ワンサイドゲーム『ライブ中継』の文字が左上にへばりついている午後三時。画面の中には大河タケルがいる。
「タケル、頑張ってるなぁ」
道流の言葉を肯定も否定もせずに漣はひとつあくびをした。タケルの緊張は道流の部屋を満たすほどではないが、真剣な目つきからはそれなりの緊張が伺える。
タケルはいま、生放送で新作ゲームをプレイしている。ノーミスでステージ3までをクリアできるか、というかがこの番組の趣旨らしい。この企画には事務所のゲーム好きたち数名が参加していて、いまのところ成功者は恭二ひとりだった。くじ引きで決まったことだが、タケルの順番は最後だった。
漣は不思議な気持ちだった。画面のなかのチビは見たことがある。いっそ見慣れたと言ってもいいだろう。個別の仕事が増えてから、自分のいない画面に彼がいるのは当たり前のことで、でもそれは過去の大河タケルなのだ。この状況は初めてだ。
別に自分のいないところでチビがどうしていようが興味はない。事実、休みの日なんかは一緒にいるもいないも半々くらいだった。だって、ゲームなんて、興味ないし。タケルは趣味の仲間を見つけて、活動範囲を広げて、笑うようになった。ロードワークに明け暮れていた頃とは違うのだ。
変わることは何も悪いことではない。それは特に退屈ではない。チビがオレ様に言うように、オレ様だって四季やオカッパの面倒を見るので忙しいわけだし、らーめん屋だって自分の時間がある。それに、チビの変化は悪くない。決して自分には見せない顔は、嫌いじゃない。
それでも、一緒にいないのに現在のタケルが視界にいるというのはどうしようもなく不思議なことだった。声の届かない空間で、一方的に様子を見て、声を聞く。なんだか歯痒い。自分がなにをしたって、なんにも届かない。
「ここ、」
「ん?」
独り言でも問いかけでも、どちらでもよかった。それでも道流が返事をしたので、その呟きは会話になる。
「練習してるとき、何度も間違えてた」
「そうなのか? 簡単にクリアしたように見えるが」
「リズムが違ったんだよ。だからオレ様が教えてやった。たーん、たーん、たたん、って。ゲームだってオレ様には楽勝だからな」
画面に映ったキャラクターは淀みなく進んでいく。右下の小さなワイプにチビがいる。
「次、ここは何回やってもたまに間違える」
画面では実況者が白熱している。ステージ3つの中では随一の難所らしい。
「そうか。成功するといいな」
別に、どっちでもよかった。いや、それは明確に違う。どっちにもなってほしかった。「成功しろ」と「失敗しやがれ」、どっちも等しくそう思った。
祈らない。呪わない。オレ様は関わらない。そっと目を閉じる。実況者の声は素通りして、いないはずのチビの緊張した呼吸が耳を掠めた。
「あ、」
道流の声では成否はわからなかった。そっと目を開けると、小さい四角のなかにかすかに安堵を滲ませたチビがいた。
「成功した」
漣と道流が同時に口にした。道流は嬉しそうだったが、漣は思ったよりも心が動かなかった。いるのにいないチビにはあまり心が動かない。らーめん屋のことは嫌いじゃないが、どうにも気が乗らない。
「よし、お祝いに豪勢な夕飯でも作るか! あ、でもこのあと打ち上げとかするだろうしな……味玉とチャーシューでもサービスしてやるか」
「オレ様が食う」
「こらこら、それじゃお祝いにならないだろう」
自分のことのように嬉しそうな道流に対して、漣はぼんやりと残りの道中を眺めていた。遠いとも、近いとも思わなかった。ただ当たり前の事実を初めて目の当たりにして、畳に爪を立てた。
見事ゲームをクリアしたタケルが笑う。俺様にはこんな笑顔を見せないくせに、画面の向こうにいる人間に笑顔を向ける。そこにはオレ様だっているのに。
なにかに成り下がった気分だった。他人にも家族にも恋人にもなりたくないけれど、ファンになるのだけは耐えられなかった。星も月も海も自分のものではないからどうだっていいんだけど、自分のものではないはずの男が手に入らないことが嫌だった。