ハッピー罰ゲーム 玄関の扉を開けば、台風がそこにいた。
「トリック・オア・トリート! チビ、持ってる菓子全部よこしな!」
仮装も何もせずに、コイツはそう言い放って手のひらを差し出した。
俺はと言えば、呼吸や思考が止まるほどではないが、ちょっと驚いた。
「……ハロウィンは知ってるんだな」
「あ? 常識だろ」
常識ではない。まぁ菓子がもらえる祭ってのは記憶してるんだろう。それでもやはり気になってしまうのだ。部屋にコイツを招き入れながら問いかける。
「……いつ知ったんだ?」
コイツの人生の転機はふたつある。俺に殴られた瞬間と、アイドルになった瞬間。出会いから俺はずっとコイツと一緒にいるけれど、知らないことは山ほどある。
「んー……ああ、旅してたときにヤギのいる村でなんかそれっぽいことをやった気がすんだよな。そんときゃ意識してなかったが……あれがハロウィンだろ。なんか言うと菓子がもらえるってのはこっち来て知った」
「そうか」
ゲームはやりこみ派だ。打ち込むと夢中になる。設定資料集なんかも買ってしまう。気に入ったゲームに関係のあるもの、なんでも知りたくなってしまうのだ。
「チビは?」
「俺か? うーん、俺も気がついたらって感じだな。クリスマスと一緒で、大きくなってから意味を知った」
コイツは納得したように、どうでもよさそうに深く息を吐く。そして、ふとつぶやく。
「この祭り……意味ってか、やる理由があんのか?」
「あるはずだ。……でも俺は知らない。円城寺さんなら知ってるんじゃないか?」
「ふーん。どーでもいい」
話を放り投げてコイツは床にあぐらをかく。俺は冷蔵庫から水を取り出して、ローテーブルに置いた。
そう、コイツにとってはどうでもいいのだ。ハロウィンの起源も、なにもかも。それでも俺の話を聞いたのは、コイツが俺に負けたから。いつもの勝負につけた罰ゲーム。敗北の代償としてコイツは一ヶ月、俺の疑問に答え続けなければいけないのだ。
知りたいんだよな。このモンスターに翼が生えている理由とか、この悪役の過去とか、旅立った村の歴史とか。いま知りたいのはコイツのこと。いまさら気になってしまったんだ。子供の頃に流行ったゲームに、おとなになってから出会ったように。
コイツが水に手を付けないから、俺は気を利かせて湯を沸かす。嫌いじゃないって言っていた、温かい麦茶を出そう。
勢力を失った台風はそうそうにテレビをつけてごろごろとしだした。絶対にトリック・オア・トリートのトの字も忘れているだろう。食い意地の張ったコイツが食べ物のことを忘れているんだ。きっとコイツはいま、お腹がいっぱいなんだと思う。たまこやのコロッケとか、商店街のたいやきとか、コイツを満たすものは俺と食べるラーメンだけではない。
それでもここまでやってきたのはイベントごとを楽しもうという気分だったのかもしれない。そういう気分のつれあいに、俺を選んだということだろうか。たんなる思いつきかもしれない。俺の思い違いかもしれない。聞いたらハッキリするのに、俺はこういうことは聞かない。いや、聞けない。
「……ハロウィン、楽しいか?」
「菓子がもらえるのは悪くねぇ……あっ! チビ! 菓子よこせ!」
「麦茶やっただろ」
「麦茶は菓子じゃねぇ!」
「麦チョコがお菓子なんだから麦も菓子だろ」
いや、それは違う。菓子はチョコの部分だ。俺自身それはわかっている。
それでも、よくわからないことだって堂々と言えば、コイツはある程度なら飲まれてくれる。何気なく俺はそのラインを探るのを楽しんでいる、の、だが。
「そうか……菓子か……」
好奇心が満たされて、本気の心配がひとさじ。これはよろしくない。コイツ、大丈夫か? これが俺への無償の信頼であることを祈っている。俺や円城寺さん、プロデューサーのことは鵜呑みにしたっていいけど、心配になる。
「あ、」
「ん?」
「俺だってオマエに言えるんだ。トリック・オア・トリート。ほら、菓子よこせ」
「はぁ? なんでオレ様がチビに菓子をめぐんでやらなきゃならねーんだよ」
本気で言ってる。やっぱりコイツ、ハロウィンの意味なんてわかってない。
「一方的に菓子をせびる祭りじゃないだろ」
「オレ様法だとハロウィンは全人類がオレ様に菓子を貢ぐ日なんだよ! くはは!」
そういってコイツは俺からの献上品──温かい麦茶を飲み干した。
「……好きか?」
「あ? なにが?」
「麦茶。あったかいやつ」
コイツは好きって言葉を使わない。だから、嫌いじゃないって返してくる。
なにが好きなんだ? たったこれだけ、どうしても聞けない。