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    amelu

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    amelu

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    タル蛍。両片想いから一歩先に進もうとするおはなし。

    *扱いが明確でない小物を使用しているので、捏造部分あり
    *推しかぷがいちゃいちゃしていればそれでいい精神でどうぞ

    ##タル蛍
    #タル蛍
    chilumi
    #chilumi

    ヒアソビとコイ 氷に閉ざされたスネージナヤからやってくると、風光明媚で自然豊かな景色が広がる璃月ですら暑く感じてしまう。もう七月も半ば過ぎだ。気温もそれなりに高く、夕立が降ることもある。
     北国銀行は、氷の女皇が統べる国スネージナヤの組織ファデュイの監督下にある拠点のひとつだ。ファデュイの執行官であるタルタリヤは、その璃月支店に度々顔を出す。今朝、北国銀行の総取締役である『富者』が視察のため本国スネージナヤからやって来たと知らされ、急いで居室を出て北国銀行に向かっているところだ。
     しばらく前に、遠く稲妻の地で果てた執行官『淑女』の追悼のためにタルタリヤもスネージナヤに戻っていたが、それ以後も璃月と本国を行ったり来たりの日々を過ごしていた。スネージナヤパレスは息が詰まる。璃月ではタルタリヤも比較的自由に行動ができるのだが、『富者』が視察に来たとなれば話は別だ。
     それにしても暑い。渡り廊下で立ち止まり璃月の街を見下ろすと、見慣れた白い影が飛雲商会の前を港湾の方へと歩いていくのが見えた。手をぱたぱたを扇ぎながら小さな旅の同行者と話している。凛としていて涼やかに見える彼女ですら、今日は暑いようだ。彼女はここしばらく隣国のスメールにいたはずで、彼の地では『博士』とも相見えたらしい。今からどこへ行くのかわからないが、後で揶揄いに行ってみるのも面白そうだ。
     タルタリヤにとって、蛍は不思議な存在だった。戦友のような好敵手のような、それでいて妹のような。妹のようだと思いつつも、実際の妹に抱く想いとは明らかに違っていた。やはり友に近い何かなのだと結論付けて、タルタリヤは心をこめて彼女を『相棒』と呼んでいる。
    「公子様」
    「やぁ、ヴラド。おはよう。富者は来てるのかな?」
     北国銀行の守衛に声を掛けられ、視線を銀行の扉へと向ける。総取締役の『富者』がここに来ること自体は珍しくはない。だが、彼が璃月に格別の興味を持って何かを企んでいるのも事実だ。
    「はい。中にいらっしゃいます」
     富者の視察が何を意味しているのか、執行官末席のタルタリヤの知るところではない。だが璃月で何かが動けばタルタリヤも巻き込まれかねない。
    「視察って何だろうね? 俺に関係なければいいんだけ——」
     言葉の途中で、扉が開いた。
    「——おや、公子殿でしたか」
     長い黒髪を流した眼鏡の男、『富者』が銀行から出てきた。その手指には、いかにも高価そうな指輪がいくつも輝いている。
    「視察するなら事前に教えてもらいたかったんだけどな、少し前にスネージナヤで会ったと思うけど?」
    「いえ、視察というほどのものではありませんよ。少々、私財を動かしただけですから」
     崩れない笑みを湛える『富者』は、その思惑どころか視線すらも隠してしまう。
     せめてタルタリヤの右側——『富者』から見て左側を過ぎ行く影にだけは気付いてほしくなかった。無意識に、タルタリヤは『富者』の視線を遮るようにして蛍たちに背を向けた。だが却って、それが良くなかった。
