愛しのお猫さま 気が合わない俺たちは当然のようにすれ違う。どちらも悪くない。タイミングと気分の問題だ。
服の下に手を滑り込ませ背筋を撫でても、振り払うように体を捻られそのままシーツへと寝転がられてしまった。絡まない視線に、その行動が決して誘っているわけではないと理解しつつ、駄目元で横に寝そべり腕を絡めても閉じた目は開かず、口づけても唇は閉じたまま。意地になって舌を差し込めば、警告のように歯を立てられる。「なぁ、」続きは言えなかった。「ぜってーやだ」
あの手この手で誘ってみても全部が無駄だった。万策尽きた俺の耳にはいつの間にかコイツの寝息が聞こえていた。
別に、喧嘩をしたわけじゃない。ただ単純に、俺がそういう気分でコイツがそういう気分じゃなかっただけだ。そんな日もある。わかっている。
***
そんな日が一昨日のこと。忘れたわけじゃないけど、気になんてしてなかった。でも、今は考えずにはいられない。
ぼすん、と俺の方にはコイツの頭が乗っている。ざあざあ、やまない雨はコイツを俺の家に押し止めるには十分だった。コイツが珍しく甘えてきている。でも知っている。これはくだらない意地、俺達の勝負の延長線上なのだ。
今日、俺は上機嫌だった。きっと、ゲーム好きのみんながそうだった。なんでかって、今日はみんなで遊んでいるゲームの大型アップデートの日だったから。
新しいフィールド、新しいモンスター、新しいモーション。誰も彼もがクリスマスと誕生日よりも待ちわびて、二つが同時に来たときみたいに喜んだ。
当然俺も朝から……いや、今日に日付が変わった瞬間から遊んでいた。兜さんと橘さんはもう眠っていたから、恭二さんと隼人さんと通話を繋いで夜通しゲームをしていた。明け方になって少し仮眠をとったくらいで、目覚めた時しっかりとコイツに抱きかかえられていた事実をさして重く受け止めず、その腕からすり抜けてまたゲームに戻った。やがて目覚めたアイツが空腹を訴えたが、カップラーメンの場所を知っているだろうと放っておいてゲームをしていた。そして、今に至る。
ぽす、と。効果がないとわかったコイツの頭が俺の膝に乗る。きっと、そちらに顔を向ければ蠱惑的な蜂蜜色がこちらを見上げているはずだ。でも、俺は今、ハンターなのだ。モンスターから目をそらすこと、それはすなわち死を意味している。
「おい」
普段より少しだけ甘い声。単純でわかりやすい変化。もしかしたらわざとなのかもしれない。コイツは今、完全に『そういう』気分だ。
なんで、なんで一昨日こうなってくれなかったんだ。なんで、よりによって今日なんだ。せめて昨日だったら、俺はまだ欲を引きずっていて、そういう気分だったはずなのに。単刀直入に言えば、昨日セックスがしたかった。でも、コイツのスイッチが入ったのは、今日。もしかして、わざとやってんのかコイツ。
きっと、コイツの髪は雨で少しだけふわふわしているに違いない。昨日、昨日だったらぞんぶんにその感触を楽しんだはずなのに。わかってほしい、今コントローラーを離したら、ハンターとしての俺は死んでしまうのだ。
効果がないとわかったコイツは探しものをするように部屋をうろうろしだして、二十秒に一回の頻度で俺とテレビの間を行き来する。そのたびに俺はモンスターを見失う。オマエ、俺の家に私物なんて歯ブラシくらいしかないだろ。
だが、声はかけない。なんでだろう。今から考えると声をかけてやめさせればよかったはずなのに。意地になって無言を貫けば、アイツがもう一度近づいてきた。
「……猫ってこういうことするんだろ。四季が言ってた」
「? なんのこと……」
「にゃーん」
ぽち、真っ暗になる画面。テレビの電源を切られたと気がつくのに数秒かかった。
「なっ!? オマエ……バカ、何してんだよ!」
「くはは! バァーカ! オレ様を無視するなんて百年はえーんだよ!」
急いでリモコンを奪い返してテレビをつける。画面に映ったのは、力尽きてベースキャンプに運ばれた俺。
「……オマエなぁ」
怒ればよかった。でも、俺はコイツのこういうところが好きだから、何も言えない。気まぐれで、構いたい時にそっぽを向いて、忙しい時に構えと甘えてくる。そして、聞いたことがある。構われたがり猫の奥の手、肉球を電源ボタンに。
「くはは! 猫は好きだろ? にゃーん」
バカにしたような声。ああ、こんなやつが大好きだなんて言えるわけない。それでも沈黙は事実を伝えるには十分だったようだ。得意げに笑うコイツは、俺に愛されていると知っている。それを本当に嬉しく思い、同時に弱みを握られている気分になる。
『大丈夫?』『動き止まってたけど、バグったか?』
スマホには俺の心配をするメッセージが届く。盛大に溜息をついても気ままにベッドに寝転んだコイツを見て、諦めた俺は今日はもうゲームができないと返事を送るのだ。ごめん、今日はもう終わり。
『ねこが電源を落とすから』
メッセージを送信して、俺もベッドに倒れ込んだ。こうなったら、一昨日の分まで相手をさせてやる。