レバニラ食べる道漣ちゃん らーめん屋ってわかりやすい。
底のところにある感情が見えないやつだって思ってたけど、底が見えない理由なんて単純なんだと思い至った。きっと、らーめん屋の腹んなかが底なしなだけ。ないもんは見えない。そんだけ。
そんな底のない真っ暗闇からこぽこぽと生まれるあぶくとして目に見えるようになった感情は、本当に単純で笑ってしまう。髪をタオルで拭う指先だとか、メシをよこしてきた時の嬉しそうな目だとか、電気を消したあとに必ず言ってくる「おやすみ」の声だとか。隠す気もないどろどろの好意はチビへのそれとは違っていて、まあ、気分は悪くなかったが物事ってのはハッキリさせたい。
「らーめん屋、オレ様のこと好きだろ」
見抜かれて、びっくりするんだろうって思ってた。でも、向けられたのは満面の笑み。
「漣……! ああ! 大好きだぞ!」
らーめん屋がなんだか感動しながらオレ様の手をぎゅっと握る。しらばっくれるにしては悪意のない指先。なぜだか、その温度にイライラした。
「……そういう好きじゃねーだろ。マジですっとぼけてんのか?」
「…………え?」
その時のツラを見たとき、なんて白々しいやつなんだと舌打ちしたい気分だった。だから思いっきり舌打ちして、もういいって言って玄関のドアを開けた。らーめん屋が困惑しながら呼び止めてくる。知るか、って思って、そういえば久しく訪れてなかった公園の固いベンチで眠ることにした。だって、オレ様の直感は絶対に間違ってないって思ったから。
***
朝日を浴びて、らーめん屋に会いたくねえなって思った。今日はオフだからいいけど、明日はレッスンだ。オレ様は悪くない。でも、なんだか悪いことをしたような気分だ。かっこいい虫の甲殻、その柔らかでグロテスクな裏側を覗いてしまったような後悔。そんな感じ。
考えるのもめんどくせー。もう一度寝ようかと思った矢先に見慣れた巨体がこちらに走ってくるのを見てしまって、「げ、」って声が出た。全力で逃げたってよかったけど、そんなの、明日のレッスンにますます行きたくなくなるだけだ。だったら、と。オレ様に出来たのはベンチでふんぞり返ることくらい。
汗だくのらーめん屋はオレ様の前でぜえぜえと息を吐く。こんな朝っぱらから全力で走ってきたのだろうか。らーめん屋って時々、とびっきりのバカだ。ようやく顔をあげたとき、泣きそうな顔をしているから、やっぱりバカだ。
「すまん、漣」
なんだか、メシを食ってない動物みたいな声。
「……おまえさんの言う通りだ……自分は、そういう意味で漣が好きだ。いや、」
愛してる、って。らーめん屋は『好き』を言い換えた。オレ様はと言えば、自分の直感があっていると満足した反面、見ず知らずの『愛』とかいう代物を持ち出されて困ってしまう。結局オレ様は正しいのか、間違っているのか。
オレ様の顔色を見て、らーめん屋はもっかい「すまん」って言った。最初のそれとは表情の違う言葉。なんだか、こっちはえらく切実だ。何かを求められている。それが何かがわからない。
そんときの感情ってなんて言ったらいいんだろうな。わからないけど、ただ、らーめん屋の眉が下がっているのが許せなかった。ぺしゃんこに濡れた毛足の長い犬を想像してしまった。あるべきものが壊されているような気がしていた。そして、そういう顔をさせているのがオレ様だってことも理解していた。
助けてやるとか、そういう気持ちはなかった。ただ、謝ることじゃないと教えてやりたかった。愛してる、って意味はわからなかったけど、らーめん屋を見ているとそれは悪いことじゃないってわかったから。
「別にいいぜ、愛してて。オレ様はカンヨーだからな」
「……気持ち悪くないのか?」
まだ犬の毛はぺしゃんこだ。何がだよ、って言ってやった。本心なのに、らーめん屋はそうは思わなかったようだ。哀れなくらい覇気のない声。それでも目線だけはしっかりこっちを見ているから、これはらーめん屋のニセモノなんかじゃないんだろう。
「自分は漣に邪な感情を持っているんだ。一緒にいたい。もっともっと一緒にいたい。触れたい。抱きしめたい。……それ以上だって。考えたことなんてない、でも、きっとしたくなる」
タケルより漣が大切になってしまったんだ。そう言ったときが一番つらそうに顔を歪めていた。らーめん屋にはなんらかのルールがあるんだろう。でも、それはきっとオレ様には理解できない。オレ様は、なんで突然チビが出てくるのかわからない。
「気持ち悪いだろう」
らーめん屋は自らの問いかけに勝手に結論を出して、またうつむいてしまった。勝手にオレ様の答えを決めつけるなんていい度胸だ。オレ様はらーめん屋を気持ち悪いなんて思ってない。らーめん屋の言葉に、イヤなところなんてひとつもない。
だから言ってやった。気持ち悪くねえって。もっと喜びゃいいのに、ゆっくりゆっくり顔があがる。見覚えのない表情は、らーめん屋を別人に見せた。
「嫌じゃ……ないのか……?」
「別にイヤじゃねえよ。そんくらい」
『好き』って、らーめん屋の中では嫌がられるようなもんなんだろうか。なんだか、当たり前のことに気がつく。らーめん屋だって、間違ったりするんだ。だから、ちゃんと教えてやった。らーめん屋がわかるように、何回も。
「そうなのか……はは、そうか」
