素知らぬ視線 自分の歌声がテレビから流れているのにも慣れてきた。俺の声と、柔らかで少し掠れた百々人先輩の声と、真っ直ぐで力強い鋭心先輩の声が重なるのを聞きながら、やはり二人を選んだ俺は天才なのだと再認識する。
「変な感じだね。僕がふたりいるみたい」
柔らかな声は歌声とは少し響きが違う。俺はそのどちらも好きだし、そう伝えたこともある。百々人先輩は誰にだって向ける笑顔で、ありがとうと返しただけだったけれど。
「俺は慣れましたけどね。それに、これからどこにだって俺たちがいるようになりますよ」
返す声はひとつしかない。鋭心先輩は事務所にみかんを差し入れたあと、打ち合わせへと向かってしまった。テレビを見ているのは──ここにいるのは、山村さんに留守を頼まれた俺と百々人先輩だけだ。
いい曲だよね。そう百々人先輩が呟いた。テレビにはデビューシングルを歌う俺たちが映っている。画面の中の俺と、目があった。
「……アマミネくんはさ、誰かのことを考えながら歌ったの?」
温かなあなたの頬に触れたい。テレビの中の俺がそう歌った直後に百々人先輩が聞いてきた。
「まぁ……イメージはありましたよ」
「そっか。大切な人なのかな」
そうですよ。伝わると自惚れていたから返事はしなかった。百々人先輩はみかんを剥いていた指先で自分の頬をつつく。
「ねぇ。アマミネくんはさ、好きな人のどこに触れたい?」
俺はテレビから顔を背け、百々人先輩に視線を向ける。きっと柑橘類の香りがする指先、その桜色の爪、春に咲いた紫陽花の瞳、歌声を紡ぐ唇。
こういうとき、俺は百々人先輩を見る。見て、きれいだな、とか、かわいいな、とか、そういうことを考える。百々人先輩は俺の視線を知っていて、その上でなんの疑問も抱かない。「ありがとう」の言葉だけで片づけてきた、いくつかの告白を思い出すことはあるのだろうか。
俺と百々人先輩の間にあるテーブルに手をかけて、そのまま空いている手を百々人先輩に伸ばす。指先、瞳、唇、すべてを無視して、俺は彼の目元をなぞる。
「……ここ」
呟いて、最初に見たときはメイクかと思った特徴的な泣きぼくろに爪を立てた。
「……どうして?」
柔らかい声がテレビの音声と混ざり合う。この人は、誰に『僕を信じて』と歌ったんだろう。
「……百々人先輩にしか、ないものだから」
触れたいのはアンタだけだから。
これは言わなくてもきっと伝わるけど、何度だって言いたいから口にする。俺の何度目かの告白を受けて、百々人先輩はいつも通り、誰にでも向ける笑みを返す。
「ん、ありがと」
そう言ってぽつりと漏らす。ぴぃちゃんはまだかなぁ、だなんて。告白されておいてほかの人間の話だなんて、なんともまぁ、ひどい話だ。