きみのすきになりたい仙道は、好意を寄せられることに慣れていた。
有り体に言えばもてたのだ。小さい頃からずっとである。それは恋愛感情のみならず、友愛や親愛も含まれる。
なぜなら仙道の容姿は、幼少期より整っていたからだ。幼稚園の時分にはあまりの愛くるしさに天使だと持て囃されたし、小学校、中学校では愛くるしさのかわりに端正さを手に入れ、高校生になってからは精悍さまでをも手に入れた。垂れ目がちの眼、通った鼻筋、薄い唇がそれぞれ完璧なバランスで配置された顔に、筋肉質なのに嫌味のない長い手足、ちょっと伸び過ぎたくらい伸びた上背。その上物腰は柔らかく、言動はやさしく、かと思えばとっつきやすいところもある。これが人気者にならないはずがなく、仙道はいままで友人に苦労したことはなかったし、数多の女性たち────なかには男性もいた────から、恋愛感情をぶつけられることもままあった。ままありすぎて、最早日常茶飯事と言っていいレベルだ。同級生から後輩から上級生、他校の子、果ては見知らぬOLさんまで、寄せられた好意を数えれば、きっと百では足りないだろう。
しかしそれがうれしいかと聞かれれば、そうでもないとしか答えようがない。
別にうれしくないわけではない。ただ、あまり良いこととも思えないのだ。友達だと思っていた子に急に好きだと告げられても、喜びよりも面食らってしまうほうが勝るし、正直に、本当に正直に申し上げるならば、シンプルに面倒くさいのである。
もちろん、嫌われるよりはましであろうことは理解している。が、いっそ嫌ってくれないかなと思ってしまう時もあった。仙道を嫌う人間はどこへ行っても一定数いたが、彼ら彼女らは陰で仙道を悪様に言うくらいで、特段実害を与えたりはしないので。
一方好意を寄せてくるひとたちは、大概がその好意を盾にずけずけと踏み込んでくる。当然のような顔で待ち伏せしたり、休憩時間を狙って呼び出したりする。断ると決まって涙を流し、なぜか付いてきている友人たちと結託して仙道を責めたり、なじったりするのだ。
メンドーだなあ……仙道がそう感じてしまうのも無理はない。
かといって受け入れてしまうと、それはそれでうまくない。『恋人』という立場を手に入れた子たちは押し並べて、同じだけ好きを返せと言うのだ。毎日電話しよう、毎日一緒に帰ろう、休みの日は出かけようよ……それをすべて叶えられるだけの好きを、仙道は持てた試しがない。
だって、コートにいる時間も大切だから。ボールに触れている時間も、何にもしないでぼーっとする時間も。チームメイトや友人たちと買い食いする時間も、くだらない雑談や、時には猥談に興じる時間も、釣り竿を垂らす時間も、朝寝坊する時間も大切だから。
寄せられる恋愛感情のかわし方を、仙道が見つけ出したのは中三のころだ。彼はある朝ふいに気付いた。きっかけを作らなければいいのでは?
