逃避行、或いはランデブー「ずさんだなぁ」
アマミネくんの言葉は独り言だとすぐにわかった。恋人が出演するドラマを恋人の横で見ておきながら、独り言とはいい度胸じゃないか。
「ヘタクソ。ですよね?」
今度は僕の瞳を見て心臓が止まりそうになる言葉を吐く。うっすらとした笑いを見ながら、目が合うってことは僕もアマミネくんを見ていたんだな、って他人事みたいに考えた。
普段だったらナイフみたいに僕を傷つけるだろう言葉も意味を理解していたらさほど怖くはない。僕はなにも返さず、悠長にテレビに視線を移す。箱の中には捨てられた子犬と呼ぶにはあまりにも生々しい、みすぼらしい女の子と僕がいた。
女の子と僕が手を繋いで夜の街を彷徨っている。二人は冷え切って、お腹を空かせて、今にも泣き出しそうな顔をして歩く。あの時は寒かったなぁ。そんなことを考えている僕の生ぬるい手にアマミネくんの手が重なった。
「俺なら、もっとうまくやります」
チラリと見たアマミネくんはさっきと違って僕じゃなくてテレビを見ていた。そこに映っているのは一組の恋人で、彼らは逃避行の真っ最中だった。
彼らはちょうど僕らと同じくらいの年頃で、僕らと同じように秘密の恋をしている。彼らの恋は許されなかったけれど、僕らの恋はどうだろう。
「……百々人先輩は、俺と逃げてくれますか?」
自信があるような、諦めたような、そんなどっちつかずの声色に答える。いじわるをしているつもりはないけれど少しだけ笑ってしまった。
「え? いやだけど」
「本当この人さぁ……」
「一緒に逃げるのはいや」
呆れたような声でアマミネくんが嘆く。そんな冗談まじりの態度に、僕も冗談混じりに嘘でもない本当でもない言葉を返す。
「いやだよ。さらってくれないと」
そう言って手を握り返した。応じるでもなく、ただ体温を返す。卑怯だって言うのはわかるけど、それをキミに伝えたら「それは甘えって言うんですよ」って言うんだろうなぁ。
逃避行はいや。だって僕はいまを手放せない。だからって全部をキミに委ねていいってことにはならないけれど、僕の思う『花園百々人っていうアイドル』は逃避行とかしないんだ。
「さらっていいならそれでもいいですけどね。……さらおうとしたら抵抗されそう」
「するよ?」
「ほら、そういうとこですよ?」
恋人にしか出せないムードで恋人らしからぬことを言いながら、アマミネくんは僕を抱きしめた。こういう、キミから始まる愛は心地よい。
「……まぁ、逃げる必要なんてないですけどね」
与えることもある。返すこともある。でも、きっと手を引くのはいつだってキミだ。
「堂々としてたらいいんです。逃げるようなこと、なんにもしてないんだから」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
テレビの中では雨が降り出してしまった。そうかなぁ、ってもう一度口にする前にアマミネくんがハッキリと言う。
「必要ないです。でも、逃避行はちょっとしてみたいかも」
アマミネくんが少しだけ悪い顔で笑った。無邪気で、ちっとも怖くない。
「逃避行かぁ……」
僕はこのドラマの結末を知っている。二人の逃避行がうまくいかないことを知っている。
それでも、
「……ふたりはそれなりにうまくやるよ」
「え?」
「ネタバレ」
勘弁してくださいとアマミネくんは口を尖らせる。キミは物語のハッピーエンドを疑ったことなんてないんだろう。雨に濡れる恋人たちの末路も、たったふたりきりで体温を分け合う僕らの結末も。
「キミを信じるよ」
「え?」
「だから信じてね」
「……ネタバレを?」
なんにもわかってないアマミネくんが混乱しているから、僕は追い討ちをかけるように「恋人たちは幸せになるものでしょ?」と、その青い前髪を持ち上げて額にキスをした。
僕は別に悲観主義者じゃない。キミがハッピーエンドを信じて望むなら、それもいいかなって思うんだ。