曖昧に笑う顔には迷いと安堵が見えた。撮影で、自分は納得してねえのにオッケーが出た、そんな瞬間に似た力のない笑い声。
こういう声にどう返していいのか、迷う。伝えるべきことは伝えたし、らーめん屋だって言いたいことは言ったと思っていた。でも、らーめん屋はおずおずと、声を出す。
「なあ、漣。コレは断ってくれていいんだ。忘れていい。たんなるワガママだ。……自分は漣が好きだ。もしよかったら、付き合ってくれたら……嬉しい」
「あ? 別にいいぜ」
らーめん屋が何をしたいのかは知らねえが、別になんだって付き合ってやっていいって思ってた。らーめん屋はどこに行きたいのかも言わず、ただ言葉を失っていた。それだけのことがなんだか愉快だった。
***
結論から言うと、オレ様とらーめん屋はいつの間にかコイビトになっていた。きっと、『付き合ってやる』って言葉はらーめん屋にとって、オレ様が思った以上の意味があったんだろう。
なんだか触れられ方が変わったな、とは思っていたが、気づかなかった。距離が近くなって、手の温度が変わって、それでもハッキリとした結論が出なかった。ふとした瞬間にキスをされて、らーめん屋の言葉を聞いてようやく気がついた。「ようやくコイビトらしいことが出来た」って笑うらーめん屋を見て、やっと気がつけた。
オレ様の預かり知らぬところで事態が進んでいくのは気に食わないが、らーめん屋とコイビトってのは別に悪くない。初めてキスをされた日と、初めて他人に許したことのないところを触られた日、それと、初めて繋がった日はわけがわかんなかったけど、別に、イヤじゃなかったし。
一緒にメシ食って、一緒に寝て、たまにセックスして。コイビトってよくわかんねえけど、らーめん屋が楽しそうだからそれでいい。
***
らーめん屋ってわかりやすい。
相変わらず存在しない腹の底は見えないけど、なんにも問題はない。らーめん屋が見せてくる心は全てではないんだろうけど、間違いなく本物だから、それでいい。そんで、そうやって見せてくる態度が笑えるほどにわかりやすいのだ。
らーめん屋はセックスしたい日にやたらとにんにくの入った料理を出す。それか、ニラが入ってる料理。ギョウザとか、レバニラとか。らーめん屋がライブ前、オレ様とチビに「精がつく料理」と言って出したことのある料理だから、まあそういうことなんだろう。そりゃ、スタミナがつけばそれだけ長く楽しめるもんな。ただ、ここまでわかりやすいのはどうなんだろう。
食い終わって風呂入って。楽しそうにオレ様の髪を乾かしてるらーめん屋にもたれかかる。髪が完璧に乾くまではドライヤーを動かしていた手がようやく止まって、頬を撫でて、首筋を伝って、腰に。当然のように絡んだ舌からは、レバニラではなくミントの匂いがした。揃いの歯磨き粉で、揃いの石鹸で、揃いのシャンプーで。おんなじ匂いをした別の存在が、一つになりたいと境界を曖昧にしていく。
「……漣は、あれだ。そういう気分か……?」
離れた呼吸と問いかけ。ここまでしておいて、らーめん屋は必ずオレ様のことを聞く。これもらーめん屋のルールなんだろう。オレ様はこういうの、なんつーかちょっと冷めちまうんだけど。
「毎回ここまでしてからそういうの聞くんじゃねーよ。うっぜえ」
「すまん……いや、しかし、こういうのはしっかりと」
「やりたくねーときはとっとと言うっての。らーめん屋がやりてえ時なんてわかりやすいんだから、そんとき言う」
「……わかりやすい……?」
どっかで見たような白々しいツラ。それを引き離すように胸板を押せばらーめん屋は簡単に倒れ込む。キョトンとした目に馬乗りになって、とっくに見抜いているのだと、そのすっとぼけた舌に告げてやる。
「やりてーとき、毎回ニンニクとかニラじゃねーか。気づいてねーとでも思ってんのか」
わかりやすいやつ。そう笑ってやればらーめん屋の顔が一瞬固まってからみるみると真っ赤になっていく。眉間をつつけば大きな手が自らの顔を覆い隠す。その様を思いっきり笑ってやった。
「オレ様が気づかねーとでも思ったか? らーめん屋は単純だからなぁ! くはは!」
手を取れば脆すぎるガードは簡単に崩れる。隠されていた顔は今にも泣きそうで。
「……違う……」
「あ?」
「そんな気はなかった……信じてくれ……本当だ……」
ぽつぽつ、らーめん屋が呟く。無意識だった、って。
「ああー……本当に、本当に……恥ずかしい……なあ、漣。本当……ああー……」
ごろごろと巨体が転がってオレ様は落っこちる。そのままらーめん屋は部屋の隅っこまで転がって丸まってしまった。色あせた壁に同化するように息を潜める背中には、感情を集めた真っ赤な耳がくっついている。
なんか、見たことあるな。こんなに照れているらーめん屋は初めてだけど。オレ様の言葉で自分の何かに気がついて、動揺したり、泣きそうになったり、慌てたり、照れたり。
らーめん屋ってわかりやすい。
全てをわかってるなんて言えないが、らーめん屋の知らないらーめん屋のことをオレ様は知っている。らーめん屋はわかってない、きっと他のやつもわかってないらーめん屋を、オレ様だけがわかってる。
未だにうう、と意味のない声を漏らすらーめんやを壁から引き剥がせば、やけくそになったらーめん屋が思い切り抱きついてくる。布団まで二人でゴロゴロ転がって、大笑いして、ミントの匂いがするキスをした。