待ち伏せされたら別の出口から出ればいいし、呼び出されそうになったら寝たふりをするかトイレに逃げ込んでしまえばいい。のらりくらりと躱すのは楽だった。そもそも、脈があると思わせなければいい……
そんなことを続けていたら、好意自体に敏感になってしまった。なんせこの作戦は、先読みするのが大切だからだ。あ、この子俺のこと好きなのかも……そう感じたら二人きりにならない。徹底的に気づかないふりをする。そう決めたはずだったのに。
(マズいかなあ……)
仙道はぽりぽりと頭をかく。視線の先では『マズい』の大元が、ぐちゃぐちゃにこんがらがった有線イヤホンと格闘している。
大元は名を流川楓といった。先だっての地区予選で陵南を破りインターハイへと駒を進めた湘北高校のエースプレーヤー。生意気で負けん気が強く、なかなか面白いやつだ。またの名を怪獣ワンオンワンという。これは仙道の友人でありチームメイトの越野が付けたニックネームだが、言い得て妙だなと仙道は思っている。なぜなら流川はそのニックネームの通り、突如陵南高校の体育館に現れては仙道にワンオンワンを要求するのだ。インターハイ前に現れた怪獣ワンオンワンの申し出に────この時は体育館ではなく道端であったが────面白そうだと応じたのが運の尽き。毎週土曜日、部活終わりを見計らって襲来する怪獣に、仙道は見事に付き纏われている。
付き纏われていることがマズいわけではない。もちろん流川がマズいわけでもない。怪獣ワンオンワンの名付け親である越野は「他校の体育館に毎週来るたぁ、湘北はどんな教育をしてやがる」等々とよく怒っているが、付き纏われている仙道自身はちっとも怒っていないし、近頃はむしろ楽しみにしている節すらあった。
突如現れ街を未曾有の恐怖に貶める怪獣さながら体育館に出現し、文句を言う越野を完全に無視して「おいセンドー、勝負しろい」そう言ってのけるふてぶてしさ、こちらの都合などお構いなしに「まだまだ」と言って続けようとする傍若無人さを、仙道はなぜか気に入ってしまったのだ。
そもそも、流川とのワンオンワンは面白い。己のすべてを絞り出し、全力でぶつかりあう数時間。取って取られて奪い奪われ、お互いにムキになって睨み合う。次はどんなことをしでかしてくれるのか? 近頃の仙道は、それが楽しみでたまらない。
それなのになぜ『マズい』のか。答えはひとつ、仙道は、流川から好意を感じ取っていた。それも恋愛感情の類だ。
言葉や態度で示されたわけではない。けれど、向けられる視線のなかに、己の名を呼ぶ声のトーンに、仙道は確かにそれを感じ取っていた。流川と恋愛感情がどうにも結びつかず、しばらくは気のせいかとも思ったが────会うたびにそれは確信に変わる。だから『マズい』のだ。
だって、自分のことを好きな子とは距離を取らなければならない。徹底的に気付かないふりをしなければ、きっといつか流川は「好き」と言葉にするだろう。そうなってはこんなふうに、毎週ワンオンワンに興じることもできなくなる。
それなのに仙道は今日も怪獣ワンオンワンの誘いに乗り、日が落ちるまで二人きりで過ごしたのだ。だって、面白いから。いまだってさっさと帰ってしまえばいいのに、絡まりすぎて玉のようになっている有線イヤホンからイヤホンヘッドを探り出そうとしている流川を放っておけずに、貸してみなと声を掛けようとしている。
(いや、マズいか……マズいよな?でもあれ、流川じゃ解けねーだろな)
じっと黙って眺めていれば、流川はとことん不器用だった。ただでさえぐちゃぐちゃになっているコードをさらに絡ませ、はてと首を傾げている。ひっくり返してみたり、引っ張ってみたり、ギュウとねじってみたり。このままじゃ永遠に解けそうにない。見かねた仙道は、結局声をかけることにした。
「どーした、それ。なんかの塊みてーだな」
「からまった」
「うん、見たらわかるけどさ。とれねーの?」
「とれねー」
「貸してみな」
仙道が手のひらを差し出すと、流川はおとなしく手中の玉を渡してきた。しろいコードがめちゃくちゃに絡まり、イヤホンヘッドすら引っぱり出せない有り様だ。よくもまあここまでひどい塊にしたもんだ……半ば感心しながら、仙道は解決の糸口を探した。べつに器用なわけではないが、こういった事柄なら釣り糸で慣れている。
「こういうのはさ、横着しねーで、まず端っこを見つけんだ。ほら、ここんとこ……」
