きみはきれい 都会には星がないと言っていたのは誰だろう。少なくとも僕らの中にはそんなことを言う人はいない。だって、僕らはみんな都内に住んでるし。
空なんて、まして夜空なんて見る機会がなかったから星がないと言われれば昔の僕は信じただろう。でも今は違う。星がないのなら、珍しく遅くなった帰り道から眺めるあの頼りない光はなんなんだろう。
崩れかけたクッキーのような脆い光だ。頼りなくたって、光が弱くたって、完璧ではない成り損ないだって、確かにそこにいるのに。
とはいえ、理解はしてる。価値がなければ存在していたってないのと同じだ。誰の視界にも入らなくなって、はいさようなら。そんなこと、僕が一番わかってるのに。
「本物の星って、なんだろう」
時間はわからないけれど、きっと深夜だ。ぴぃちゃんが遠征ロケのために取ってくれたホテルは清潔で、狭くはなかったけれどベランダはなくて、小さく切り取られた窓から星は見えない。
アマミネくんは眠っていた。マユミくんだって眠っていたと思っていた。僕は眠れなくてずっと起きていた。平等にジャンケンをして勝ち取ったエキストラベットでぼんやりとしながら、ざらざらとした暗闇に目が慣れるのをずっと待っていた。
カーテンをそっと開ける。暗がりに光が差し込む。人間のための、夜の光だ。こんな僅かな光に照らされた目を細めて、僕は頭の中でもう一度繰り返す。「本物の星ってなんだろう」っておまじないみたいに唱える。いま外に出れば見ることができるはずの光は、どうやったら認めてもらえるんだろう。
「百々人、眠れないのか」
ふいに、声がした。振り向けばマユミくんがベッドの上でからだを起こしてこちらを見ている。僕は鈍く笑う。きっと、逆光で見えやしない。
「星を見てたの」
嘘を吐いた。この窓からは星が見えない。見えるのは向かい合ったビルだけだ。それに、きっと夜空が見えたって、どこかの誰かに言わせれば本物の星は見えないんだ。
マユミくんはゆっくりと、ゆらゆらとこちらに向かって歩いてきた。きっとまだ夜に目が慣れていないんだ。夜の住人に成り切れないこの人に一歩を踏み出して、そっと手を取る。
「目が覚めちゃったの」
はい、また嘘。自分自身に呆れ返る。僕は少しだけ、この人には嘘を吐いてもいいと思ってる。僕にも、キミにも、それがお似合いだって、少しだけ思ってる。
「明日は移動だけだから問題はないだろう。眠れないのは心配だが……」
かといってただ泊まるだけのホテルでできることは多くないと気がついているのだろう。スマホを取り出して、その星よりも鮮烈な灯りをテーブルに向ける。
「何か温かいものでも飲むか? 備えつけのお茶が……」
「外に行きたい」
「え?」
それは思いつきだった。マユミくんの手元にあるスマホは明るくて、彼の顔がよく見える。マユミくんは一瞬だけ驚いたあと、すぐに完璧な笑顔を浮かべて口にした。
「百々人、夜も遅いし未成年が出歩いていい時間じゃない」
正論、正論、正論。無性に苛立って、外になんて大して出たくもないのに僕はにへらと笑う。
「いいよ。なら一人で行くから」
子供の癇癪だ。もしくは、くだらない意地。もしかしたら期待だったのかもしれない。マユミくんが正しさを脱ぎ捨てて、僕のわがままに付き合ってくれたらどんな気持ちになれるのか、だなんて。
「……俺も行く」
マユミくんはため息なんて吐かない。ただ、ただ、僕に優しい。
そして残酷なことに、この人はみんなに優しいんだ。違う、正しいんだ。
「未成年が出歩いていい時間じゃないよ?」
「俺が止めても百々人が行くなら話が変わってくる。一人は危ないだろう」
言うが早いかマユミくんはスマホの明かりを頼りにクローゼットに近づいていった。そして、振り向く。
「どこに行くんだ?」
「え?」
