たいしたもんじゃないよ 聖書を読み上げるファングの声が聞こえる。
どうせターゲットは祝詞のようなそれしか聞いていないだろう。そう確信しクローゼットの扉を少し開ければ、柔らかなオレンジ色の光をまとったファングの声が明瞭になる。
ベッドに腰掛けたファングは、位置の関係で表情だけがうまく見えない。本に目を落とすように少し傾いた首筋を、銀色の髪がさらさらと流れている。ぼやけた灯りに、甘い色を与えるように。
一糸まとわぬ……単刀直入に言えば全裸のファングの膝を割るように、今日のターゲットが座り込んでいた。
ファングは淡々と聖書を読み上げる。ターゲットはひたすらにファングの内太ももに顔を擦り付けている。時折、汚いリップ音が響く。聖なる言葉を、ファングを穢すように。
やがて、その髪の薄い頭が持ち上がる。不健康そうな舌が腹をつたい、ファングの首筋に伸びた。ファングは救いを与えるようにその頭をなでて、後ろに倒れ込む。シーツの海に髪がきら、と揺蕩った。
覆いかぶさりでもするつもりだろう。ターゲットが一度立ち上がる。ファングとの距離がひらく。下卑た、と呼ぶにはあまりにも切羽詰った顔が見える。その頭に焦点を合わせて、引き金を引いた。
サイレンサーとはスグレモノだ。ターゲットは、銃声にすら見送られることもなく床に倒れ込んだ。
「あー、狭苦しかった。こんなとこ、スーツで入るもんじゃないね」
「チビだから余裕だろ」
ようやくクローゼットから出ることができた。ベッドに寝転んだままのファングと目が合うと、どちらからともなく笑ってしまう。
「…………てんしさまだって、ファングのこと。傑作」
「気持ちワリーやろうだったな。ま、死神様のお使いだ。あながち間違っちゃいねーよ」
「あー無理、笑いと鳥肌止まんない」
自分の体を抱くようにしてわざとらしく震えてみせれば、ファングの笑いが深くなる。男の舌が這ったあとが、てら、と光って、また鳥肌が立ってしまった。
見下ろすようにファングを見れば、ついているのは内太ももの鬱血痕と唾液くらいだ。あの男の精液がこの白い肌につく前にことが終わってよかった。表情には出していないつもりだったけど、見透かしたようにファングが言う。
「太もも舐めて満足するようなドヘンタイでよかったぜ。楽な仕事だ」
「楽でも仕事は仕事だよ、しゃんとして。ほら、服を着なよ」
服は丁寧にたたまれて枕元でお行儀よくしていた。僕よりもファングのほうが近いのに、ファングはそれを手にしようとしない。僕は僕でそこまで面倒を見る気もないから、ほっといてターゲットの持ってきたカバンを開く。
紙、紙、紙。よくもまぁこれだけ。それでもこんなのはほんの一部なんだろう。情欲を持った得体の知れない男にくれてやる程度には、偉そうな紙を持て余しているに違いない。
「権利書やら借用書やら、よくもまぁこれだけ集めたもんだ。この枚数分がそのまま恨まれてる数だってのに」
「そのせいで、自分の命がぺらっぺらの小切手に変わるなんて、思ってもいなかっただろうね。のんきなもんだよ、最後には明日の新聞に乗っておしまい。つくづく紙に縁のある人生だ」
「自分の髪はもうなくなりかけてたのにな」
「だから神にすがったのかも?」
どうでもいいことを言って笑い合う。ようやくファングが起き上がって服を着だした。シャツの袖にする、と手が通される。
「下から履きなよ。丸出しじゃないか」
「下履いたらできねーだろうが」
「サイテー。死体の横でする気?」
「好きだろ?」
うん、大好き。シャツだけ着せてするのも好き。でも、唾液は拭いてほしい。あのオッサンと間接キスみたいじゃないか。
「今からやるのはいいけどさ、一度お風呂に入りなよ」
「今すぐにでもやりたいくせに……潔癖だなァ」
しょーがねぇな、と。大仰な仕草でファングが起き上がってみせる。その拍子に無造作に置かれていた聖書がとさ、と落ちた。
「……ファング、聖書読むのうまかったね」
淀みない、淡々とした声を思い出す。
「なんだ、神様に嫉妬か?」
「いや? まさかとは思うけど……神様、信じてるのかと思って」
一瞬だけキョトンとしたあと、はじかれたようにファングが笑い出す。答えになんてなってない笑い声を引きずって、ファングが風呂場へ歩き出す。
その背中に向けて、問いかけた。
「ねぇファング、神様はいる?」
くる、とこちらを向いたファングが笑う。
「いらねー。コーラとゴムだけ用意しとけよ」
そうして風呂場に消えたファングに、聞こえるわけのない音量で投げかける。
「……スキン以下の神様ってなに」
神様って信じてなかったけど、そんな役立たずの神様なら勝手に存在しててもいいや。せいぜい紙より薄い存在価値で、僕らのセックスを盛り上げてくれ。
そんなことを考えながら、ベッドに腰掛ける。本部に連絡を入れながら、ファングがよだれを落とすのを待った。