指をさしながら説明する仙道の手元に、流川はじ、と見入った。こういう素直なところも、流川を面白いと思う理由のひとつだ。口も悪くて態度もでかいが、人のアドバイスは素直に聞くし、おとなしく従う素直さがある。
「ほら、ひとつほどけると次のポイントが見えてくるだろ」
「どこ」
「ここ……これをまずほどく。で、次はこれ」
「どれ」
「これ。なんかこーいうの、知恵の輪みてーだよな」
「チエノワ?」
「知らねえ?銀のやつ。あれは苦手だったけど、絡まった釣り糸を解くのは得意なんだ……ほら、とれた。ヨレヨレになっちまったな」
仙道のゴッドハンドによって白い塊はすっかりほどけ、元の形をとり戻した。有線イヤホンに様変わりした元塊を受け取った流川は少しうつむいて、アリガトー、と小さく礼を言う。その響きがなんとも可愛く聞こえ、仙道は目を細めて「どういたしまして」と答えた。
「もう絡まないようにしねーとな」
「ン。でもいっつも絡まる」
「そーなの? まあ、絡まったらまた解いてやるよ」
「せんどー」
「うん?」
流川が顔を上げる。ばち、と視線がかち合った。反射的に返事をしながら、仙道はしまったと臍を嚙む。気づけば夜九時を回り、小さな街灯の明かりのみが二人を照らしている。ムード的には百点満点、いつ好きと言われてもおかしくない雰囲気だ。
「話がある」
「うん」
なんとなく背筋を伸ばしながら、仙道は流川に向き直った。途端に流川は頬を染め、ほんの少し目を伏せ────しかし意を決したように真っすぐに仙道を見た。
────ああ、これはもう間違いない。
「話、っていうか、頼み」
「うん?」
想像していたものとは違う展開に、仙道は思わず首をかしげる。一方の流川はもう腹をくくったようだ。彼は軽く息を吸い込み、淀みなくその『頼み』を口にした。
「尻の開発、してほしーんだけど」
仙道がその言葉を耳から脳に届け、言葉として噛み砕くまでにはたいへんな時間がかかった。
今流川はなんと言った? しりのかいはつ。尻とはあの尻だろうか。ほかにしりと呼ばれるものはないだろうか。開発とはどういう意味だろうか……
固まる仙道をよそに、流川はさらに言葉を重ねる。
「すきなやついる。でもたぶんムリ、望みねー。だから尻」
「は?」
「尻……あなる?開発してほしーんだけど」
「ちょ、ちょっと待て」
混乱する仙道は手のひらで流川の口を塞いだ。これ以上の情報を、いまは受け取りたくなかったのだ。
────え、流川好きなやついるんだ。うわ恥ずかし、俺ただの自意識過剰野郎じゃん。しかしこいつでも、誰かを好きになったりすんのか。そりゃするか、人間だもの。ああ、なんでそれが俺じゃねーんだろ……
ちくり、と胸が痛む。針で刺されたような痛みだった。その時仙道ははじめて、流川への恋心を自覚した。
────ああ、俺、流川のことが好きだったんだ。
見つけたばかりの恋心は、拾い上げた瞬間砕け散った。なるほど、これは詰りたくもなる。なかなかどうしてしんどい痛みだ。
と、流川が低くうめいた。口を塞ぎっぱなしだったことにようやく思い至った仙道は慌てて手のひらを外す。
「ワリィ、ちょっと混乱して。で、なに、なんだっけ。尻?」
「尻の開発」
「開発っつーのは、下半身の筋力強化とか」
「チガウ。アナル開発ってやつ」
聞き間違いではなかった。仙道は頭を抱えかけ、しかしぐっとこらえて流川に向き直る。失恋の痛みは未だに胸を苛むが、いまはちょっとそれどころではない。
「なんで?なんで尻……」
「すきなやついる。でも、タブンふられるから」
「いや、おまえなら大丈夫だろ……」
「だいじょうぶじゃねー。そいつおれのこと、すきでもなんでもねーと思う」
「なんでわかるんだよ、そんなこと。わかんねーだろ、言ってみないと……」
「言わねー。すきって言われんの、めーわくだから。そいつにめーわくかけたくねー」
「そんなこと……」
ねーだろ。そう伝えたかったができなかった。他ならぬ仙道自身が、好きと言われることを面倒だと感じていたからだ。けれど同時に、まだどこの誰とも知れぬ『流川の想い人』に腹を立てもした。流川の好意を迷惑だと、どこの誰が言ったのだろう。
言葉を吞み込んだ仙道をよそに、流川は訥々と想いを語る。
「でもセックスだけなら、めーわくじゃねーかもって思って。そいつ、遊んでるらしーし。だから尻。男同士って尻でやるんだろ」
っていうかんじの仙流です。
ハピエンです。