「館内着であまり出歩くものではないだろう。隣にあったコンビニ……いや、」
上着を羽織ればいけるか? とマユミくんは自問自答を始める。僕は近寄って、そっとマユミくんの手を握った。なんでだろう。この人に触れていたかった。
「……どこに行きたいんだ?」
「星を……見に……」
空が見られればどこでもいいの。そう言えばマユミくんは僕の上着を取り出して、「行こう」とだけ呟いた。
ざらざらとした暗闇だった。表情は朧げにしか見えなかったけれど、きっとマユミくんの笑顔は完璧だった。
逃れるようにロビーを通り抜けて自動ドアを潜ればそこは夜だった。ビルに切り取られた夜空の存在を揺るがすように、四方八方から光が漏れている。
額縁に収まったような空には頼りない星がふたつだけあった。きっとそれは季節のせいだけじゃない。
都会には星がないって、誰かが言ってたんだ。
「僕たちは本物の星を見たことがないのかな」
感情が口からこぼれて、僕はすぐに後悔した。なんでこんなことを言ってしまったんだろう。よりにもよって、偽物が服を着て光っているような、こんな人に。
「どういうことだ?」
マユミくんの顔がさっきよりよく見える。一度その若草色の瞳を見て、もう一度空を見た。
「都会には、星がないんだって」
誰が言ってたんだっけ。それとも、そういう歌があったのかも。もう一度視線を向けた時、そこにあったのはどうしようもない正しさだった。
「星ならあそこに見える」
そう言って、まっすぐに空を指すマユミくんはなんにもわかってない。認めてもらえなきゃ、本物になれなくちゃ、存在なんて、生きていていい理由なんてないのに!
「……マユミくんはあれが本物の星だと思うの?」
「どういうことだ?」
「あれをね、偽物の星だって言う人もいるんだよ」
どんなに本当でも、確かに存在していても、偽物はいるの。口にはできず、僕はただ息をしている。
悲しかったけれど、それ以上に道連れが欲しかった。取り繕ってばかりの僕が偽物なら、キミだってからっぽで、嘘吐きの偽物だ。「共犯になって、」って言えたらどれだけ楽なんだろう。好きよりも、愛してるよりも、僕はキミが欲しかった。
「……星は星だ」
そう言ってキミは僕の大嫌いな笑顔で笑う。
「俺はこの夜空を綺麗だと思う」
「そっか。……うん、そうだね」
たったふたつの光を美しいとマユミくんは言う。
「それに、」
マユミくんが笑う。一瞬だけ、星に手が届きそうな錯覚をした。どうしようもない偽物の星でも、確かにそれはきれいだった。
「夜に抜け出してふたりで見た星だ。きっと、ずっと覚えている」
その瞬間、僕の中にはどうしようもない悪徳が生まれた。
「……そうだね。僕も覚えてるから……キミもずっと覚えていてね」
マユミくんがいつか本物の星空を知った時、この星空を疑ってほしい。僕ら二人が並んで見上げた星空が、どうしようもない偽物だって知ってしまえばいい。僕らみたいなからっぽの人間にお似合いの空だったって思い返して、自分が振りかざした正しさに裏切られてくれたなら。
それでも、もしも、本当にきれいなものを見て、それでもこの星空を本物だと呼んでくれるなら。
「……僕らも、星みたいに輝けるかな」
「ああ、C.FIRSTはもっと高みに行ける」
違うよマユミくん。いまは僕らの話をしてるんだ。僕らだって、ハリボテの光だって誰かの本物になれるなら。
僕が、キミにとっての本物になれるなら。
「……頑張らなくちゃね」
そう言ってマユミくんの上着を掴んだ。交わる視線に、笑みを浮かべる。
マユミくんは僕に笑いかける。ねぇ、僕らが似たもの同士なら、その笑顔は本当だって思うんだ。それでね、僕らが似たもの同士なら、きっとキミだって僕が欲しい。
そんなことないってわかってるけど、そう信じていたかったんだ。