ストロー「コーラとコーヒー、お待たせいたしました」
ウェイトレスの落ち着いた声と共に俺たちの前にストローの刺さったコーラとアイスコーヒーのグラスが置かれる。
「お料理は今お作りしておりますのでもう少々お待ちください」
機械的なほどに丁重なウェイトレスの口上を最後まで聞くこともせず、デンジ君はテーブルに置かれたコーラを取るとじゅるじゅると音を立てて飲みだした。
「っはー、うめぇ…やっぱりあっつい日はコーラだな」
デンジ君は上機嫌そうにのたまう。放課後に彼を喫茶店に誘うことが増えて、最初こそ彼は不審げにしていたものの飲食代を全て俺が払う姿勢を貫いているからか、現在ではデンジ君の方から誘ってくれることも多くなってきた。
最初の思いっきり嫌そうな顔をしていた時から比べると大した進歩だと思う。
「きっと君が大人になったら、そのコーラはビールになるんだろうね」
くすりと笑いながら俺もよく冷えたコーヒーを喉に流し込むと、デンジ君は眉尻をぴんと跳ねさせた。
「いや、あんな苦ぇもんオトナになっても飲まねーって」
デンジ君は嫌そうに顔を歪める。まるでかつて飲んだことがある様な言いように俺は首を傾げて訊いてみた。
「ビール、飲んだことあるのかい?」
「んー、まあ前にアキが飲んでたやつちょっとだけな…」
デンジ君は悪びれもせずに未成年飲酒を認めた。しかし俺が知っている情報によれば早川アキはとても真面目で分別の付く人間だったらしいから、きっと彼の目を盗んでちびりと飲んでみた、というところだろう。
「コーヒーもさぁ、苦いだけなのに何でオトナはそういうの好きなんだろうな」
デンジ君は呆れたふうにため息を吐く。きっとそれだって、早川アキに淹れてもらったコーヒーを飲んで得た感想なのだろう。
デンジ君は俺と二人でいる時に、よく早川アキとの思い出を話す。彼にとってそれは尊い日々を懐かしむ手段の一つであって、そこには何の他意もないのだろう。だが彼がそういった話をするたびに俺の知らないデンジ君を――早川アキが引き出したデンジ君の新しい一面を見せつけられているようで何とも言えない気分になった。
ほんの少し、ほんの少しだけ胸の底で何かがざわつくのを感じながらも、それ以上早川アキとの思い出話を聞きたくなかった俺はそれとなく話題を逸らした。
「ところで無意識にストロー噛むのって意味があるんだって。知ってるかい?」
いつの間にか彼のギザギザの歯によって見るも無残な姿となったストローの先端を眺めながら、俺は探るように目を細めた。するとデンジ君は頭に疑問符を浮かべながら首を横に振る。
「ンだよそれ」
「甘えん坊で欲求不満」
にこりと笑いかけると、デンジ君の眉根がぎゅっと顰められた。
「ああ? 喧嘩売ってんのかテメー」
デンジ君は威嚇するような表情で俺に不穏そうな眼差しを向ける。
彼には本当に自覚がないのだろう。だが彼の「本当の姿」を知っている俺はポツリと呟いた。
「キスして」
「あ?」
その瞬間、苛立ちを体現するかのように貧乏ゆすりをしていたデンジ君の動きが止まる。
「頭撫でて」
すると今度はデンジ君の瞳が大きく見開かれる。
「テメっ、何――」
「もっと激しくして、気持ちいいのが欲しい、早く挿れて、奥まで挿れて、もっと欲しい、ナカに出して」
畳みかけるようにつらつらと台詞を重ねると、ようやく俺が何を言っているのか気づいたらしいデンジ君は途端にその顔を真っ赤にした。あわあわと何か言おうとしているものの、言葉が出てこないのか口だけがパクパクと動いている。
「これ全部君が言った事だけど、本当に欲求不満じゃない?」
そうしてとどめを刺してやると、すべての台詞に心当たりのあったらしいデンジ君はふてくされて俯いてしまう。
どうやら返す言葉もないようだ。
彼と体の関係を築いたのは気まぐれだった。
なんとなくそんな雰囲気になって、だれもいない放課後の準備室で何となく体を重ねた。何となくで身体を重ねることのできる彼が欲求不満以外のなんだというのだろう。
俯いてぶすっとしているデンジ君に言葉を掛ける。
「ああいうこと言うの、俺だけにしてね」
しかしそれを言うなり俺は後悔していた。
少しでも留飲を下げたくて、胸の底にひりつく訳の分からない感情をごまかしたくてつい自分でも訳の分からない事を言ってしまった。これじゃあまるで、自分が独占欲をむき出しにしているみたいじゃないか。
するとデンジ君は顔を上げて訳が分からない様に小首を傾げた。
「…? ったりめーだろ、テメー以外にするわけねぇじゃん」
「っ――」
どきりと、心臓が大きく跳ねた。
それは多分、みっともない姿を他人には見せたくないということ言いたかっただけで、決して自分に対して気持ちがあるとかじゃないのは分かっていた。そう分かっていたけれど、デンジ君の一言にあからさまに動揺する自分がいたのも事実であった。
するとデンジ君は、俺の手元にあるものにふと目を留めてにやりと笑った。
「…てか、テメェも噛んでるじゃねえか、ストロー」
そう指摘されハッとして自分の咥えていたストローを見ると、確かにその先端はデンジ君のストローのように潰れていた。
「よっきゅーふまんはどっちだよ」
無意識にとっていた自分の行動に思わず絶句していると、正面に座る彼に挑発するような声色で笑われた。そこでデンジ君を見ると彼は勝ち誇ったような笑みを湛えていたが、その瞳の中には確かに艶めいて光る劣情が垣間見えた。
先程胸の奥で感じたものとは違うものが沸き起こって、俺は半分まで減ったコーヒーのグラスをテーブルに置くと、掻き立てられるように唇を開いた。
「飯食べたら俺の家に行こうか。欲求不満同士、仲良くしようぜ?」
潔く負けを認めて妖艶な笑みを浮かべると、デンジ君も俺の言いたいことを理解したのか、再びその頬がほんのり赤く染まった。
「…終わったらすぐ帰るからな」
ぶっきらぼうに言い放つその声には、しかし隠し切れない期待が滲んでいた。
「お待たせいたしました」
程なくして大量の料理をワゴンに乗せたウェイトレスが僕たちの横に立って、品名を呼びながらテーブルの上に置いていく。
けれど、彼女の説明はもはや俺の耳には入っていなかった。
この後、家に連れ込んだデンジ君をどんな風に甘やかしてやろうか――それだけで既に頭の中が一杯になっていたのだから。