例えばの最適解【命題】
愛について
【前提】
僕はファングが好き。
僕はファングが大好き。
僕はファングを愛してる。
ファングは僕が好き。多分。
わかんないけど、きっとそれだけ。
だから、全然足りないんだ。
【例題】
僕たちは生き残った腹いせみたく、任務の翌日は一昔前に流行った曲が流れるダイナーで食事をとると決めている。
僕はアメリカンクラブハウスサンド、ファングはワッフルとフライドチキン。そんないつもの光景を見ていると、ファングと結婚したら食事は僕が作ろうという気持ちが強くなる。鶏肉にメイプルシロップをたっぷりとかけてワッフルと一緒に頬張るところも大好きだけど、樹液まみれになった揚げ鶏を愛せるかっていうのはちょっと別の話だ。
「んだよ。一口ほしいならそう言えって」
ファングはニヤニヤと笑いながら甘ったるい匂いで上書きされたチキンを差し出してくる。僕はそれを無視して「ちょうだい」とファングのビールを奪い、一気に煽る。
「あっ! オマエ、任務以外で酒飲むなよ。セブンにお尻ぺんぺんされるぞ」
「大人にそんなことするやつはいない」
僕は大人だ。でも、正直ビールはちょっと苦い。ファングは甘いものが好きなんだからコーラを飲めばいいのに。でも鳥の脂とメイプルシロップがコーラで流し込まれる様を思うと、ビールが最適解な気もしてくるから何も言わない。想像上にべっとりと広がった甘い香りを誤魔化すように、口直しがてらサンドを思い切り頬張った。
「大人ってのはどこにいるんだろうな。オレの目の前にはガキしかいないんだが……って! そういうとこがガキなんだよ」
僕の靴がファングの脛に当たっただけでガキ扱いは心外だ。でも知ってる。ファングは仕事でなら僕を認めているんだ。それなのに、いざ生き延びると途端にガキ扱いしてくる理由を僕は痛いほどわかってる。
「で、ファング。今回も生き残ったわけだけど。返事はいつしてくれるんだ?」
ファングはすっとぼける。キョトンとしたわざとらしい顔を作る。
「愛してるんだ。ファング、僕を好きになって」
生き残るたびにしている告白。ねえファング、死んだらもうこんなに素敵で情熱的なアプローチはもらえないって、わかってる?
「クローが大人になったらな」
またはぐらかされた。こうやって、ファングはいつも僕の告白を蹴っ飛ばす。
こういうのがずっと続いてるんだ。それこそ、出会った時から数えたら十年近く。呆れるくらいに僕の初恋は続いている。
【休題】
例えば、人を殺す。任務のためなら何でもする。暴力をふるう。愛を囁く。引き金を引く。
僕はそういう生活に順応しているけど、ファングはちょっとだけ人間臭い。そういうところが好き。
ファングは性が絡む仕事には僕を参加させない。正式には、そうなるようにセブンを言いくるめる。きっと僕が見ていないところでみっともなく懇願しているんだろう。そうして、そういうの全部を自分ひとりでこなす。そういうところ、鬱陶しいしやめてほしいけど健気で好き。
ファングは神様を信じている。信じてないって言ってるけど、信じてないってことは存在は認めてるってことだ。それにファングは出会った時から持っていたロザリオと聖書が捨てられない。そういうところ、馬鹿らしくて好き。
ファングは意外と運転が丁寧。でも煽られると絶対に許さない。好戦的だよね。好き。
ファングは実は灯りがないと眠れない。眠るときは丸まって眠る。なんだか幼く見えて好き。
ファングは、あとなんだろう。結局ファングが何してても好きなんだ。嫌いなところも全部好き。だって、雨が嫌いでも空が嫌いな人はいないだろ?
