サボテン育てる道漣ちゃん らーめん屋の家に物を置くことが増えた。台本、プレゼント、着替え。きっと人よりは少ない持ち物の居場所が、あの物置のような寮から暖かい畳の上に移動していたことに気がついた時には、何かが決定的に変わってた。その何かがわからないまま、日々は流れる。
サボテンをもらった。別にいらなかったけど、くれるって言うからもらってやった。まんまるくて、手のひらで握ったら隠れそうな弱っちいやつだったけど、それを許さないと言うように全身を武装してる様が気に入った。
片手で持てる小さな小さな鉢は、当たり前のようにらーめん屋の台所に置かれた。ほっといてもらーめん屋が世話すると思ったが、それを言うよりも早く、らーめん屋が「サボテンに話しかけてやるといいらしいぞ」とか言い出した。オレ様が面倒を見るのは決定事項らしい。
草に話しかけるなんてバカバカしい。水をやっとけば十分だろ。そう思い、いつの間にかオレ様専用になったマグカップに水を満たす。だば、って。手のひらほどの砂漠を潤してやろうと傾けた海を見て、らーめん屋はなんだか満足そうにしてた。変なの。
オレ様はらーめん屋の家で眠って、らーめん屋の家で起きる。いつの間にかそれが当然になっていて、なんだか奇妙な気持ちになる。なんだかふわっと、これでいいのかわからなくなる。オレ様に間違いなんてないはずなのに。
今朝だってらーめん屋の歌で起きて、いつものマグカップに水を注ぐ。メシの前に、サボテンに水をやろうと思ったんだ。炒めものをしてるらーめん屋の横を通り過ぎたとき、らーめん屋が慌てたようにオレ様の腕に触れた。
「んだよ」
「漣、サボテンに毎日水はいらないんだ」
もともとは砂漠の植物だからな。らーめん屋は言う。
「昨日みたいに、水は一回にたっぷりと。あとは季節にもよるが、今くらいの時期なら一ヶ月以上やらなくていい」
「らーめん屋のくせに、花屋かよ」
「昨日、みのりに聞いておいたんだ」
笑いながら、一言。完成だ、って。差し出された皿にはオレ様のために作られた『豚の生姜焼き』がのっている。オレ様がうまいって一回だけ言ったあの日から、ことあるごとに作られる炒めもの。らーめん屋って、バカだ。
配膳の仕方も覚えた。米の位置と味噌汁の位置。ああ、まただ。また、何かが間違っているような感覚だ。ぐるぐると渦巻く感情を、別の疑問にすりかえる。
「水」
「ん?」
「水。やりすぎるとどーなんだよ」
「ああ、根っこが腐ってな、ぶよぶよになってしまうんだ」
死んでしまう、って。らーめん屋はそう言った。
「一口に植物と言ってもそれぞれなんだな。それぞれ、あった育て方や環境があるんだ」
うん、と一言。そうして「いただきます」。何やら一人で納得してメシを食いだしたらーめん屋に倣って箸を動かす。なんだか、もやもやする。オレ様がこんなことを思うはずがないのに、きっとこの感情は『不安』ってやつに一番近い。
水をやりすぎたら死んでしまうんだ。
水をやろうと思ったのは、殺そうと思ったからじゃない。それが、きっとそのもののためになると思ったからだ。それって、らーめん屋がオレ様にしてることに似ているんじゃないかって、そう思った。
オレ様はらーめん屋の家で眠って、らーめん屋の家で起きる。らーめん屋の作ったメシを食って、らーめん屋の沸かした風呂に入って、らーめん屋の敷いた布団で眠る。水をやりすぎてぶよぶよになったサボテン。見えるはずもないオレ様の末路がきっかりとその影に重なった気がした。
水の要らない植物。屋根なんていらなかったはずのオレ様。だとしたら、過剰な水はきっとこの環境だ。異国の植物がこの国に降る雨のなかでは生きられないように、この男とは違うオレ様がこの男の愛の中で生きられるはずもないのに。
それなのに、オレ様は公園の固いベンチじゃなくて、この家でふかふかの布団に包まって眠る。変わるとして、ぶよぶよになるとして、ぐずぐずに腐るとして。確かな違和感はあるのに、それでも逃げ出さない自分は何なんだろう。
「漣、うまいか?」
期待する答えが見え見えの質問に意識が引き戻された。オレ様はらーめん屋のメシを悪くないと言い、明日は何が食べたいという問に、未来への約束のように食べたいものを口にする。