『「お手」から始まる恋もアリ?』オマケペーパー(吉デン) デンジはいつものように吉田の部屋の前に立つと、以前から渡されていた合い鍵を使って、扉を開錠する。
吉田とはなんやかんやあったものの、どういう訳か「ご主人様」と「犬」の関係に落ち着いた。もちろんそれは二人が密会を交わす間だけであり、表面上はナユタとの約束を粛々と守り続けている体を保っている。
謎の関係を始めて一か月ほど経ち、週二回はこの家に通っているのだが、吉田が密会後の匂い消しなどを徹底してくれているせいか、ナユタにはまだバレていない。
そのうちバレるだろうが、その時はその時だ。
「オジャマし~……ああっ」
しかしいつものように扉を開けて、デンジは思っていたより早く「その時」が来てしまったことを悟る。
「わんっ」
玄関には、犬がおすわりをする時のような体勢でちょこんと座り込んでいる吉田がいた。
そして彼はデンジの姿を認めると、以前のように顔を綻ばせて、きらきらと光に満ちた眼差しを送って来た。
「よっ、吉田ァ! お前、また犬になっちまったんか?」
「わうっ」
デンジが慌てて部屋に入るのと、吉田が飛びかかってくるタイミングはほぼ同時だった。以前の様にデンジめがけて突撃してきた吉田は、そのまましがみつく様に強く抱きついてくる。
いつナユタにバレたのだろうか。この家にいる時以外で二人で過ごしたりはしていないのだが、もしかしたらカバンに入れていた彼の家の鍵を見られたのかもしれない。
これは後でお説教だなとげんなりしつつも、もう彼女に怒られるのも慣れたものだった。デンジは親愛の証に顔をぺろぺろ舐めてこようとする吉田を、ひとまず手なずけることにする。
「わうん」
「まーでも、犬にされるだけで済んだんか~良かったなあ」
全然良くはないし、下手したら一生このままなのだが、前に「犬のままで良かった」とか言っていた吉田にはきっとこの姿も本望だろう。吉田は「こちら側」だしと、さして気にもせずその黒髪をくしゃくしゃと撫でまわした。
「デンジ」
「はいはい」
デンジもぎゅっと彼を抱きしめて、安心させるようにその背中をぽんぽんと撫でると、肩口へ愛おし気に頬ずりをされる。以前の「経験値」が引き継がれているのだろうか、今回は随分と従順に見える。
「あっ、そうだ」
そこでデンジは今日の本題を思い出し、吉田の体をそっと押しやった。ここに来る時に寄った店で、とある商品を見つけて買ってきたのだ。
吉田に抱きつかれた反動で床に落としてしまった紙袋を拾うと、ごそごそと中身を取り出す。
「今日はお前にプレゼントがあんだぜ?」
「喜べよ」と言いながら取り出したそれは、犬の耳のようなふわふわな三角形がふたつ付いた、カチューシャだった。
「じゃ~ん! あだるとしょっぷで安売りしてたから、買って来たぞ!」
店頭のワゴンセールに入っていた「わんちゃんプレイセット」はこの「犬耳カチューシャ」と「首輪」と「犬のしっぽ」の三点セットで、なんとデンジでも買えるお手頃価格だった。
吉田が自分の「犬」という立場になったとて、セックスに於いてはそれらしいことをしていなかったデンジは、投げ売りされていたこの商品を見つけるやいなや即座に購入してきたのだ。
「吉田、お手!」
「わう」
「おかわり!」
「わん」
「よしよし」
吉田の従順さを「お手」と「おかわり」で再確認したデンジは、犬耳カチューシャをその黒い頭に装着してやる。
「おっ、やっぱ茶色似合ってんな」
吉田の頭に生えた茶色くぴんと立った犬耳を見て、デンジは満足そうに頷いた。
吉田はうちにいる犬達とどことなく似ていると、以前から思っていたのだ。その素直さと、たまに見せる図々しさ、そして寂しがりな所もそうだ。たまたま見つけた「わんちゃんプレイセット」のこの犬耳は、デンジの飼っている犬達の耳とよく似ており、これも購入の決め手の一つとなっていた。
「お前、やっぱしぇぱーどっぽいよな?」
以前岸辺が家にいる犬達の事を「シェパードかそこらか?」と言っていた事を思い出し、犬耳の付いた頭をぽんぽんと撫でながら笑う。対してカチューシャによって頭が締め付けられているせいか、吉田は眉を顰めて何とも言えない顔をしていた。
「ほい、じゃあ首輪も」
黒いテカテカの合皮ベルトに銀色の鋲がぐるりと打たれた首輪をその首に巻いてやると、いよいよかなりそれっぽくなってきた。
「……わう」
吉田は嬉しくないのか、なんだか微妙そうな顔をしている。
だが本来、犬はこうあるべきなのだ。多分。
「あ~……最後のしっぽはまた今度だな、残念」
最後の尻尾には、これぞアダルトグッズという機能が備わっていたのだが、流石に犬化してしまった吉田に使うのはデンジでも憚られた。
