野良猫は懐かない 最近の寒暖差はなんだと言うのだ。
今月に入ってから少し寒いが、羽毛布団を出すのは億劫で厚着をして眠っていた。そんなことをしていたら一週間前にポカポカ陽気がやってきて、慢心していたらその三日後には凍えていたような気がする。で、羽毛布団を出したら翌日の陽気は九月。ふわふわした熱の塊をベッドの端に押しやって眠れば朝には凍えていて、アイツが床からベッドに移動して俺で暖を取っていた。そんな距離も昨日は遠のいて、今日は寒いのにアイツはいない。寒くなければ来ないアイツも、今日は暖かいと読み違えたんだろう。
アイツは雨の日だとか、寒い日とかにやってくる。今月は来るタイミングを間違えっぱなしだ。ふらりと来た夜が暖かいと、なんだか妙にいたたまれない顔をして、床で転がって静かにしている。俺はそんなアイツを見るのがなんだか嫌だ。
アイツは雨の日は床で眠って、寒い日は俺の布団に入り込む。本当に、なんというか、自由気まま。猫は自由気ままだからかわいいわけじゃないんだな。アイツが自由気ままでも呆れるだけだ。猫は猫だからかわいいのだ。
アイツのために用意してやった飯を温めて食べる。そこまでカロリーオーバーを気にすることはなくなったが、明日のロードワークを増やそうかだなんて考える。アイツは本当に気まぐれにやってくるからこういうことが起きるんだ。
一応カップラーメンとかは余分に買い置きしている。だけど俺が惣菜とかを食べているのにアイツにだけカップラーメンを食わせるのは嫌だった。惣菜は二人分買う。しょっちゅう余る。きっとそろそろ太る。いい加減にしてほしい。
昔はそんなことなかった。だいたい俺とアイツは並んでラーメンを食べていたし、アイツは円城寺さんの家に入り浸っていた。だんだん俺たちは個別の仕事が増えて、アイツとラーメンを食べる時間もなくなって。いつの間にかアイツは円城寺さんの家に入り浸るのをやめたようだ。頻度が落ちただけで世話にはなっているようだが、気まぐれにうちにも来るようになった。
別にうちに来たっていい。ただ、連絡はほしい。アイツはスマホを見ないし、予定を何も言ってこない。本当にふらりときて、我が物顔で居座って、朝にはいなくなる。飯は勝手に食うがやめろといえば何も食わないし、寝るときは床で寝る。嫌だな、って思う。アイツが布団で眠ってくれるから、寒いほうがマシだと思えるくらいだ。
アイツに関して、嫌だなって思うことが増えた。アイツが俺と向かい合って座っているのに同じものを食べていないのは嫌だ。アイツが床で眠るのは嫌だ。寒い日にうちにいないのは嫌だ。雨の日に外にいられるのは嫌だ。次はなにが気に入らなくなるんだろう。ぼんやり考えて、打ち消した。アイツのことばっか考えてるなんて、バカみたいだ。
今日は寒いからくればいい。そうメッセージを送ればいい。やらないのは、「どうせアイツはスマホなんて見ないから」で、じゃあ、できないのはなんでなんだろう。
可愛さ余って憎さ百倍という言葉があるが、可愛くもないアイツの嫌なところがどんどん増えていく。嫌いじゃないのに、たくさんの『嫌なところ』がある。俺はきっと、どんどん自分勝手になっている。
***
寒い日はチビの家に行く。雨の日にも行く。らーめん屋の家に行くこともあるから必ず行くわけじゃないけど、最近はしょっちゅうチビの家に行く。
スマホは見ない。どうせチビはなにも言ってこない。オレ様は勝手にやるし、チビはそんなオレ様を気にしない。快適だったはずの生活が、最近なぜだか気に食わない。
床に転がっていると布団に入れと言ってくるチビの表情が気に入らない。そして、そんな表情一つで乱れる自分の心がイヤだった。オレ様が上がり込むと必ず二人分用意されてる食事だってイヤだった。いつの間にか増やされた食器やバスタオルがイヤだった。どうしてもそんなチビの家を思い出してしまう、寒い日がイヤだった。
どうしてだろうかと考える。考えるのは性に合わないからすぐにやめる。理由なんてないに決まってる。冬が来て、春が来て、夏が来るのに理由なんてないように、移ろいゆくものに理由を求めたことなんてない。オレ様の、たんなる心変わり──気まぐれなんだろう。
チビの家に行くのをやめたらいいんだろうけど、なんだか逃げるみたいで気に食わない。逃げるもなにもチビはそこにいるだけなのに、どうしてこんなに気に食わないのかわからない。
チビはいけ好かないやつだけど、イヤなやつじゃなかった。チビは悪くない。でもオレ様が間違えているわけがない。いったい何がおかしいんだろう。はぁ、と吐いた息が白くて、それなのにオレ様はチビの家にいない。
暖かい家にいたいだなんて思わなかった。ただ、チビに会いたくて、それがどうしようもなくイヤだった。
約束をしたわけじゃないけど、こんなに月が遠くなったらもうチビの家には行けない。まだチビは起きてるはずだけど、そういうことになっている。チビが決まり事だと言ったわけじゃないけど、オレ様とチビのあいだにはこういう水たまりのような不自由が横たわっているのだ。
らーめん屋の家なら別にお構いなしの時間だが、らーめん屋に会いたい気分ではなかった。会うならチビがいい。でもきっと、誰にも会わないのが一番いい。
チビに会いたいのにチビに会いたくないのはいつもこんな夜だった。会いたい。でも、会ったらきっと何もかもが気に入らない。食事も風呂も布団も気に食わないくせに、それを求めている自分が一番イヤだった。らーめん屋の差し出すものとチビの差し出すもの、いったい何が違うんだろう。
チビといたってイヤじゃない。朝も昼もチビはチビだ。夜だけ、なにかが違う。チビかオレ様のどっちかが、あるいは両方がどっかおかしいんだ。そうだ、オレ様はきっとおかしくなってる。あれだけ好きだった自由を少し差し出してでも、チビの声を聞いていたいんだ。
ふらりと歩きだして覇王を探す。賢い子分はきっとすぐに見つかるだろう。覇王とふたりで抱き合って眠りたかった。きっとチビの体温を思い出してイヤな気分になるとわかっていたけれど、こんなに月が青白い日にひとりではいられなかった。
朝になって、夜から抜け出したチビに会って、またいつもどおりを始めたい。こんな気持ちになるのは夜だけだ。あんなヒョ上も、こんな痛みも、朝になればなくなってしまうものだから。
名前を三度呼ぶうちに覇王は物陰から出てきた。そっと抱き上げて、ここいらで一番暖かい場所に移動する。月は変わらずに冴えていて、覇王はいつもどおり暖かい。じゃあ、オレ様はどうだろう。オレ様はきっと、どんどんおかしくなってる。