恋と病 隼人さんはモテたいってよく言うけど、モテてどうしたいかって聞くと返答はふわふわしてる。別に俺はイジワルがしたいわけじゃないけれど、彼女という存在にイメージが沸かない以上、やっぱり数回に一回かは疑問を返してしまうわけで。
「例えば、彼女にされたいこととかがあるのか?」
俺の質問に隼人さんは赤くなる。隼人さんはわかりやすくて助かる。俺みたいなやつは、言葉にしてもらうか行動で示してもらわないと何かを取りこぼしてしまうから。
「んんー……例えば、お弁当作ってもらったり……あと風邪ひいたらお粥をふーふーしてもらったり……?」
「お粥……彼女とは一緒に暮らしてるのか」
同棲か。そう呟けば大慌ていた隼人さんが即座に否定してくる。隼人さんのビジョンだと、一人暮らしで風邪を引いてしまった自分のもとにスポーツドリンクを持って現れた彼女が冷蔵庫にあった卵でお粥を作ってくれるのがいいらしい。具体的だ。
「でも、確かにいいな……弱ってるときって、そういう優しさがいつも以上に嬉しい」
「だよなー。あ、タケルはもう一人暮らしだから彼女できたらすぐ看病してもらえるじゃん! いいなー。俺は実家だからな……」
「いや……彼女はいない」
そう。俺に彼女はいない。そして、金輪際出来る予定もない。
なぜなら、俺にはアイツがいるから。隼人さんは知らないことだけど、俺はアイツと付き合ってる。はず。恋人という名前が適切かはわからないが、アイツは一生俺に突っかかってくるはずだし、俺だってアイツを逃がす気はない。
「いたらの話!」
「ああ……いても俺、風邪引かないからな……」
風邪なんて引いた記憶がない。中学生のときに一度だけインフルエンザになったきりだ。バカは風邪を引かないって言うけど、もしかしたら本当のことなのかもしれない。俺が風邪を引くビジョンは見えないし、俺以上にバカなアイツが風邪を引くってのもありえない気がしてる。俺たちが看病したりされたりっていうのは、ちょっと想像ができなかった。
隼人さんといるのにちょっと気が逸れてしまった。でも、恋人の話をしてたから、仕方ない。
「まぁアイドルが風邪引いちゃダメだよな。自己管理は大事!」
「じゃあ、夜ふかしも控えないとな……でもな……」
「来週出ちゃうもんな……新作……」
あと九日で新作ゲームが出てしまう。俺は風邪を引く心配よりも、俺がゲームに熱中しすぎると拗ねてしまうアイツのことを考えていた。
***
恋人に看病をしてしまう妄想。なんというか、ちょっとだけ、たびたび思い出してしまうから困ってしまう。
「……おい、オマエ」
「んだよ、チビ」
これが恋人の甘い会話なのだ。卵粥には程遠い。
「オマエ、風邪引いたことあるのか?」
「はぁ? 最強大天才のオレ様が風邪なんかに負けるわけねえだろ! くはは!」
案の定だ。俺たちはバカで頑丈だから風邪なんて引かない。
「……俺が風邪引いたら、どうする?」
「弱っちいな。バカにしてやるよ」
看病が幻想になっていく。隼人さんは看病をしてくれる彼女を見つけてほしい。俺の屍を越えていってくれ。
「バカは風邪引かないんだから、風邪引いたらバカじゃないだろ」
「んだと!? オレ様がバカだって言いてえのか!」
ちょっと夢を見ただけなのにこの始末だ。コイツが本当は優しいことを知っているから、期待したってバチは当たらないと思ったのに。
やはり俺がスポーツドリンクをもらえるのはベッドじゃなくてレッスン室だ。それでも、コイツは俺が凹んでるときには必ず寄り添ってくるから、優しさがありがたいのはおんなじなんだけど。
俺はたまに、ひどく欲張りでワガママだ。
***
俺が風邪を引いたらアイツはどんな顔をするんだろう。見てみたい。
でも、風邪を引いたら離れてほしいな。うつしたくない。