そういうこと。
こんなにファングを想ってる。
これって、愛してるってことでいいよね。
【問題】
「作戦を変えよう」
僕の独り言に振り向いたのはセブン一人。まあ、この空間にはセブンと僕しかいないからなんだけど。
「作戦ならさっき決めただろう。変更はない」
ファングはドレスを見繕いにいった。次のハニートラップに使うドレスだ。
「そっちの作戦じゃない。僕はセブンのドレス姿、楽しみにしているよ」
「楽しんでくれて何よりだ。ハニートラップなんて何年ぶりだろうな……」
こう見えて美少年だったとセブンは笑う。今度のターゲットはセブンみたいなガッチリと体格の良い男が化粧をして女物のきらびやかな衣装に身を包んでいるのが、三度の飯より好きなのだ。
「で、そちらの作戦は?」
セブンは揶揄と慈愛をないまぜにして笑う。セブンは僕の恋心を知っているからだ。そもそも、僕はどこでもいつでも何度でもファングに愛を囁いているわけだから、そういう現場を目撃した人はみんな知ってる。たまに応援やキャンディをもらったりする。あとは、成就した時用のスキンとか。よこしてきたやつは、どうやら僕が抱かれると勘違いしていたみたいだけど、抱くのは僕だ。
「ファングにはいつもアプローチをしてる」
「そうだな。よく見るよ」
「でも全然響いてない。ファングは僕の告白よりも、キャスターの天気予報を気にしてる」
自然と拗ねるような口調になってしまったのは大人としてあるまじき態度だ。反省がてらしゃんと背を伸ばして考える。
「いつも『大人になったら』の一点張りだ。だから、僕は大人だってことをファングに示さないといけない」
それができないから苦労しているんだろう。セブンは笑うが、僕には作戦がある。
「僕も色仕掛けをする。やっぱり大人がするようなことをやる。実績を作る」
「却下だ。クローにそういう仕事はさせない。決定事項だ」
「それじゃあ僕はいつまでたっても子供じゃないか」
「性行為を大人の証明と思っているうちは、まだまだ子供だ。第一、性行為をしたいならファングで卒業したらいい」
セブンは笑う。僕は感動した。セブンはやっぱり頼りになる。
「やっぱりセブンに相談してよかった」
「……ん?」
「大人だと思い知らせて、想いも伝える。一石二鳥じゃないか」
「……無理矢理は大人のすることじゃないからな? それは犯罪だ」
「犯罪組織にいる人間のセリフじゃないね。大丈夫、僕はファングが大切なんだ。絶対に無理矢理はしない」
セブンがホッとしたように言う。頑張れ、って。
「ファングはなんだかんだ僕が大好きだからね。今までは本気と覚悟が伝わってなかったんだ。明日の任務で生き残るだろ? 次にダイナーにいるころ、僕たちは恋人になっている」
もらったスキンを使うときだ。僕は紳士だからちゃんとセーフティセックスを心がける。
「……まあ、明日の任務は頑張ろうな。生き残らないことには何も始まらない」
「もちろんだよセブン。大丈夫。愛の力は偉大だから」
今なら誰にも負ける気がしない。意気込む僕はドレスを片手に戻ってきたファングに微笑んだ。さて、どうやってこの気持を伝えよう。いつもと違うやり方で。
【解答】
「で、それが真正面から夜這いしてきた理由か?」
僕は今、ファングに首根っこを掴まれている。子供扱いどころか、子猫扱い。誠に遺憾というやつだ。
「そうだよ。わかるだろ? 僕はもう大人なんだ」
「大人ってのはセックスしたかしてねーかで決まらねーよ」
セブンみたいなことを言う。そんなことはわかるけど、これだって立派な証明手段だと思う。
「だって僕はこれくらいしかしてないことがない。酒は任務で飲んだ。甘い言葉はいくらだって囁いた。煙草だって吸ったこともある。人だって殺した。ねえ、僕はあと何をしたら大人になれる?」
言っててちょっと泣きそうだった。僕にとって、それは本当に切実な問題だったから。
「大人って何?」
ファングは少しだけ息を吸った。畳み掛けるなら今だけど、うまい言葉が見つからない。だったら体を動かせばいいんだろうけど、唇までの距離が途方もなく遠い。
「……クロー、オマエ何才になる?」
「二十六」
「大嘘吐いてんじゃねえよ」
「そんなこと言ったって……生まれも育ちもわかんないんだ。年齢なんてあってないようなものだろ」
僕は自分の年令を知らない。僕は自分の生まれを知らない。スラムに積まれた不用品にそんなものはない。
「ファングの理屈で言えばさ、僕はあと十年は大人になれない。ファングが見つけてくれて人生がはじまったんだ。歳を取るならそこからだ……待てないよ」
首根っこを掴んでいた手が離れていく。僕は恋い焦がれた唇ではなく、ファングの胸に飛び込んだ。
僕の頭をファングの手が撫でる。ごめんな、と小さな声が聞こえた。
「オレはオマエに恋をしてほしくなかった」
「……最悪」
「そういうの、オレたちには邪魔だろ? 怖かったよ。オレもオマエも不幸に飛び込むようなもんだ」
そうだった。ファングは粗野で、自信家で、よく笑うのに、ちょっと悲観的。
「でも、そんなこと言ってられないな。……あと二年、待てるか?」
「待てない」
「待ってろ。手を出してやるから」
「僕が手を出すんだけど」
「はぁ!? そ、そうなのか……そうか……」
ちょっと考え込んだファング。ファングまで勘違いしていたとは。
「うーん……まあそれは追々決めるとして……」
ファングの思考は恋の成就ではなく、どちらが抱かれるかにシフトした。それに、二年って言った。年齢以外、ファングの懸念事項はないんだ。
「二年経ったら手を出していい?」
「……まあ、そんときに考えてやるよ」
「じゃあ、二年後に告白するよ。…………あー、でもなー、明日死ぬかもしれないのになー」
ぎゅう、とキツく抱きしめる。この心臓が明日も動いている保証なんてないのに、ファングは悠長だ。
「……言いたいことはハッキリ言えよ」
「わかってるくせに…………ファング、今がいい」
じっと見つめた瞳が揺らいでいる。数秒の逡巡を経て、ファングは結論を出した。
「……添い寝から。そんで、毎晩キスをしてやる。額、頬、唇。そんなふれあいじゃ満足できなくなったら、大人のキスを教えてやるよ」
「ファング…………!」
視界がぼやける。涙で張り詰めた瞳にファングのキスが一つ。ちょっと格好悪いけどまあいいや。宣言通り、明日の僕らは恋人だ。