観測、約束、ねがいごと。 チャンプのお気に入りの寝床は路地裏のドラム缶の上にある。円城寺さんがくれた座布団の上、チャンプがさっきまで寝ていた場所に見覚えのある御守りがあった。
これは俺がアイツにやった御守りだ。御守りなんてどこにでもあるものだけど、わかる。そもそもアイツが置いたんじゃなきゃこんなところに御守りがあるわけがない。
この前の仕事で買ってきた汚れが目立ちそうな白いお守りにはチャンプの毛がくっついていた。御守りをあげたのは円城寺さんとプロデューサーとアイツの3人だけだ。隼人さん達にも買おうと思ったけれど、そうなると四季さんにあげないのはなんだか違うし、四季さんにあげたならHigh×Jokerの全員に必要な気がしてくるし、High×Jokerのみんなに買うなら同年代の人みんなにもあげたい。俺の大切な人は増えたけれど、だからこそどこかで優劣にも似た線引きは必要で、俺には持ちきれないほどの御守りを買う気はなかった。それなのにアイツの分の御守りは買ってるのが自分のことなのによくわからない。あんな、御守りなんていらなそうなやつなのに。
御守りを渡したときのやりとりを覚えている。アイツは最初「なんだこれ」って首を捻っていたから、持っていると事故にあわない御守りだと教えた。
アイツは「ああ、」と言った後、バカにする様子もなく、ただ独り言のように「こういうの、信じてんのか」と呟いた。
別にそういうわけじゃない。だけど神様はいないと言い切れない程度の信心はある。なんというか、あてにしていないだけで信じてないわけじゃないんだ。だから要らないなら捨てろって言えなかった。捨てて、コイツにバチがあたったらどうしよう。そう考えて、責任の所在を押し付けた。
「……好きにしたらいい」
「別に、チビに言われなくても好きにするし」
で、これだ。宣言通りにアイツが好きにした結果、御守りはチャンプのものになったようだ。
思うところがないわけじゃないけれど、これでチャンプが事故に遭わないならそれが一番いいと自分を納得させる。神様は神様なんだし、こういうことも許してくれるだろう。
あれこれ考えていたらチャンプを無視してしまっていた。チャンプが催促するように、にゃぁ、と鳴く。
あ、悪い。そう返事をしようとしたら、チャンプはするりと俺の横を通り抜けていく。チャンプを追った視線の先には見知った銀髪がいた。
「覇王……ってなんだよ。チビもいんのか」
「覇王じゃない。チャンプだ」
「覇王だっての」
いつも通り、コイツは俺の話を聞かない。それでもチャンプはコイツの足元にすりよって甘えた声を出している。チャンプがアイツを優先したのは俺がいつまで経っても飯をよこさないから、だと思いたい。猫ってそういうところあるし。チャンプはアイツが持ってる煮干しを見てにゃーにゃーと鳴いていて、アイツは俺とチャンプを交互に見た後、しゃがんでチャンプを撫でてから煮干しを取り出した。
なんとなく、近寄る。でも御守りのことを言っていいのかはわからなかった。俺がじっとチャンプじゃなくてコイツを見てたら、コイツが言い逃れるように口にする。
「……チビが好きにしろって言ったんだろーが」
コイツは俺がチャンプの寝床で御守りを見つけたのをわかってるみたいだったし、俺はコイツがなんのことを言ってるのかすぐにわかった。別に構わないっていうの、どう言えば冷たく聞こえないんだろう。
「別にいい。オマエは多分事故とかあわねぇし」
「なんだそれ。まぁ、オレ様は最強大天才だから事故になんてあわねぇけどな」
なんだそれって、そんなこと言われても俺にもよくわからない。けど怒ってないってのは伝わったみたいだ。コイツはなんだか得意げにしていたが、少ししたら飽きたように呟く。
「チビ、なんであんなもん買ってきたんだよ」
きっとコイツが望む言葉は気まぐれだとか、なんとなく、みたいな言葉なんだと思う。間違っても「オマエが心配だから、」だとか「大切だから、」ということを言えばきっと気を損ねてしまうんだろう。でもこういうのはハッキリ口にしないと伝わらないし、伝えないとなにかを逃してしまう気がしてる。言ったってどうにもならないことだけど、伝えることには意味があるって思うから。
「……事故とかがないのってさ、当たり前じゃないだろ」
少しだけ、過去に置いてきた傷口が痛んだ気がした。当たり前が当たり前でいることの難しさを俺はよく知ってる。だからこそ、もう手放す気はない。
「当たり前だって思ってることが当たり前のままでいてほしいから。だから買ってきた」
「ふーん……」
きっと俺の思う当たり前とコイツの思う当たり前って別物だ。だけど俺の当たり前には当たり前にコイツがいるから、なんとなくコイツだって俺がいないとダメなんじゃないかって思う。いや、コイツは絶対に俺がいなくたって大丈夫だから、そう思っていたいだけなんだけど。
「ま、オレ様がいてやってんだ。当たり前なんて思わずに毎日感謝するんだな!」
用は済んだんだろう。偉そうにそう言って立ち去ろうとする背中を見たら、急に、喉がつかえて呼吸が止まるくらいの言葉が胸の奥から溢れてきた。
「っ、また明日!」
咄嗟に大声を出していた。あんまり言ったことのない言葉なのに、どうしてこの言葉が浮かんできたんだろう。ただ、切実にそう願った。
コイツはこちらをチラリと見て、なんだか困ったような顔をする。
「……変なの」
こっちなんて見てないような言葉なのにコイツは立ち去ることをしない。だから俺はゆっくりと、手を伸ばせば届く距離まで近づいて口を開く。
「……返事」
「んだよ。ガキみてぇ」
「いいから」
「うるせーなぁ」
そう言って、ようやくコイツは偉そうに笑った。いつも通りに、当たり前みたいに。
「……また明日。これで満足かよ」
俺が絶対に言わないようなことを言って、コイツが絶対に言わないことを言って俺の望みを叶えてる。それがなんだか妙におかしくて、少しだけ笑ってしまったみたいだ。
コイツはなんだか変な顔をして、「バァーカ」と言ったら今度こそどこかに行ってしまった。にゃあ、と声がする。チャンプが俺のことをじっと見ていた。