肉は肉。 俺が高校を卒業した翌月、もうとっくに一人暮らしを始めていた百々人先輩をなかば連れ出すようにして、俺と百々人先輩はルームシェアを開始した。俺と付き合う前から一人暮らしをしていた百々人先輩にふたりで暮らそうと声をかけるなら、こういう節目にしかチャンスがないと思ったからだ。
百々人先輩は二つ返事で快諾。あっという間に話は進み、桜と共にルームシェア、もとい同棲生活が始まった。新居の壁に貼られた家事の分担表は、小学校の教室に佇んでいた時間割みたいでなんだかむずかゆい。もっとも、俺たちの仕事は不規則な仕事だから大抵の項目は『できる人がやる』なんだけど。
数日は段ボールに囲まれて宅配ピザなんかを食べる日々が続いていたが、ようやく段ボールも片づいてきた。今日は百々人先輩の帰りが少しだけ遅い。俺は新品の調理器具を携えてたくさんの料理を作る。料理は唯一、出来る限りは俺がやりたいと言い出したことだった。
料理には自信があったし、なにより俺は俺の作ったもので百々人先輩を満たして、ふっくらと太らせてみたかった。百々人先輩は健康的だけどなんだか痩せている。百々人先輩は足りないものなど何もないと言うように笑う人だけど、どうにも表面にべったりと『不足』がこびりついている気がしてならない。そういう、うなだれた雰囲気を申し訳なさそうに内側に閉じこめているイメージがある。
無意識の、そういう渇いてひび割れたところを埋めてやりたいだなんて、身勝手な万能感に振り回されていたんだと思う。トマトを切りながら、肉に塩を振りながら、あと少しと醤油を足しながら、俺は百々人先輩を想いながら彼の帰宅を待った。
帰宅した百々人先輩は俺の作った料理を見て驚いていたけれど、俺が得意げに胸を張れば笑ってくれた。買ったばかりのテーブルいっぱいに並べた料理を挟んでいただきますを言う。
百々人先輩はパンにバターを塗る。サラダのレタスを口に頬張る。メインの肉料理に手を伸ばしながら、冗談のように──それでも遠慮が隠せない声色で俺に言った。
「……お料理、がんばらなくていいよ」
「え? あ、でもこれは俺が好きでやってるんで、別に……」
「僕じつは味覚音痴だからさ。こんなすごいもの作ってもらってもわかんないんだ」
「……そうなんですか? でも、いつもは」
「話を適当にあわせてるだけだよ。味なんてよくわかってない」
ごめんね、と百々人先輩が笑う。
「……おいしいのはわかるんだよ。だからアマミネくんが僕を大事に想ってくれてるのはわかる。でもさ、それって僕みたいに味がわからない人間にはもったいないよ」
オーブンでジューシーに焼き上げたモモ肉を百々人先輩の歯が噛み切った。じわ、と滲んだ肉汁で百々人先輩の唇が潤む。
「……わかんないから、もったいないよ。だからお料理とかは適当でいいし…………適当に、それなりに愛してくれればいいから」
おいしいけど、ペットボトルのやつと違いがわからないや。
百々人先輩は俺が煮出した麦茶を飲み干して、自嘲気味にそう呟いた。
やっぱり、ダメだな、って思う。
「……やっぱり俺、百々人先輩といるとどんどんダメになる」
「……え?」
百々人先輩の瞳が大きく揺らいだ。誤魔化すように飲んだ麦茶は市販品なんかよりずっと香ばしくておいしい。
「百々人先輩が味覚音痴でも、俺は俺がおいしいって思うものをいくらでも食べさせたいんですよ。百々人先輩がわからないって言ったって、百々人先輩がもういらないって言ったって……俺は百々人先輩にたくさん食べさせて……百々人先輩がうんざりするほど愛していたいんです」
野蛮な感情だと思う。百々人先輩の意志を無視した身勝手な願望だ。だから、拒絶してくれるならいまがいい。ぶん殴って、揺さぶって、魔法を解くようにこの思い上がりを正してほしい。
「……ワガママだね、アマミネくん」
「そうですよ。だから、躾るなら早いうちにお願いします」
調子に乗っちゃうんで。そう告げれば百々人先輩は悠長に微笑んだ。
「いいよ、恋人のワガママくらい。…………僕に期待をしないでいてくれるなら、いくらでも愛してよ」
おいしいのはわかるから。百々人先輩は開いた口でスープを飲み込んだ。
「……こんな僕でよければ、好きなだけ愛してね。いま食べたお肉が牛か豚かもわかんないようなやつだけどさ」
「鶏ですね」
「鶏かぁー」
全然わかんない。百々人先輩は少しだけ申し訳なさが薄れた声でからころと笑う。
「いいんですよ、なにもわからなくても。俺がそんな百々人先輩のことを大好きだってわかっててもらえれば、それで」
鶏も豚も牛も、肉は肉だし。
「たくさん食べて、健康でいてくれれば文句なしのハッピーです」
「ふふ、アマミネくんおばあちゃんみたい」
「お婆ちゃ……せめてお母さんじゃないんですか?」
「お母さんはだめ。おばあちゃんだよ。ふふ」
トマトをフォークで突き刺して、百々人先輩が俺を見た。
「……僕も、アマミネくんに何か料理を作るよ。へたくそでも、おいしくなくても」
キミを愛してるから。当たり前のように百々人先輩が呟いた。