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    至千大好き!

    椅子を買う 千景さんの生活はあまり変わらない。結局世界中を飛び回っている。陸路が増えたから、走り回っている、とも言える。寮にいた頃は一週間だった出張が二泊で済むようになった。相変わらず部署は異なるので詳しいことはわからない。忙しそうだった。
     こちらにきてからは珍しく一週間ほどの出張があり、帰ってくるなり俺に部屋の片づけを命じる。仕事着からハイネックに袖を通し、うさぎがのぞくエプロンを身につけた。キッチンに立つ。帰り際、スーパーへ寄ったらしい。玉ねぎ、にんにく、セロリ、ニンジン、ブロッコリーに鶏肉。取り出した食材を刻み、炒めて、自ら配合したオリジナルスパイスをこれでもかというほど振りかけ、煮込む。匂いに釣られて味見を強請ると、あと5時間かかると言われた。さすがに嘘。
     先輩はキッチンに立ったまま鍋を煮詰めて、かきまぜ、さらに煮詰めて、ポツリ。椅子が欲しいなと言った。
    「……座ったら?」
     その様子を後ろから眺めていた俺は向かいに置かれたダイニングチェアに目を向ける。先輩はちらりと見やり、肩をすくめてちがうという。
    「そうじゃなくて。一人掛けの、少し深めなやつ」
     えー、んー? と首をかしげて、ああと思いいたる。
     103号室の窓際、白い椅子。月灯かりがよく似合う先輩の椅子。俺の黒いソファーとのコントラストがなかなかいいなと秘かに思っていた。持ち物の少なかった千景さんが運び込んだ唯一の家具。
     あれ気に入っていたのかと今更気がつく。あの部屋に居つくビジョンが見えない頃から置いてあったから、なんだかもう溶け込んでいて、それがあるのが当然で、わかっていなかった。
     ダイニングから続くリビングを見渡す。103号室のソファーよりずいぶん小ぶりな二人掛けがひとつ。確かにそれだけだった。椅子がない。
    「買います?」
     二人掛けのソファーは先輩が買った。謎の罪悪感を抱えていたから買ってもらった。言わされた感はあるけれど、決めたのは俺だった。自分の選択に罪悪感を抱えられるのも奇妙なもので、千景さんはそういうところがあるから仕方ない。俺と先輩とで一緒に選んだソファーを買ってもらった。
     先輩は先ほどと同じように肩を上げて、鍋をかき混ぜた。
    「なんとなく思っただけだから」
     ほら、とスープを少しすくったお玉を差し出され、口をつける。スパイシースープの店でも聞くつもりだろうか。うますぎる。
    「うますぎる」
    「うん。……もう少し辛くてもいいな」
    「探しましょうよ」
    「なにを」
    「椅子」
     わかっているのか、わかっていないのか。先輩はそうかといって口を閉じる。
     自慢ではないが、俺は物欲のプロだった。これがほしい、あれがほしい、なにがなんでも必ず手に入れたい。出るまで回せば確定ガチャ。そういう欲を持ちなれている。だから欲しいと思ったものは、欲しいのだと素直に思える。素直さは俺のチャーミングポイントだ。
     スープ用のボール皿を先輩に手渡す。先輩の手によって湯気を立てたスープがたっぷりとよそわれる。スパイスの香る野菜のスープ。ダイニングテーブルにふたつ並んだ。
    「次の週末、買いに行くか」
     エプロンを外して向かいに座る先輩は、素直じゃないところがチャーミングポイントだったりする。
     
