなところもかな? ドリンクバーをいくら混ぜたって、キミは僕が好き」
「あのドリンクバーを好きだと言った覚えがない」
百々人は殊更に笑う。無邪気な笑顔を見せた後、目を細めて唇を歪めた。
「……あとは、親と折り合いが悪いところ?」
「……それは好きなところじゃない」
「家のことを打ち明けてからえーしんくんはもっと優しくなった」
「百々人が、そう感じたのなら」
俺はそんなところを好きだと思ったことはないが同情がなかったと言えば嘘になるだろう。だから百々人がそう感じたのなら反論する気はないし、百々人は時々俺よりも俺のことをよくわかっている。それでもこんな言い方をした俺をじっと見て、今度はキャンディを選ぶ子供のように問いかけてくる。
「困った?」
「少し」
まるで哲学のようだった。そう苦笑いすれば百々人は俺を真似るように困ってみせる。
「困らせたくないな。でもね、困らせるってわかってても……困らせたいのかな」
俺を困らせてみたいと百々人は言う。その気持ちをわかってしまう程度に俺は百々人に惚れている。ちぐはぐになる時がある。ありていに言えば、困った顔ですら愛おしい。
「好きなの。嫌われたくない。……えーしんくんがいけないんだよ、こんなに恋をさせるんだもん」
百々人が寝転がり俺の膝を抱きしめてきた。俺の膝に上半身を預けた百々人は俺のことを見上げて、こてりと首を傾げて口を開く。
「僕の顔が好き?」
「好きだ」
「じゃあ僕よりキレイな人が言い寄ってきたら乗り換える?」
「百々人の顔だから好きなんだ」
「それなら僕がブサイクでもいいんだ」
「きっとな」
「ふーん。僕の顔はどうでもいいんだ……なら、」
百々人の唇をぎゅっとつまんでその先の言葉を遮った。「む、」という顔をした百々人を見た俺はきっと腑抜けた顔をしていたに違いない。
「こういう、少し面倒なところも好きだ」
「……知ってる」
俺は下を向いて「届かない」と言った。百々人が体を起こし、俺たちの唇が触れ合う。数秒触れ合った後、百々人はまた俺の膝にぽとりと落ちてきた。
「知ってるよ。僕の面倒くさいとこ、実はだいぶ好きでしょ」
「バレたか」
撫でた髪はふわふわとして心地よい。気持ちよさそうに、猫のように百々人は笑う。そのぴょこぴょことはねた髪の毛に語りかけた。
「何をしても可愛らしいと思ってしまうんだ。仕方ないだろう」
あの哲学のような問いから随分と話が逸れてしまったが、百々人は満足そうだからいいだろう。きっとあの問いは変わらずに百々人の中にあるのだろうが、本質には触れられずともそれを俺が満たせたらと思う。
「それにお前が面倒なワガママを言うのは俺にだけだからな。特別だと実感して気分がいい」
「えーしんくんは誰にでも優しいから特別感がないよ。不公平だ」
百々人は楽しそうに怒ってみせる。俺は愉快になって百々人の頬に触れる。
「俺の優しいところは嫌いか?」
「大好きだから困ってるの」
「困らせてしまったな」
僕が困らせるつもりだったのにな、と唇を尖らせる百々人に「俺だって少し困った」と伝えた。もちろん、それが不快ではなかったとも。
「諦めよう。惚れたら負けというのはきっとこういうことだ」
「あばたもえくぼってやつ? ねぇ、これってどっちが勝ったのかな」
俺と百々人は顔を見合わせて笑う。勝者不在のシアタールームに隔離されて、たった二人で俺たちは笑う。