戻るかどうか分からないが、これは吉田が正気な時に使うとしよう。そう思って、手提げ袋にしっぽが入ったままのパッケージをしまおうとすると、
「それはどうやって使うんだい?」
「え、どうって、ケツに挿してぶいぶい――……って、はっ」
普通に聞こえてきた吉田の声に普通に対応したところで、デンジは一気に我に返る。
聞き間違いであることを願って慌てて顔を上げると、
「へえ……もしかしてオレに入れるつもりだったんだ?」
それは残念ながら、聞き間違いでも何でもなかった。犬耳と首輪を付けさせられた男は薄い笑みを浮かべて、やや怒ったような声色でデンジに語りかけてくる。
「よよよよよよ吉田っ! なななななんで――」
「犬の時のオレは随分君に良くしてもらったみたいだから、羨ましくてさ」
「犬の振りしてみたよ」と悪びれもせず小首を傾げるあざとい男に、驚きのあまり罵倒の文句さえ出てこない。
「君の顔を舐めるのは少し恥ずかしかったけど、あんなに優しく頭を撫でてくれるんだね。いつものオレにもして欲しいなぁ」
吉田は固まってしまったデンジにぐいぐいと迫って、いつの間にか彼に押し倒されているような体勢になっている。
「はっ、離せよ! この嘘つきヤローっ」
「どうして? オレはデンジ君の犬なのに、もう撫でてくれないのかい?」
吉田はそう言うと、デンジの首筋にすりすりと頭を擦り付ける。蛸にでも聞いたのだろうか、その仕草もデンジを出迎える時の一連の挙動だって、以前の犬化した吉田と全く孫色ないように見えた。
いつの間に会得したんだと思わずツッコみそうになると、
「ねえ、撫でてよ。デンジ」
「――っ」
デンジの胸元にぽすっと顔を置いた吉田は、上目遣いのようにデンジを伺って、らしくなくおねだりをしてくる。
その姿に気色悪さを覚えればまだマシなのだが、最悪なことにデンジの胸はどきりと高鳴ってしまった。数秒ほど悩んだが、やがて根負けしたように恐る恐るその頭に手を置いた。
髪の毛についている緩い癖を解すように、するすると指をくぐらせてみる。ゆっくり撫でてみると、吉田の体温が指先にじわりと伝わっていく。冬の外気によって冷やされていた手のひらには、それがなんだか心地が良かった。
すると吉田は満足げに目を細めて、胸元に頬ずりした。
「やっぱり、そうだ」
「……なにがだよ」
「オレが犬の時に感じてた幸せな気持ちって、やっぱりデンジ君に撫でられてる時のものだったんだなって、今分かったよ」
吉田はうっとりと呟いて、目蓋を閉じる。穏やかな表情を浮かべる彼を珍しいと思ったのは、きっと最近その表情にずっと、張りつめたような緊張感が漂っていたからだろう。
「もう、いいだろ」
こんな場所で何しているんだと、だんだんといたたまれなくなってきたデンジはぽつりと呟くと、吉田は目蓋を開けて黒曜に塗れた瞳でデンジを見上げた。
「そうだね、ありがとう」
平坦な声色にはかすかな物足りなさが伺えた気がしたものの、吉田は素直にデンジから離れていった。
「じゃあ、早速試してみようか」
「あ? 何をだよ」
いきなり話がどこかに飛んで、デンジが体を起こしながら吉田を仰ぐ。犬耳と首輪を付けたままの吉田は床に転がった手提げ袋を拾い上げると、中から「犬のしっぽ」を取り出しまじまじと見つめている。
「へえ、これ、凄いね。挿すところがバイブになってて、スイッチを押すと……」
しっぽを持った手の中から「カチ」っという音が聞こえたかと思うと、
「うおっ」
ふわふわのしっぽと繋がっている、五センチほどの黒いシリコンの棒部分が、低い機械音と共に突然ぶるぶると震えだした。
「こういうの、好きな人もいるんだね」
ちらりと流し目を送ってきた吉田の意図がなんとなく分かってしまったような気がして、デンジは慌てて頭を横に振った。
「違う違う違うこれはお前にやろうって思って、別に俺がしたいわけじゃ――」
「デンジ君、未成年の癖にアダルトショップ行ったんだ? 公安としてはさ、そういうのあまり頷けるものではないんだよね」
腹立たしい事にこういう時に限って、この「犬」は国家権力を振りかざしてくる。
「吉田、違うっ、ダメ!」
「デンジ君はオレと違って口で言っても分からないから、もうカラダで分かってもらった方が早いよな?」
「吉田ぁ! おまえ俺の犬だろっ」
「そうだけど、飼い主を良い方向に導くのも飼い犬の役割だろ?」
吉田は至極当然とのたまって、デンジに手を伸ばしてきた。
「さぁ、行こうか、主人様?」
「ヤだっ、イヤだぁ~~~」
あえなく部屋へと引きずられていくデンジの断末魔は、廊下へと虚しく響き渡って消えていった。
――その後、デンジが犬耳と首輪としっぽを付けさせられて散々お仕置きをされたことは、言うまでもない。