     かくして、椅子探しクエストは難航する。
     まずは近くの家具屋に向かった。ソファー探しの旅の際にのぞいた店だった。なかなかどうして雰囲気のある店内で、重厚な家具に囲まれる千景さんは様になっている。けれども俺には場違いなような気がしていた。あと四半世紀ほど年を重ねていたならば、ここにある家具の置かれた部屋で暮らすのはいいかもしれない。そういう未来を想像しながら選ぶような店だった。俺の居心地の悪さに気がついている先輩はやっぱりここは難しいなと耳打ちをして店を出る。
     次に立ち寄ったのは家具というより雑貨屋の方が表現としては近かった。ピカピカな白いカフェテーブルや、マーブル調の花瓶が置かれたスチールラックは一人暮らしや、生活を楽しむひとのための物に見えた。カラフルな小物に囲まれ、夏組っぽいと顔を見合わせる。彼らは上手に楽しむだろう。俺や先輩はそうした感性を発揮するのがすこし苦手だ。赤い目をして仁王立ちするうさぎの置物をひとつだけ買った。いやな顔をする先輩を俺は楽しむ。
     それから数週間、時間があれば家具屋へと赴く。椅子を求めて街中を歩き回り、同僚に聞き込みをした。ハズレもあれば、いい店もあるけれど、千景さんのお眼鏡にかなうものは見つからなかった。
     ここにはないとわかっていながらIKEAの広すぎる店内を歩き疲れ、フードコートにたどり着く。先輩がホットドッグを二口半ほどで食べ切るのがおもしろくて好きだ。俺はアイスクリームを片手にインステの画面をスクロールさせる。ハッシュタグ先輩に似合う椅子で検索検索ぅ(音符の絵文字)が最近の日課。
    「本気なんだな」
     俺のスマホをのぞき込み、先輩はおもむろにいう。
    「なにがです?」
     顔を上げて、先輩と目が合った。
    「椅子。そんなにほしい?」
     困ったような、嬉しそうな。わかっているのか、わかっていないのか、それすらもわからないというような目だ。本当に、わかっていないときの目をしている。
    「ほしくないですか」
    「そういうわけじゃない。あればいいとはね」
     一度逸らされた目がこちらに戻る。俺を見て先輩はただ、と続けた。
    「ただ、ふたりで出かけるための口実だと思ってた」
     俺は先輩のほしい椅子がほしかった。先輩のほしいと思った椅子をあの部屋の窓際に置いて、本を読んだり、パソコンをいじったり、月を見上げる先輩がいい。それがほしい。
     目を細めて微笑む、結局どこであっても様になる人よ。
    「……あっぶな〜。ちょっと好きになっちゃうかと思った」
    「なっちゃってるだろ」
    「ちょっとだけですしおすし」
    「はいはい。溶けてるよ」
     差し出された紙ナプキンで垂れたアイスクリームを拭い、ふやけたコーンに齧り付く。
     例えば、アイスクリームを拭うための紙ナプキン。食欲がなくても口にできる温かい野菜のスープ。ふたりで座れるソファー。
     千景さんが珍しくほしいと口にした、少し深めの一人掛け。目に見えるものでもひとつくらい、彼の優しさにこたえたかった。
    「別に、口実なくてもいいじゃないですか。出かけるくらい」
    「だから、出かけたいの代わりに椅子探しましょうは素直じゃないなって」
    「……素直じゃなくてかわいいって思ってたんですか」
    「かわいい?」
     わかっているのに、わかっていない顔をする。わざと。
    「かわいいでしょ、素直じゃない後輩は。好きになっちゃいました?」
    「ちょっとだけね」
     
     程なくして、先輩の椅子探しクエストは呆気なく終わりを迎える。
     IKEAのフードコートでアイスクリームと格闘する俺のことをちょっと好きになっちゃった先輩は、ものごとにはタイミングがあると言った。今の自分には一人掛けの椅子はまだはやいということだと。茅ヶ崎がもう少し部屋を片付けられるようになったらどうのこうの。そんなくだらないことをもっともらしく言って、俺を無理やり頷かせてから2週間後のことだった。
     仕事で訪れたその街は古くからある小劇場が有名だという。アテンドされた劇場の、三軒隣りにあるちいさな家具屋。椅子探しは保留となったけれど、探すなとは言われていなかった。
     入り口からそう広くはない店内を見渡してふと目に止まった少し深めの一人掛け。丸みを帯びた背もたれから後脚が一体となり柔らかな曲線を描いている。座面は広く、開放的なアームは足を組む癖のある彼にはちょうどいいように思った。落ち着いたグレイの張地から赤茶の脚が伸びている。
     キッチンから続くリビングの窓際、先輩はこの椅子に座る。
    『先輩が欲しい椅子ありました』
     スマホを開いてメッセージを送ると少し間があって、それでいいよと返信が来た。スマホを伏せる。
     穏やかに笑む店主に声をかけた。
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