    「おや? あれが公子殿のお気に入りの旅人ですか。背中に隠してしまうとは、随分ご執心のようですね。博士からも聞きましたが、非常に珍しく興味深い“個体”だとか」
     “金髪の旅人”は、執行官の間でも特別視されつつある。最初に接触したのはタルタリヤであって、他の執行官が今更彼女に興味を持ち始めるのは面白くない。
    「妙な言い方しないでくれるかな。別に彼女とは何でもないよ」
    「ほぅ? てっきり首輪をつけて飼っているのかと。いいじゃないですか、公子殿もまだ若い」
    「俺はそんなに悪趣味じゃないよ。——それで、私財の移動とやらはもういいわけ?」
    「ええ、終わりました。私は次の用事があるので失礼します。……危険な火遊びもほどほどに、公子殿」
    「余計なお世話。わかってるよ」
     では失礼、と最後まで表情をひとつも変えず『富者』が去っていく。従者の数人がそれに続いて、忙しなく階段を下りていった。凍りつきそうな重い空気を追い払うように、タルタリヤはほっと息をつく。
    「ヴラド、ちょっと出てくるよ」
    「公子様、どちらへ?」
    「可愛いお嬢さんとデート、かな」
     守衛に告げて、階段の踊り場から柵を越えて飛び降りる。蛍たちが向かったのは北だったが、『富者』の一行は南へ向かったようだ。どこかの菜館に行くのか埠頭へ向かったのかはわからないが、今すぐ蛍に手出しされる恐れはなさそうだ。
    「……危険な火遊び、ね」
     『富者』に言われた言葉を反芻し、複雑になりつつある状況と感情を噛み締める。蛍とは特別な関係ではないが、何の感情もないわけではない。あの少女は特別なのだと、タルタリヤにも自覚はあった。だがそれだけだ。他の執行官たちには、タルタリヤと蛍に甘酸っぱい恋愛関係、もしくは爛れた大人の関係があるように見えているようだがまったく違う。タルタリヤは、これは恋愛感情ではないと思っているし、彼女にそうした触れ方をしたこともない。この複雑な感情は行く宛てもなく、彼自身それを持て余している。
     そもそも、恋だとか愛だとか、面倒な感情は名前と一緒に故郷の街に置いてきた。女と寝るにしても、そういった込み入った感情は必要としない。それでも、蛍に会うときは、とても気分がいい。血が沸き立つのを躰の芯で感じるが、これは闘争本能であって情緒的なものではないのだろう。
     璃月港の大橋と大門を抜けてすぐ、タルタリヤは蛍の姿を見つけた。水辺に下りて指先を水に浸し、パイモンときゃらきゃら笑い合っている。日差しは暑く汗が額を伝うが、蛍の周りだけ清涼な空気が流れているようだった。岩場の上の木陰から見つめるタルタリヤに気付く素振りもなく、水を跳ね上げながら二人で楽しんでいる。絵になる彼女を見つめていたいような、振り向かせたいような。
    「あーあ、楽しそうにしちゃって。可愛いね、相棒は」
     弓に矢を番えて引き絞る。蛍に当てるつもりはない。うまく水面に当てて彼女を驚かせたいだけだ。ぎちりと弦が音を立て、タルタリヤはそれを解き放った。





     ぱしゅんっ、と風を切る音と水が弾ける音が通り抜けた。
     あまりに暑さに辟易して、水辺でパイモンと遊びながら涼もうとしていたところだった。飛んできた何かが蛍の手元、水面に着弾して水が大きく打ち上がる。驚いて立ち上がろうとしたところ、水辺で足を滑らせて熱い日差しの青空を見上げてひっくり返った。
    「ほたるっ」
     ひっくり返って水辺に落ちた蛍にパイモンが慌てて手を伸ばす。この辺りは浅瀬で溺れるようなことはないが、ちょうど水際で尻餅をついてしまった蛍はお尻から足元まで水に浸かっている。
    「だ、大丈夫……いったい何だったの、今の?」
     周囲に殺気があるわけではない。水面を見つめてもそこには何の跡形もなく、きょろきょろと辺りを見回すと岩場の上から見慣れた人影が下りてきた。
     金赤の髪に、海の底に沈んだような色の瞳をした男。片手でくるくると弓を回しながら、楽しそうにこちらに歩いてくる。
