コタツで寝るな コーヒーが冷めてしまった。
僕としてはそれくらい長い時間を雨彦さんと一緒にゆっくり過ごせたことが嬉しいけれど、真冬の夜がもたらす寒さは僕らの体温を容赦なく奪う。いや、部屋もコタツもあったかいからポカポカしているんだけど、きっとこの冷たくなったコーヒーを飲んだらからだの芯が冷えてしまうだろう。
コーヒーを温めましょうかー? と言いたかったがあいにく電子レンジが故障している。それを雨彦さんに伝えて謝れば、雨彦さんは「お前さんは悪く無いさ」と言って、少し悩む素振りを見せたあとにポケットから銀色の懐中時計を取り出した。
「それはー?」
「このあいだ手に入れたんだ」
「きれいだねー。でも、これがどうかしたんですかー?」
銀は少し鈍色をしていて、それが繊細なイメージを遠ざけている。よく見れば時間がめちゃくちゃなそれには表面を覆うガラス板がなくて、簡単に針に触れられる状態だった。
「……なんでもこれはタイムマシンらしくてな。これでコーヒーが冷め切る前に戻るってのはどうだ?」
「戻……ええー? タイムマシンー?」
「積もる話があるわけじゃないが……寝るには少し惜しくないか?」
だから、と雨彦さんが時計を渡してくる。自分でやってよと文句を言ったけれど、この男は悪戯に笑いながら僕の手に懐中時計の形をした、彼曰くタイムマシンを押し付けてきた。
「右が進む、左が戻す。間違えるなよ?」
タイムマシンなんてあるわけがないってのはお互いによくわかってる。でもこれはそういうファンタジーな仮説に乗っかった僕らのやりとりっていうか、言葉遊びっていうか……まぁ簡単に言えばじゃれあいだって理解しているから、突拍子もない設定もそのまま受け入れる。万が一本物だったとしても、まぁ、それはそれで。
「……僕が勝手に時間を進めたらどうするつもりー? それとも、戻しすぎちゃうかもー」
「なに、北村はそんなことしないさ」
「なにそれー」
雨彦さんは「北村はそんなことできない、」とは言わなかった。「しない、」って、そう言った。確かに僕はそんなことしないけど、やらないと思われるとちょっと反抗したくなるのも事実で。
「この時計、僕が奪って思うまま。何度も何度も時間を戻して、ずっと雨彦さんといようと……雨彦さんを独り占めしようとしたら、どうするつもりー?」
「そんなに一緒にいたいのか?」
「ベタ惚れですからー」
僕の愛の言葉には何の返答もなくて、雨彦さんは狐みたいに笑ってるだけだ。僕は懐中時計を雨彦さんの方に押しやって、言う。
「自分でやってくださいー」
そりゃ一緒にはいたいけど、永遠にくるくるループする気はない。だから巻き戻すにしてもせいぜい数回なんだけど、その最初の一回、こういうところで精神的なアドバンテージを取りたがるのが僕の──僕たちの悪い癖、なのかも。
「雨彦さんが僕を願って……自分の手で掴んてくれないなら、いやですよー」
自分の手で、針を戻して。
「奇遇だな。俺も同じことを思ってる。……お互い様だな」
なにがお互い様だ。十代の僕が張る意地なんて可愛いものだけど、同じ可愛いわがままを三十路の男が言ってくるから参ってしまう。僕が惚れたのってミステリアスな大人のはずなんだけど、惚れ直す瞬間ってのはそうじゃないから人生って予想がつかなくて面白い。まぁ、そもそも惚れる気もなければ成就するとも思ってなかったから、いまって全部が異常事態なのかも。
「……からだが冷えちゃっても、くっついて寝たらあったかいよねー?」
僕は冷めたコーヒーを一気に飲み干す。肩が触れ合うくらい距離を詰めて、雨彦さんのコーヒーも一気に飲んだ。
「ねー、可愛い恋人がからだを冷やしてますよー?」
「……そりゃ大変だ」
眠ろう。そう言って雨彦さんは僕よりも冷たいからだで僕のことを抱きしめる。このままコタツで寝たいのに、雨彦さんは無慈悲にコタツのコンセントを抜いた。