破壊の王室内は薄暗く、カウンターと座席の周りだけがランタンで照らされている。
先ほどまでの喧噪は嘘のように静まり返り、動く影はわずかに二つ。
(景気よく殺してくれたもんだ)
レジー・クロウは周囲に散らばる死体の山を一瞥もせず――見ずとも分かる――飲みかけのエールを置き、眼前に佇む男に身体を向けた。
壮健な体つき、獣のような眼光。着古したコートの端々には古い戦闘の痕跡があり、その鮮烈な人生を思わせる。
やり合う相手じゃない。そも、レジーに戦闘の心得は無い。眼前の男とは真逆だ。男が手にした小ぶりな両手斧<ブラビューラ>は、おそらく室内という閉所で振り回すことを想定した得物だろう。間違いなく戦い慣れている。見境なく暴れてくれるほど易しい相手ではないことを、その立ち姿ひとつが雄弁に物語っていた。
ならば、どう生き延びるか。レジーが持っている武器は、ほんの少しの弁舌。情けないことだが、それ一つだった。
「お前で最後だ」
男が言った。男はヘイゼルという名を持っていた――今この場でレジーが窺い知ることではないが。
水を撫でるような声だった。強い怒りはなりを潜め、冷静さを取り戻しつつあるらしい。周囲の死体に感謝しなければならない。ここに来るまでに彼の激怒を発散させるに至ったのだから。
此処は、レジーと取引のある関係者達の溜まり場だった。
ジャビ商会――かなり大きな商社だが、それでもウルダハにおいては五本の指にさえ入らない。その傘下、あるいは客。レジーがここで行う取引は、およそ街の中で公然と行えるものではなかった。
麻薬、盗品、それから人身。成程こうして、斧を掲げた正義の味方が強襲してくるのも頷ける。ああ、馬鹿馬鹿しいことだ。
「俺を倒して任務達成か?ヒーローさん」
レジーが挑発すると、ヘイゼルがぎろりと目線を鋭くした。隻眼である。顔面の大きな創傷も歴戦の証左だろうか。
まずは注意を引く。思った通り、すぐに斧を振りかざしては来ない。強い殺意をそれ以上の警戒心で抑えている。ラノシア海賊のような出で立ちだが、気性はそれほど荒くないと見えた。
「ここで違法取引が行われていると聞いて来たんだろう。依頼人の名を当ててやろうか」
ヘイゼルの意識を引き付けている手応えを確かに感じながら、レジーは続けた。具体的な名前を出すと、ヘイゼルが僅かに目を大きくした。大当たりということだろう。
それは同じ仕事を生業とする競合者の名だった。
彼は、邪魔な商売敵を排除するために利用されたのだ。先ほどまでの強い殺意が、ヘイゼルの身体から霧散していくようだった。
「俺を殺したところでこういう仕事は無くならない。あんただって、社会そのものを変えてやろうとは思ってないんだろ?」
それは、レジー自身もまた抱いている蟠りだった。
俺がやらなくても誰かが同じ仕事をする。逃げたところで社会は変わらない。それなら、せめて――自分の目の届く範囲だけでも。
商会に拾われて二十年、気づけばある程度の地位になっていた。ここからなら、多少なりと周囲が見渡せた。金と権力、生まれと育ち、嘘と欺瞞。それらによってどうしようもなく構成されていく無数の人生。
レジーは、人の命を売り買いしながらも、無駄にはしないことを信条とした。商材を手荒く扱う客には売らない。それは資産の損失になるから――これは良心なんかじゃない。俺は、俺の気分がいいようにやっているだけだ。
レジーはただ、口にせず胸中に秘めた。
「それにしても良い殺しっぷりだ、あんた。名前は?」
レジーが問うと、ヘイゼルは激しく顔をしかめた。構わず続ける。
「気に入ったよ。俺と組まねえか?」
「ああ…」
ヘイゼルは、心底理解できないといった様子で、それ以上レジーの言葉を待とうとはしなかった。その後ろ姿が死体だらけの部屋から出ていくのを見送り、レジーは飲みかけのエールを傾ける。
冗談で言ったわけじゃないんだがな――レジーは笑った。
