Limit マユミくんと付き合いだして──そういうことをするようになってから、わかったことがある。
「んっ……マユミくん、しつこい……!」
ぺち、とうなじを叩けば、ようやくマユミくんの唇が僕のからだから離れた。見えやしないからと許可した胸元とお腹はキスマークだらけだし、ずっと優しく触れられていた脇腹は未だにぞくぞくと背骨を震わせるし、繋ぎっぱなしだった手から溶け合う感覚でどこまでが僕なのかわからない。そう、マユミくんは前戯が長い。寝転んだ僕はしばらくからだを起こしていないから、マットレスにくっつきやしないかと心配になる。
「……すまない、百々人」
「……別に、いいけどさぁ……」
そういえば始めて叱ったかも。マユミくんはしゅんとしていたけど、僕の二の句を受けたら嬉しそうな顔になって僕の唇に柔らかく噛み付いて舌をいれてくる。マユミくんが目を閉じて幸せそうに舌を絡めてくると、僕だって目を開いている気分ではなくなってしまうから視界を閉ざした。そうなるともう感じるのはマユミくんの舌の柔らかさと温度しかなくて、ひとつ感覚を遮断したことで耳が余計に音を拾う。
逃げやしないのにマユミくんが両手を使って僕の頭を固定した。そのまま耳をやわやわと撫でられ、塞がれる。脳の中がやらしい水音でいっぱいになって、悔しいほどにはしたない気分になっちゃって、道連れのように僕もマユミくんの耳を塞いだ。ぐちゅぐちゅとなる水音はその先を想像させる。そう、想像の範疇なんだ。僕らはまだ、前戯から先に進んだことがない。マユミくんがしつこいから、いつだってタイムリミットがきてしまうんだ。
僕には門限なんてないんだけど終電がなくなるまで居座るのは申し訳なかったし、なんとなしに、門限がないというのは僕の手元からひとつの愛が離れていったことがバレそうで嫌だった。そのくせ僕らには映画という娯楽があるものだから、そういういけない気分になるころには、僕らに残された時間は少ない。って言うか、ない。
だから、今日こそはと思っていたんだ。マユミくんにしつこいなんて言ったのは今日が初めてだから、気を損ねないか少しだけ怖かった。それでも、僕はもっと先に進みたかった。僕は情けなくて、はしたなくて、欲深い。僕は、マユミくんに抱いてもらいたい。
舌が離れると、口が勝手に大きく開いて息をする。自分が酸欠だと思い知って、マユミくんの呼吸の深さからそれはお互い様だとわかる。お互いにはお互いしかいない世界に溺れそうになっているのに、時間だけは正しく僕らを追い立てる。
こういうことをしているし、知識だってシェアしていた。一回も使ったことのないコンドームはちゃんと枕元にあるし、お互いにその気だと僕は信じている。それなのに、こんなに触れあっているのに僕のペニスにマユミくんが触れたのはたったの二回で、ローションは戯れに数回使っただけ。マユミくんに至ってはパンツを脱いだことがないんじゃないか。なんか、ちょっと腹が立ってきた。
「……マユミくんがしつこいから、いっつも時間が足りなくなる……」
語尾がしぼんでしまう。足りなくなる、の続きがどうしても言えなかった。代わりのように僕はマユミくん、と名前を呼んでマユミくんを見つめる。しっかりと絡んだ視線を逸らされることはなかったけれど、マユミくんはらしくない言い訳をして、眉を下げた。
「……すまない。つい、百々人がかわいくて」
「……かわいい恋人の、もっとかわいいところ……見たくならないの?」
上半身を起こしてマユミくんの首筋をぺろりと舐めた。そのまま肩に額を寄せて、考えたくなかったことを口にする。
「それとも……僕じゃ、やっぱり無理かな?」
「っ、そんなことはない!」
マユミくんは咄嗟に返してくれたけど、なら、どうして、という気持ちが拭えない。
男では、僕なんかでは勃たないんじゃないか。こうやってなぁなぁの接触で誤魔化しているんじゃないか。まぁ、誤魔化してまで関係を続ける価値は僕にはないけれど、僕だって不安になる。
なんだか惨めだ。こんなに愛されているのに、なんで僕は足りないんだろう。たかだか性器を突っ込むだの突っ込まないだので、この人の愛を疑う自分が心底いやだった。
「……じゃあ、したい。僕はマユミくんともっと繋がりたい。僕のこと、食べちゃって」
マユミくんはちょっと悠長なところがあるから、僕から告げる。
「ぎゅってしてほしいよ」
僕がからだを離した瞬間、マユミくんが力強く抱きしめてくれた。骨が折れそうなくらいの力で抱きしめられて呼吸が詰まる。それでも、全身に喜びが満ちていくのが止められない。嬉しさで、胸がぎゅってした。
「……こわかった」
「え?」
「こわかったんだ」
すまない、という消えそうな声が不安げに僕の心に触れる。マユミくんの手は、震えていた。
「……わざと引き延ばしていたんだ。きっと、俺はこの先に進んだら歯止めが利かなくなる」
嫌われたくなかったとマユミくんは言う。これ以上はないと思っていたのに、もっともっと強く抱きしめられて呼吸が止まる。
「……痛いだろう。でも、俺はまだ足りないんだ。俺は百々人が思うよりもずっとあさましくて……百々人が思うほど、きれいな人間じゃない」
怖くないかとマユミくんは言う。怖くないと僕は返す。俺は怖い。マユミくんはそう呟いた。
「……痛いけど、うれしいよ。キミに触れられなくて寂しくなるよりも、マユミくんに抱きしめられて骨が砕けちゃうほうがずっといい」
僕からもめいっぱい抱きしめ返す。頬を触れあわせて、触れるだけのキスをする。
「……すまない、百々人。不誠実だった」
「いいよ。……僕もね、ちょっとだけ怖いもん」
マユミくんの腕から動揺が伝わってきた。あやすように、マユミくんの背中を撫でながら言う。
「わかってるよ。セックスなんてしなくてもマユミくんは僕を愛してる。でも、もっと欲しいの。僕はね、マユミくんが思うよりもずっとワガママなんだよ……」
マユミくんの腕が解かれて、からだが弛緩する。しばらく僕らは見つめ合っていた。意を決したように、マユミくんが口を開く。
「百々人、キスがしたい」
「やだな、わざわざ言わないでよ」
「言うべきだと思った。百々人、口づけたいんだ。それだけじゃない、俺がどれだけお前を求めているのか……ちゃんと知ってほしい」
そう言ってマユミくんは一息に僕の呼吸を飲み込んだ。マユミくんらしくない乱雑なキスだった。僕は『眉見鋭心』が剥ぎ取られていくのを、ただ見ていた。少しだけ怖いけど、こんなに嬉しいことはないと言い切れる。
今日は帰りたくない。最後まで、欠片も残らず食べられてしまいたい。
「ねぇ、今日は門限を破るよ。……だから、最後まで離さないで……」
門限なんてないけど嘘を吐いた。だって、ちょっと魅力的になるかと思ったから。いじらしい恋人が門限を破るとまで言っているんだから、マユミくんだって悪い子になって。
マユミくんは僕の嘘に気がつかずに、それでも帰れなんて言わずに強い力で僕を押し倒してシーツに縫い止めた。初めて見るマユミくんの熱に溺れた瞳を見ながら、僕は食い散らかされるために目を閉じた。