    「やあ、相棒」
    「公子! お前だったのか」
    「ごめんごめん……いや、まさかっ、ひっくり返るとはっ……あはははっ!」
    「ちょっと、公子! 笑いごとじゃないんだけど!」
     腹を抱えて笑い出した彼の足元で、蛍は水浸しになっている。パイモンも、強い目つきでタルタリヤを睨みつけていた。
     彼に戦いを挑まれることは何度もあったし、共闘もしたことがある。だがこうして悪ふざけをされることはあまりなかったように思う。彼が接触してくるときは何か思惑があり、蛍もどこかで緊張の糸を張ったまま彼と向き合うことになる。
     ほら、とタルタリヤが手を差し出してきたので恐る恐る握り返すと、強い力で引き上げられた。
    「……ありがと。それで、何でこんなことしたの?」
    「そうだぞ、オイラたちに何か用でもあるのか?」
     あー、と曖昧に口を開きかけたタルタリヤは、そのまま声を発することなく動きを止めてしまった。また悪巧みでもしているのか、それともこれといった用事はなかったのか。
    「……相棒。今日一日、俺に付き合ってくれない? 水浸しにしちゃったお詫びもしたいしさ」
    「え? 別に、すぐ乾くから気にしてないよ」
    「それでもさ、頼むよ」
     あまりの暑さに水辺で遊んでいた蛍だが、別に暇をしているわけではない。少し涼んでから、依頼の配達に行くつもりだったのだ。パイモンと顔を見合わせ、どうしようかと思案する。
    「こっちの用事にも付き合ってもらえるならいいんじゃないのか?」
    「そうだね、うん。届け物があるから、それに付き合ってもらえるならいいよ」
    「そのくらい、お安い御用だよ。——でも、パイモンには、これね」
     いつもと変わらない爽やかな笑顔で、タルタリヤはモラ袋をパイモンに握らせる。パイモンも理由がわからず、その小さな身体ごと首を傾げている。
    「なんだ? オイラにくれるのか?」
    「ああ、何か美味しいものでも食べてくるといい。その代わり、相棒を借りるよ」
    「えっ、そういうことなの?」
    「ほら、行こう」
    「お、オイラは⁉︎」
    「ね、ちょっと待って——」
     半ば強引に蛍の手を取り、タルタリヤは石段を駆け上がっていく。パイモンは重たいモラ袋を必死に持ち上げてふらふらと浮遊していた。そのパイモンに声を掛ける暇もなく、蛍はタルタリヤに手を引かれたまま石坂を駆け上がっていく。彼が何か焦っているようにも見えたが、タルタリヤが突拍子もないことをするのは珍しくない。石坂を登り切ったところで璃月港を見下ろすと、大橋を渡って城内に戻っていくパイモンの姿が見えた。
    「もう……とりあえず、配達に付き合ってもらうからね」
    「わかってるよ、君の仰せのままに」
     どこか芝居がかったタルタリヤの物言いに溜息が出てしまう。手を振り解こうにも、がっちりと指を絡められて強く握られていた。何が彼をそうさせているのだろうか。
    「それで、配達って?」
    「この先の、淑之さんっていう小物商のおばあさんのところだよ」
    「ふぅん」
     興味があるのかないのか、それすらも見えない。それなりに短くはないタルタリヤとの付き合いで、蛍は気付いていた。彼は表裏の差が激しいのではなく、表に見えているのがほんの一部でしかなく、大部分は海の底に隠れている。まさに氷山の一角だ。
     少し寂れた山間、小物商の淑之に頼まれていたものを手渡すと、二人でお茶を飲んでいくといいと言われて軒先の椅子に案内された。
    「若者はいいね。二人の今を大事にするといい」
     物悲しい表情の淑之は、蛍たちに冷茶と干菓子を出して露店へと戻っていく。
    「俺たち、恋人だと思われてるね?」
    「……それは、公子が手を握ってたからでしょ」
