恋じゃなくていいや 運命の女神は気まぐれだ。不運はどこにだって転がっている。世の中は不条理だ。不条理の使い方があっている自信はない。兎にも角にも俺は途方に暮れていた。いや、俺の落ち度はかなり大きい。でも、そもそも雨が降ったのがいけないだけなんだ。
くるりと見回した俺の部屋にもずいぶんと物が増えた。仕事道具だけじゃない、少年兵の頃には考えもしなかった、昔だったら『無駄なもの』と評していただろうものも増えた。同じだけ仲間も増えて、いろんなことをするようになった。
たとえば、ピクニックとか。
さて、先程見回した部屋にある俺のベッド。そこに不機嫌そうに腰掛けているのがレッカという青年だ。同僚で、仲間。切磋琢磨しあういい相手。ずっと一緒にいるから、ふとした瞬間に弟のようにも兄のようにも見える不思議な存在だ。
不思議だった存在は最近輪をかけて不思議さを加速させていく。どうやら『俺はレッカのことが好き』らしい。そして驚くことに『レッカは俺のことが好き』らしいのだ。
俺は好きってのがよくわからない。エンドーさんのことは好きだし、その原理でいけばレッカのことも好きでいいはずだ。でも、そのエンドーさんへの好きとレッカへの好きは、どうやら種類が違うようだ。ここもよくわからないんだが、好きにはいろんな種類があるようだ。話には聞いているし、理解はしているのだが、実感がイマイチ持てていないけれど。
幸か不幸か、レッカだって好きってことはわかってない。だから俺たちの意見は一致した。『きっと、いろんな人が言う通り、俺たちは好きあっている』
えっと、どうしてこんなことを考えているんだっけ。俺は仕事以外の思考がとっ散らかっていけない。そうだ。こんなことを考えたのはレッカが俺の部屋にいるからだ。これは世間一般では一大イベントと言える。だって、好きな人が自分の部屋にいるのだから。
つまり、幸福であると言える。しかし、これは不幸が招いた状況なのだ。
「……もっかい聞くが、中止なんだな?」
レッカの声は不機嫌だ。コイツが不機嫌だとつい俺も噛み付いてしまいそうになるが、今回は天気の次に俺が悪いので甘んじて声色を受け入れることにしている。
「そうだ。ピクニックは中止だ」
「……雨だからか」
「雨だからだ」
「雨が降ってもどっか行くんだと思ってたんだがなぁ。最初はそういう話だったよなぁ」
そう。ピクニックに行く予定だったのだ。ハッピーの作ったサンドイッチを持って、エルが見たいと言った花畑を見に、みんなで。ああ、それなのに今日は雨なのだ。
「最初はそうだった。でも途中で雨が降ったら中止にするって話になった。伝え忘れた」
悪かった。誠心誠意謝るがレッカの眉間のシワはほどけない。緊迫した空気は戦場に似ていた。
「……俺が悪かった」
「いや? 悪いのは天気だろ?」
寛容な言葉。そして俺に向けられる笑み。でも目が笑ってないんだよな。
「……これから二人でピクニックするか?」
「するわけねえだろ!」
それなりの速度で投げられた枕が俺の顔に当たる。しかしそれで少し落ち着いたのだろうか。レッカが大きなため息を吐いて「もういい」と呟いた。
「あーもーアホらし。仕事でもあるまいし、怒っちゃいねぇよ」
「さっき怒ってただろ」
「そういうモーションだよ。カイには多少、反省してもらわなきゃな」
さっきまでの険しい顔から一点、レッカは悪戯に笑う。俺は安心したけど、怒られてないっていう安心じゃなくて、レッカが笑ってくれたことへの安心だ。レッカが不機嫌なのはいただけない。
それは、面倒だからなのだろうか。『好き』だからだろうか。
近寄って隣に座った。俺はこの男が好きで、この男は俺が好きなんだろうか。
「……好きか?」
「なにが?」
「俺のことが」
「あー……なんかそんな話になってたな」
どうでもよさそうな、あくびを噛み殺すような返事。俺はこのことについてたまに考えたりするのに、レッカはそうでもないらしい。
「カイはどうなんだよ?」
「好きだ。でも特別な意味ってなるとわからない」
「オレ様もだよ」
それっきり、静かになる。俺も、レッカも、空間も。雨の音がしとしとと聞こえる。少しだけ、呼吸の音が聞こえる。
不思議と落ち着くのは雨のせいだと思う。レッカといるといつもせわしない。でも、思い返してみれば二人っきりの時のレッカはこんな感じだったっけ?
「オレ様のこと、半分アンドロイドだと思ってるバカがいるだろ?」
「そうだな」
「オレ様はアンドロイドじゃねぇ。そういうもんだろ」
「どういうことだ?」
「……だから、他人が言ってることなんざ当てにならねぇなって思ったんだよ」
手を組んで、開いて、握って。自分が人間であることを確かめるように手先を動かしてレッカは言う。
「……特別な好きじゃないのかもな。アイツら、間違うから」
俺の目を見ず、視線を足元にやってレッカは呟いた。なんだか諦めたみたいに。なんだか途方に暮れるみたいに。
「……それは困る」
俺はその手を思わず握っていた。ひんやりとした、冷たい手だ。
とっさに動いてしまったが、考えてみるとなにが困るんだろう。もう少し考えればわかりそうなのに、レッカの声が俺の思考を遮っていく。
「……なにが困るんだよ」
「わからない。……もう少し待っててくれ。なんか、わかりそうだから」
徐々に俺の手の温度がレッカに移って、ふたりの手のひらの温度がぼんやりと境界を失っていく。こうやって溶けていく時間を愛していることが『好き』なんだろうか。わからない、けど。
「……特別ならいいって思った。特別だと思ってるし、思われたい」
「……それは『好き』だからか?」
「わからないけど、特別だ」
雨の音が強くなる。レッカが不思議そうにこっちを見て、あっけなく声を投げかけてくる。
「じゃあ、それでいいんじゃねぇの?」
暇だな。そう言ってレッカは寝転んでしまった。どうやら話は終わりらしい。
当たり前のように俺も横に転がる。同僚とはやらないことだから、きっと特別なんだろう。
「……酒でも飲むか?」
「レッカが取ってくるなら」
「カイてめぇ……そこは詫びってことでオマエが持ってこいよ……」
そういうもんなんだろうけど、レッカ相手だとどうも手を抜いてしまう。レッカが本当に持ってきてほしいなら持ってくるけど、別に本格的に飲みたいわけじゃないと思ってる。
「あー……今日どうすっかな」
溶けそうな声が聞こえる。
「ああ……」
溶けそうな声を出してしまう。
「これこのまま寝るパターンだぞ。いい年した男二人が、赤ちゃんかよ」
「寝るのはいいことだろ。……エルたちも暇だろうから、なにかに誘うか?」
「別にいい……オレ様はマジで寝る……」
寝ると言ったら寝るんだろう。コイツの寝付きはいいから、俺がレッカの寝付きについて考えている間にこの男は眠りの浅瀬へと両足を突っ込んでいた。
「……俺も寝ようかな」
ベッドを変な角度で占領したレッカを動かしながらその顔を見る。この見慣れた顔を見ながら『特別』と『好き』についてもう少しだけ考えていよう。そして、飽きたら俺も寝てしまおう。
こんな雨の日に二人っきりで眠る。考えたら、それだけでもう『特別』だとわかる。きっとそのうち、『好き』ってのもわかるだろう。