愛しの果実タケルの目がおかしくなった。いや、おかしくなったのは目ではなく脳かもしれない。
タケルの目には時折、食べ物が人のパーツに見える。
誰にも言ったことはなかったから、その秘密はタケルだけが知っていた。今日も人の指にしか見えないメンマを食べた。
その人体のパーツがはたして誰のものなのか。それを認識したのは、よくゲームをやる仲間とゲーム合宿の名目で訪れたロッジでの出来事だった。夏の夜だ、隼人がスイカを持ってきてスイカ割りをしようと笑った。
タケルには、スイカはどう見ても牙崎漣の頭部にしか見えなかった。
スイカ割りの名目で割られた漣の頭部は、派手に脳漿を散らして手のひらサイズまで砕かれた。みんな、うまそうにアイツの頭部にかじりついてる。滴る血が腕に伝えばそれを舐めとっている。みんなが楽しそうだった。自分だけが異常なのはわかっていた。
目を瞑らずに食べたスイカは、心なしか肉の味がした。
そこからは加速度的に事態が悪化した。
もうタケルの目にまともに見える食べ物は一つもなかった。何かしら、どこかしら、食べ物は牙崎漣のパーツで構成されていた。タケルは自分の気が狂っていく様子をどこか傍観していた。すべての食べ物から肉の味がした。それでも、誰にも、何も言えなかった。
肉の味にも飽きて疲れ果てたある日、家に帰ると鍵があいている。心当たりは1人しかいなかった。扉をあけると漣がローテーブルに突っ伏して眠っていた。
その生き物から、何故だろう、甘い甘い桃の匂いが漂っていた。
眠っている生き物の指を手に取る。芳醇な匂いが脳髄に染み込んでくらくらする。正常な判断力が失われるのがわかる。久しく嗅ぐ、血と肉以外の食べ物の匂い。
力の入っていない小指にガブリと噛みついた。口の中に甘味がいっぱいに広がって、桃の果汁がそこから滴り落ちた。
黄金色の目が開いて、こちらをじっと見ている。だけど、口は痛みに耐えるように引き結ばれていた。
頼むから悲鳴をあげてほしかった。この桃の香りのするパーツは食べ物ではないのだと。わめいて伝えてほしかった。正常な悲鳴を、この狂った脳に響かせてほしかった。
それでも漣は何も言わずにタケルを見ていた。タケルの歯が薬指にのびた。噛みついて、滴る果汁を舌で舐めとる。あのスイカ割りの夜を思い出す。これはきっと血だ。頭のどこかでわかっている。それでもこの桃の香りは抗いがたかった。久しぶりに口にする、肉以外の味。
種から身をこそげ落とすように歯を動かす。これは、きっと骨。果実は肉。わかっている。それでも。どうしても止められなかった。何かに操られているような自分を自分が見ている感覚。夢みたい。もちろん悪夢だ。ああ、とっくに、目だけではなく頭もおかしくなっていたのかもしれない。そう思った。
指二本を食べて、そこからどんどん滴る果汁――おそらくは血液なのだろう――を舐めとって、物足りなくては中指に手をかけたらようやく牙崎が口を開いた。
「痛ぇよ、バァカ」
その言葉で目が覚める。漣の顔を見ると、指二本を失った痛みと失血だろう、真っ青になっていた。
急いで救急車を呼んだ。
漣は病院で何も言わなかった。
骨は根元から食いちぎられていて、その指は根元から二本、なくなった。それきり、タケルには食べ物が正常に見えるようになった。
タケルも漣も、お互いに何も言わなかった。漣が何も言わないから、タケルは謝ることもできなかった。人体のパーツなんて一つも浮いていないラーメンを見ながら、まるで、悪い夢を見ていたようだとタケルは思う。
でも、タケルには自分が未だに狂っているとわかっている。
ときおり、牙崎から香る甘い香りに覚えがある。熟れた、桃のにおい。
次に自分が噛みついたら、どうか悲鳴をあげて逃げるか俺の頭を思い切り叩くかしてほしい。オレ様は食べ物ではないと、大声で叱咤してほしい。タケルはそう願っている。
アイツは、何も言わない。ただ、何もかも知っているみたいな目で、俺を