アイツのことだから最強大天才に風邪はうつらないとか言いそうだけど、心配だ。
アイツは円城寺さんが持たせてくれた惣菜とスポーツドリンクを持って俺のそばに座る。
俺は心身ともに弱っていて、離れてほしいのにその手で触れてほしい。
アイツの手はいつも温かいのに想像上のアイツの手はひんやりしてて気持ちがいい。
アイツは静かで、俺の血液がドクドクと巡る音しか聞こえない。
それでもアイツの気配に俺は心底安心して眠るんだろう。
***
夕飯を食べ終わると俺たちは並んでのんびりとテレビを見る。当たり前にそばにいるようになったコイツの手にそっと触れた。コイツは一瞬だけ驚いたようだが、すぐに好戦的な顔になる。
「んだよ」
「……オマエは風邪引いた事あるか?」
「あ? ねえって言ったろ。最強大天才は風邪なんて引かねーんだよ」
「俺もない。だから、看病って言われてもイメージがわかないんだよな……」
これは本当だ。妹や弟が風邪を引いたことはあるけれど、そのときは看病ができる年ではなかった。
「……なんなんだよ」
「隼人さんは、恋人ができたら風邪を引いたときに看病してほしいって言ってた」
「ふーん……なんだよ。チビもされたいってか?」
バカにしたようにコイツは言う。いつもだったら俺だって売り言葉に買い言葉だっただろう。だけど。
「されたい。オマエに看病してほしい。恋人に看病されたい」
でも俺、風邪引かないんだ。バカだから。素直にそういえば、たちまちコイツの顔が赤くなる。こういうところが好きだ。感情のひとつだって取りこぼしたくはないから、ちゃんと伝えてほしいんだ。
「俺が風邪ひいたら、なにをしてくれるんだ?」
「……バカにするって言ったろ」
「……優しくないな。知ってたけど」
触れた手は熱い。風邪なんかとは比べ物にならないくらいの病に俺たちは侵されている。
「俺はオマエが風邪を引いたら、うんと優しくする。でも、俺看病ってどうやっていいかわからないんだ。オマエは知ってるか? なあ、オマエはなにをされたら嬉しい?」
言葉にしてほしい。俺本当にバカだから、言ってもらえないとわかんないことがいっぱいあるんだ。
「……オレ様だって知らねえよ」
手が離れる。残念に思う気持ちが消える前に、コイツは俺の額に手を当てた。
「でも、多分こうする。覚えてねえけど、多分こうされた」
額に触れた手は温かかった。想像とは違う温度に頭が少しだけぼんやりする。なんだか、とんでもなく贅沢なことをされている気がして、もらった感情を全部受け止めきれているか不安になった。
「……そばにいてやる」
パッと手が離れて、それきりコイツはテレビに目線を向けた。頬はまだ赤い。がらにもないことを言うからだ。
「俺も」
コイツは返事をしなかった。
「俺もそばにいる。俺はスポーツドリンクを買ってくるし、お粥も作る」
「……じゃあオレ様はそれもやるし、なんか歌ってやる。オレ様は看病も最強なんだよ」
「じゃあ俺はそれと……本でも読んでやろうか?」
「いらねえ……つーか、オレ様は風邪引かねえし」
「バカだからな。オマエがバカなせいで、看病できない」
「看病してほしいのに風邪引けないバカはチビだろ。バァーカ」
視線は交わらないまま、ケンカにもなりきれない会話が続く。俺たちはバカで頑丈だから、看病をしたりされたりってのができない。それでも、やっぱり願望はある。
「……風邪引かなくても、そばにいる」
「……ん」
「オマエもそうだろ」
「気が変わるまでな」
ちょーしのんなよ。そう言って蹴りをいれてきた脚を掴んで思い切り持ち上げる。ひっくり返ったコイツは面白そうに苛立って俺に飛びかかってくるから取っ組み合いのじゃれ合いが始まってしまう。
ぼんやり考えた。こんだけくっついてたら、きっと風邪を引くときは同時なんだろうな、って。