我慢ができない。 マユミくんとの付き合いも長くなって、なんとなく彼のことがわかってきた気がする。マユミくんの言いたいことがわかるわけじゃないけれど、ああ、いまマユミくんは言ってないことがあるなって思うことが増えた。
そういう気持ちは恋愛的な付き合いが始まってさらに強くなっていった。言いたいことがありそうなときは聞くようにしているけれど、ちょっと聞きにくいときもある。たとえば恋人同士でしか言えないようなこと、とか。少なくとも僕は恋人がそういう気分であることを察しても「えっちしたい?」とか聞けない。聞いちゃうときもあるけど、基本的には聞けないに決まってるじゃん。
マユミくんは別にいじわるで言わないわけじゃない。むしろ遠慮とか、我慢とか、そういう僕を気遣う感情がマユミくんの口を塞いでいるんだろう。それでも寂しいときはあるし、僕から言い出すのは恥ずかしいときもある。こういうのはバランスが大事だと思うんだけど、マユミくんはそういうのが上手じゃない。
例えば僕が気分じゃないときは、そういうムードを作ってねだればいいんだ。それなのにマユミくんは僕に指一本触れることもせず、ぐっすりと眠れるようにホットミルクを用意したりする。嬉しいけど、そうじゃない。言い出せないのはマユミくんだけじゃないんだから、言ってほしい。でも僕がそんなことを言ったら、マユミくんは言いたくない気持ちも無理して言ってしまうかもしれなくて──極端なんだよなぁ。
今日はもう仕事も終わって明日は二人揃ってオフ。晩ごはんもお風呂も終わって、ここには愛を誓いあったふたりしかいない。健全な青少年がやることはひとつだなんて言わないけれど、マユミくんが少しうわの空なのがわかるから、こっちはちょっとドキドキしてる。
ふ、とテレビから視線を向ければ目と目があう。僕が意識しているのと同じくらい、マユミくんだって僕を意識してる。試すわけじゃないけれど、少しだけ笑えばマユミくんが照れたような、困ったような顔をした。
「……もう寝ちゃう? それとも何か見ようか」
「百々人はどちらがいい?」
「もう、聞いてるのは僕だよ」
いつも見たいにくっつかないで、親しい友人のような距離で問いかける。マユミくんはちょっと黙ってから呟いた。
「……眠るか」
「……うん」
今日はきっと言いたいことを言わなかった日だ。マユミくんの横に当たり前みたいに空いたスペースに落ち着けば、マユミくんが僕の肩に頭を乗せてきた。
「……したいこと、ある?」
「ん……いや、」
「我慢しなくていいよ」
そっと頭を撫でて囁く。いつだって僕はキミの言葉を聞いていたい。
「言って?」
マユミくんは僕の手にふれることもせず、何かを考えているようだった。ためらいとか、遠慮とか、我慢とか、そういうのを全部溶かしちゃいたいって思うのは僕のわがままなのかもしれない。それでも、近づいた距離に許されるのだと自惚れている。
「そりゃ、キミになら何されてもいいなんて無責任なこと言えないけどさ……キミが何をしたいのか、ちゃんと知りたいんだ」
だから教えてほしいな。
「したい、ではなくて……してほしいことがある」
マユミくんがそっと抱きついてくる。普段みたく包み込むような抱きしめ方じゃなくて、僕の胸に収まるようにからだを小さくして、聞き逃しそうな声を差し出してきた。
「……てほしい」
「ん?」
「……頭を撫でてほしいんだ」
「……え? そんなことでいいの?」
拍子抜けしてしまった僕は、差し出されたつむじに手を伸ばすことも忘れて間の抜けた声を出してしまった。マユミくんは僕がぼーっとしてしまったから、不安げ、というよりは諦めたような声色で呟いた。
「すまない。変なことを言ったな……忘れてくれ」
「まってまって違うから! ちょっとビックリしたというか……てっきりもっとすごいこと言われるのかと思ってて……」
「すごいこと?」
すごいことって、そりゃベッドで恋人からお願いされるとしたら僕だって身構える。そして、期待する。
「……ううん、なんでもない」
「そうか。……ああ、そうか。俺が性的な要望を持っているのかと、」
「言わなくていいよ。……ああ、でもそうだね」
少しだけからかいたくなって、でも愛しさに嘘をつけずに僕は頭を撫でながら問いかける。
「ちょっと期待しちゃったって言ったら……どうする?」
「……俺は期待に添えなかったのか……?」
「もー。そういうのじゃないでしょ」
僕はマユミくんを抱きしめ返して、そのまま二人でベッドに沈み込んだ。無防備な頭を撫でながら、僕よりも固い髪の毛にキスをする。降ろすと幼く見える前髪をどけて、隠れていたおでこにもキスをした。
「おでこ」
「ん?」
「かわいい」
普段なら冷静に受け止めるか無自覚に「お前のほうがかわいい」と言い出すマユミくんは僕の言葉をくすぐったそうに聞いていた。もう少しで笑い声になりそうな吐息を埋めるように、僕のおなかに頭を埋めている。大きなからだをきゅっと小さくして眠るように丸まっているから、布団をかぶせてしまおうかだなんて考える。
「……寝ちゃう?」
「寝ない……もう少し、こうしていたい」
「少しじゃなくていいんだよ? たくさん甘えてほしいな」
「……百々人も我慢せずに、なんでも言ってくれ」
くぐもってよく聞こえない声に、返す。
「今日はマユミくんの日だよ」
「俺の日……? いや、だがこれはフェアじゃない」
「そういうの気にしないで……ああ、でもそうだなぁ」
埋もれていたほっぺたを両手で包み込んで、ふにふにと触る。埋もれた表情はいったいどんなものなんだろう。
「たくさんキスしたいから、もうちょっと顔が近いとうれしいな」
マユミくんはゆっくりと顔を近づけて僕の頬に口づけてくる。いくつものキスをもらって、いくつものキスを返して。そうやってずっと抱き合ったまま、気がついたら眠っていた。
***
「マユミくーん」
両手を広げて笑えば、マユミくんは困ったように笑う。
「百々人、今日は別に甘えようと思っていない」
「……甘えるの、いや?」
「いやじゃない……だが……」
「だが?」
「照れくさいんだ。その……すこし勢いがないと、俺は甘えられない」
「でも、マユミくんは普段から僕に我慢しなくたっていいって言うよね?」
そう、マユミくんは自分が我慢するくせに僕が我慢することをひどく嫌う。僕はマユミくんといるときはあまり我慢することはないけれど、我慢しなくていいなら言いたいこともやりたいこともある。
「……マユミくんを甘やかすの、すっごい幸せなんだ」
「……そうなのか?」
「うん。だから、僕が我慢しなくていいなら……甘やかさせて?」
我慢できないんだ。そう笑えば、マユミくんは観念したように僕の胸に飛び込んできた。