改めて周囲を見回す。床に、壁に、カウンターの上に人間だったものが散らばっている。これほど容易く、怒りのままに振る舞える人間がこの世にいるのだ。
なんと気持ちのいいことだろう――
斧を振り回している時のヘイゼルの姿に思いを馳せる。あれは王者だ。何もかもを鏖殺してくれる、破壊の王だ。
こいつなら、全てをぶっ壊してくれる。そんな夢を見た気がした。無論、現実的じゃない。レジーもまた自分が言った通り、社会を変えてやろうなどとは思っていない。
レジーは小さく笑い、空になったマグに20ギルのエール代を入れて、席を立った。
***
レジーが再びヘイゼルの前に姿を現したのは、ほんの数日後のことだった。
「ここがあんたの傭兵事務所か」
まるで客のように堂々と入口から入ってきたものだから、ヘイゼルは思わず「帰れ」と言った。番犬が唸るようなその声色に、普通の客なら逃げ出していただろう。
事務所は小さく簡素で、依頼を受けて動けるのはヘイゼル一人である。主に魔物やならず者の討伐などを請け負っているようだが、調べたところあまり客足は多くない。
「てめえ、どこで知った」
とヘイゼルが言った。知るも何も、少し調べれば分かることだ。あの日の依頼者のこと、請け負った傭兵のこと、ここに事務所があること。どれ一つとして秘匿されているものはない。極秘の情報筋を当たるまでもなく、レジーが街で聞いて辿り着ける程度のものだった。
「勿論あんたの名前もな、ヘイゼル」
ヘイゼルが舌打ちして身構えた――ちょうどその時だった。
「あの、こちらで依頼を請け負ってもらえると聞いたのですが」
来客だった。レジーとヘイゼルが同時にそちらを見る。
「俺のことは気にせず。どうぞ」
レジーが店の奥に移動し、客が自然と中に入りやすいように動線を作る。逆に言えば、出て行きにくい雰囲気に変える。
「座れ。用件はなんだ」
だが、ヘイゼルはそんな空気にはお構いなしに、客に凄んだ。――否、これは凄んでいるわけではない――レジーがそう気づくも、既に遅い。
「す、すみません。また出直してきます…!」
客は怯えていた。ヘイゼルはただ純粋に、席に座らせて、依頼の内容を聞こうとしているのだ。だがその愛想の悪さに、海賊のような風体が致命的にマッチしすぎている。
「いやいや!ちょうど依頼も無くて、今ならお待たせしませんよ。どうぞそちらのソファに!」
思わずレジーが間に割り込んでいた。ジャビ商会での経歴は伊達ではない。レジーの仕事は汚い裏稼業だけではないのだ。
「すみませんね、彼は見た目は怖いですが腕の立つ傭兵ですよ。敵にナメられると討伐も上手くいきませんからね――ヘイゼル、茶! ほら、客が来てんだぞ――」
「茶? ああ、ええと…分かった」
ヘイゼルが戸惑いながらも階下へ消えていく。飲み物を準備しに行ったのだろう。次からはここに棚でも設置したほうがいいな――レジーはそんなことを考えながら、何故か客の討伐依頼を聞き取り、紙に書きつけていた。
「いつもあんな調子なのか?」
客が帰った後、レジーはカップを片付けながら言った。
レジーが作った丁寧な依頼書を見せ、この通りだというと、実はヘイゼルには余り文字が読めていないことが分かった。識字率の低いエオルゼアでは珍しくもないことなのだが、一人で傭兵事務所を経営するというならそれはネックになる。
「どうにかやれてる。余計なお世話だ」
「本当に?」
室内を見回す。小さいが、立派だ。このエオルゼアで何の後ろ盾もなく、一軒の事務所を持つには相応の苦労が伴っただろう。もはやレジーの中で彼の存在は放っておけないものになっていた。
「俺なら手伝えるぜ」
「おい、居座るつもりか? いい加減にしろ。でないと…」
目の前にヘイゼルの太い腕が横切る。壁際に追いやられ、じろりと隻眼が見下ろしてくる。
「事務所の受付役が必要じゃないか?」
「要らねえ!」
食い下がるレジーの首根っこを掴み、扉から放り出す。
勢いよく閉められた扉に、レジーはただ声をあげて笑ったのだった。
終