雨とカラクリ 人の顔色を伺うのは得意なほうだと思う。きっとマユミくんだってそうだ。
ただ、目の前で緋色の髪を揺らしながらレッスンしているこの人と僕のそれは何かが決定的に違っているような気がしてる。なんとなく、本質が違う気がするんだ。
僕が顔色を伺うのは半ば無意識で、それが処世術なのか癖なのかは正直自分でもわからない。マユミくんはどうだろうって考えた時、それは愛にも正しさにも、機械のようなオートマチックな反応にも見える。出会ったばかりの僕にとってマユミくんは期待を飲み込んで自分以外の誰かが望むものを吐き出すカラクリのように思えていたけれど、時間と言葉を交わすうちにわからなくなっていった。
誰かの望む言葉を探してしまう。それがマユミくんと僕の共通点なんだろう。いや、そう思っていたいだけかもしれない。僕はマユミくんと僕に似ているところを見つけると、とても白けてしまうくせにちょっと嬉しい。こんなに正しい人間とやりとりをしているくせに矛盾が生まれていくのはなんだか馬鹿馬鹿しかった。
何かを言う。笑顔が返ってくる。そうして得たものが僕らのからっぽにすっぽりと収まるんだろう。そう結論づけて、僕は笑顔を絶やさずにマユミくんのことを見ていた。僕は僕の変化にも気がついていて、マユミくんとの共通点が離れていくのがわかってる。それでも、僕はマユミくんと一緒の時は笑っていたかった。
僕らは人の顔色を伺うのは得意だけれど、自分の本心を悟らせないようにするのはどうだろう。僕はそういうの、完璧にやりきっていたつもりだけれど最近はかなり自信が無い。じゃあマユミくんは、って考えてみるとやっぱり矛盾してしまう。
マユミくんを覗き込んでみると、その心の底には何も無いように思える。でも、きっとそれは見えていないだけ──巧妙に隠されているだけだ。
じゃあその心を覆う外面は、というと案外素直で俗っぽい。映画が好き。リンゴが好き。ちょっと抜けてるところがあって、かっこいいを捲るとかわいいが見えてくる。
そういうところはわかりやすい。マユミくんが隠し通すと決めたこと、あるいは本人すら気が付かない、認めない感情はきっと触れることさえ叶わない。それでも、見せてくれる部分だけでもわかりやすいところが好きだった。だから僕はマユミくんが映画の話をし始めたら笑顔でそれを聞いていたし、お弁当にリンゴが入っていたらそれをマユミくんにあげるのが一番いいって、そう思ってた。
雨の日だった。いや、晴れていたのに雨が降り出した日、だ。
その日の僕はマユミとふたりきりで、運が悪かったねだなんて言いながらカバンをがさごそと探っていた。改札から見える人々は折り傘を開いたり、諦めたように走り出している。雨足は無視できるほど弱くはなく、事務所までは少し距離がある。
「あ、」
失敗した。そういえば折り傘はこの前干してそれっきりだった。マユミくんはネイビーの傘を持って、僕がカバンから傘を取り出すのを待っている。その若草色の瞳に問いかけた。
「傘忘れちゃったから、ちょっとそこのコンビニで買ってくる……」
そう口にした瞬間、マユミくんの瞳が揺れた。なんだか、とても寂しそうな顔をしたんだ。
「……そうか」
マユミくんはそう呟いて僕の足がコンビニに向かうのを待っていた。その視線は子供のように伏せられていて、初めて見るマユミくんの表情に心臓がどくりと鳴った。
もしかして、って思ったんだ。
そうじゃないかもしれない。でも、そうかもしれない。もしもそうだったら、僕は嬉しいんだろうか。わからないけれど、僕は好奇心に従ってマユミくんの瞳を覗き込む。
「……って思ったけど、買うのもったいないなぁ」
「え?」
「事務所まで、傘に入れてくれないかな……?」
マユミくんってやっぱりわかりやすいのかもしれない。なら、いま僕はなにをわかったんだろう。マユミくんは花がほころぶような柔らかい笑顔を見せて、普段よりもゆっくりをした口調で僕の瞳を見つめ返す。
「……もちろんだ」
マユミくんが傘を開く。嬉しそうに細められた目が雨を映し出してきらきらと揺れていた。
「じゃあ……事務所まで、お邪魔します」
「ああ」
僕はマユミくんと肩を並べて歩く。僕の方に傘を思い切り差し出しちゃったマユミくんの肩が濡れている。だから僕らのからだがひとつの傘に収まるように、僕はマユミくんにぴったりとくっついた。
「も、ももひと?」
「……なぁに?」
わかりやすい、のかな。わかったつもりになってるだけかも。
でもそんな顔をされたら僕だって勘違いしちゃうよ。キミは僕のことが好き、だなんて。
「……俺が濡れるのは気にするな」
そう言って距離を取ろうとしたマユミくんの腕を取ってぎゅっと抱く。マユミくんを濡らしたくないのはもちろん本当だけど、それだけじゃないんだよ。
「気にするよ」
マユミくんの温度が、呼吸が、鼓動が、こんなに近い。
「こうしたらふたりとも濡れずに済むんだから、ね?」
僕らはくっつきながら歩く。傘の中っていう狭い世界でふたりきりになって、言葉も交わさずに。
大丈夫、まだ友人の距離感だ。それでもこのバランスがうまい具合に崩れてくれるなら、それはそれで悪くないと思ってしまったんだ。