お風呂に入る道漣ちゃん タイヤキを八つも買ったのは、ばあさんが食べ切れるなら買うといいと言ったから。なんでも、八つ買えば『フクビキ』ってのができるらしい。
「一番いいのが当たるとね、温泉に行けるわよ」
そう言ってタイヤキを九つ袋に入れたばあさんが手渡してきたのは、緑色の紙っ切れ一枚。これがあれば『フクビキ』ができる。何をするのかはわからねーが、オレ様は最強大天才だから、一番なんざ余裕だろ。
商店街の入口、机に置かれたよくわかんねーものをくるくる回したら緑色の玉がでてきた。これで温泉に行けるのだろうか。よくわかんねーけど、祝福するようにベルが鳴る。ベルの音より大声でオッサンが言う。
「おめでとう! じゃあこれ、温泉……」
温泉。
「……の、もと!」
温泉じゃなかった。温泉のもとってなんだよ。そう問えば、自宅の風呂が温泉になるらしい。意味わかんねえ。
らーめん屋ちの風呂が温泉になるのか。別にそれでもいいんだけど、思ったよりガッカリした自分にびっくりした。なんでだろうって思って、らーめん屋の顔を思い出してる自分にもっともっとびっくりした。だって、らーめん屋、温泉に連れてったときにあんなに喜んでたから。家の風呂じゃ、ダメだろって。
そっか。オレ様はらーめん屋を喜ばせたいんだな。不思議だけど、これがコイビトってことなのかもしれない。
らーめん屋に温泉のもとをやったら、おおげさなくらいに礼を言われた。悪くない気分と、本物の温泉だったらもっと喜んだのかな、って気持ち。別に温泉なんていつでも連れていける。でも、きっかけがないとうまく連れ出せないのも事実で。
「じゃあ、さっそく入ろうかな。今日は一番風呂をもらうぞ」
そう言ってらーめん屋は風呂に入っていった。別にらーめん屋の家の風呂なんだから、一番も二番も好きにすりゃいいのに。そこで初めて、オレ様はいつも一番に風呂に入っていることに気がつく。らーめん屋のそういうところ、オレ様以外のやつにやってやれば感謝されるのにって思う。なんとなく、もったいない気分になる。それでもきっとオレ様は、気が向いたときにしか感謝の言葉を口に出せない。
***
漣のくれた温泉のもとは、ひのきの匂いがした。湯がなんだかまったりとなめらかになったようで、気持ちがいい。
漣が何かを得たときに、真っ先に自分に手渡してきてくれたこと。それだけのことで、こんなにも満たされる日がくるなんて思わなかった。漣が笑ってくれる。漣が頼ってくれる。漣が自分からの様々をもらってくれて、こうやってたくさんのものをくれる。なんせ、ふてくされている姿すら愛おしいのだ。漣と出会った頃の自分に教えてやりたい気分になった。その子が、未来の恋人だぞ、って。
せっかくだから長風呂でもしようか。でも、漣を待たせているしな。そんなことを考えていたら、脱衣所に人の気配。漣が待ちきれなくて急かしにきたのだろうか。ちょっと待ってくれ。そう投げかければ何を待つんだと返される。そんなの、自分が出てくるまでに決まっている。
ところが、漣は堂々と風呂場に侵入してきた。別に裸は見たことがある、というか定期的に見るのだが、こういうシチュエーションは初めてだ。正直、ちょっとドキッとしてしまう。
「待ってくれ、今あがるから」
「あ? なんでだよ」
「なんでって、そりゃ、」
「オレ様が一緒に入ってやるんだ。ありがたく思うんだな! くはは!」
一緒に、入る。ちょっとよくわからなくて脳がフリーズする。またこの子の気まぐれだろうか。気まぐれには付き合ってやりたいのだが、この状況は少しばかりマズイ。
「漣、どうして……」
なぜこうなったのか問いかけつつ立ち上がろうとすれば、漣に肩を押さえられて湯船に戻されてしまう。二度目の攻防で、湯船から出るのを諦めた。だって、そのときにガッツリと漣のからだを見てしまい、その。あれだ。
「れーんー……そろそろ理由を教えてくれないか……?」
後ろから漣を抱える形になってしまったのは漣が膝と膝の間にすっぽりと入ってしまったから。そうだよな、そこはお前さんの定位置だもんな。反応してしまった部位への言及がなかったのは救いか。そもそも、漣は『そういうこと』をしている自覚があるんだろうか。
「……らーめん屋は嬉しくねーのかよ」
「いや、嬉しいけど……ちょっと……」
困ってしまうと、素直に伝えていいものか。言いよどんだ自分に漣が不思議そうに返す。
「らーめん屋、温泉は一緒に入れると嬉しいんだろ?」
え、と声に出しそうになるが、慌ててこらえる。漣がそう言い出した理由を脳内で検索して、思い当たったのは誕生日の出来事だった。
そうだ。温泉に連れて行ってもらった。そのときに言った。「一緒に風呂に入るってのはいいもんだな」
温泉ならではだな、って。ああ、たしかにそう言った。それを覚えていてくれたんだ。自分は、温泉に誰かと入るのが好きなんだって。
心がぽかぽかする。温泉になったこのお湯にも、触れ合った肌の愛おしさにも。こうやって、何気ないことを覚えていてくれる漣の、その優しさで全ての悲しみがチャラになってしまうような。
ただ、それでも一箇所に熱が、血液が集中しているのも事実であって。銀の糸の隙間から見える、ピンク色に染まったうなじを見ながら思う。
自分がのぼせるまえに、漣がのぼせてほしい。今は、ちょっと、立ち上がるわけにはいかないのだ。