水曜日よりの使者「マユミくんのラジオ、毎週聴いてるよ」
俺の大学進学と同時に、俺にラジオの仕事がきた。百々人はそれを受験勉強中の息抜きに聴いてると言っていた。
「マユミくんのラジオ、毎週の楽しみなんだ。マユミくんの声、すっごく落ち着くから好きだなぁ」
百々人は大学に入学してもラジオを聴き続けてくれた。その頃には俺たちは恋仲になっていて、百々人は俺のどこが好きかをよく教えてくれるようになった。
「マユミくんのラジオ聴かなくちゃ。マユミくんも紅茶、飲む?」
百々人の習慣は俺たちが同棲するようになっても続いていた。毎週金曜日の深夜二十五時になると百々人はいそいそとラジオをつける。インテリアにもなるだろうとプレゼントしたラジオを百々人は気に入ってくれたようで、慣れた手付きでレトロなダイヤルをくるくると回してチャンネルを合わせていた。
『こんばんは。眉見鋭心の『フィルムと夜』、今週も始めていこう。いま公開中の映画だが、俺が気になっているのは……』
ジングルが入り、自分の声が聞こえてくる。このラジオでは冒頭で毎回気になっている映画を挙げるのだが、それを百々人は楽しそうに聴いていた。百々人にならオススメの映画くらいいつでもいくらでも教えるというのに、金曜深夜二十五時の百々人はこちらを見ていない。
「……百々人」
後ろからそっと抱きしめて、ふわふわしたパジャマから覗く襟足に口づける。百々人はくすぐったいと笑ったあと、俺に体重を預けながらこう言った。
「いまマユミくんのラジオ聴いてるから、静かにしてね」
過去の自分に、勝てない。
勝ち負けではないのはわかっている。しかし、俺はこの夜だけ、数日前の水曜日からやってきた自分自身にどうしても勝てない。
金曜日の夜だ。お互いに明日は大学に行く必要は無いし、俺たちの仕事は午後からで少しくらい寝坊したって構わない。このとても眠たい時間帯に百々人を抱きしめてベッドに入れたらどれほど幸せなんだろう。それなのに、百々人はラジオに釘付けだ。
「……眠くなってきた」
「うん、先に寝てていいよ」
額を愛しい背中にくっつけて少しだけ甘えてみるが返ってくるのはそっけない返事だ。過去の自分は再来週に放送されるドラマの宣伝をしていて、百々人はそれを知っているはずなのにラジオから流れる俺の『ありがたいことに、主役にキャスティングして頂いて……』という声を嬉しそうに聴いていた。
『さて、ここでメールを紹介する。ラジオネーム、ひよこスタンプ愛用中さんからだ……』
わぁ、と百々人が声を出した。俺の腕をきゅっと握り、幸せそうに笑う。
「読まれちゃった! これね、僕だよ」
「百々人だったのか」
知らなかった。そう取り繕うつもりだった口から、自分でも驚くようほど拗ねた声色が漏れてしまった。
「……俺に直接言ってくれればよかったのに」
「ただのリスナーとして送りたかったんだよ」
過去の俺が、俺に直接届かなかった百々人の言葉を読み上げる。わくわくして続きを待っている百々人の耳元で、少し意地悪に囁いた。
「……どう答えたか、教えようか?」
ぺちりと、百々人の手が俺の額を叩く。
「言ったら怒るからね」
ネタバレ禁止。そう言いながら口元に人差し指を当てて、百々人は俺の二の句を封じてくる。
仕方が無いからからだを離し、猫のようにラジオと百々人の間に移動する。百々人の太ももに寝転んで腰に抱きつけば、百々人は意識をラジオに向けたまま俺の頭を撫で始めた。
五日後、俺はまた俺のライバルとなるためにラジオを収録しなければならないのか。過去からの、水曜日よりの使者の声に顔をしかめつつ、俺は三〇分が過ぎ去るのを待った。