    「君に逃げられると困るからね。捕まえておかないと」
     からりとした明るい声で笑うタルタリヤに、蛍は少し戸惑いを覚える。
    「それで、今日はどこかに行く予定なの?」
    「あー……いや。今日は、俺の誕生日なんだ。だから相棒と出かけたいと思ってね。それだけだよ」
    「そうなんだ……。誕生日おめでとう、公子」
     一瞬、タルタリヤと誕生日という言葉が縁遠いように感じたが、その違和感は蛍の思い込みによるものだろう。タルタリヤにも家族があり、生まれた日がある。それは当たり前のことだった。むしろ、そのことをあっさりと蛍に明かしたことに驚きを感じたのかもしれない。
    「せめて、ちゃんと名前で呼んでほしいなぁ」
    「た……タルタリヤ。おめでとう」
    「ありがとう、蛍」
     眦がふっと緩み、タルタリヤが柔らかく微笑む。胸がふくらむような息苦しさをに締めつけられ、蛍は深く息を吸った。
    「干菓子、食べる?」
     会話に困り、さらりと乾いた花型の干菓子を指先で摘む。粉を落とさないようにゆっくり持ち上げると、タルタリヤが大きく口を開いた。
    「……ん? タルタリヤ、いらない?」
    「相棒が食べさせてよ。ほら、手袋だし」
    「えー……」
    パッと広げられたタルタリヤの両手には、黒の手袋。外せばいいだけのことなのだが、要は面倒なのだろう。
    「俺、誕生日なんだけど?」
    「もう……。はい」
     タルタリヤが干菓子に歯を立てる。乾いたそれは、ぱきりと割れて彼の口の中に消えていく。
    「ん、甘いね、これ」
    「食べたことない?」
    「うーん、スネージナヤにはないかなぁ」
     くちびるについた粉を真っ赤な舌先が舐め取る。蛍の指先には、白い粉が残った。干菓子で甘く乾いた口内に冷茶を流しこんだタルタリヤは、蛍の手を掴み、その指先をくちびるで捉えた。
    「ひゃっ……!」
     冷茶を含んだばかりの口内は少しだけひんやりとしていたが、タルタリヤの舌が指先のなぞるたびに体温が混ざり合い、段々と熱を取り戻していく。
    「んっ、や、やだ、タルタリヤ」
     蛍が慌てて手を引くと、タルタリヤはふふんと満足げに鼻を鳴らして笑った。揶揄われている。いつもそうだ。
    「そろそろ行こうか。相棒はどこか行きたいところある?」
    「特に予定はなかったの?」
    「まあね。俺の誕生日に相棒を連れ出す、これしか考えてなかった。そもそも、君が都合よく璃月にいるかどうかもわからないだろう? だから、璃月港で君を見かけて急に決めたんだよ」
     それはお互い様のような気もしたが、言葉にはしなかった。ずっとスネージナヤにいるのか、それとも以前と同じように璃月に駐留しているのか、蛍がそれを報されることはない。報される立場にはないと言うべきだろう。
    「ん? どうしたの、寂しそうな顔して。心配しなくても、俺はこうして相棒と二人で過ごせるだけで充分楽しいよ」
     茶杯を置いて、タルタリヤが立ち上がる。ほら、と差し出された手を取るとまた握り返された。露店の淑之に礼を告げて、行先は決まっていないがなんとなく道なりに進んでいく。
    「……暑いね。タルタリヤの格好も暑そうだし」
    「この格好には慣れてるとはいえ、故郷に比べるとさすがに暑いよ。……そうだ、海に行こうか。さっき水遊びしてるの楽しそうだったし」
    「いいよ。タルタリヤも水遊びする?」
    「ははっ、いいね! 二人で水浸しになろうか」
     蛍が地図を開く前に、タルタリヤが方向を定めて歩き出す。先程よりも優しく繋がれた手が少し心地良かった。
     暑いと言いながら、手は繋いだまま。タルタリヤが離そうとしないし、蛍も振りほどくつもりはなかった。思えばタルタリヤとは不思議な関係で、『恋人に見える』とは多方面から言われるが真剣には考えたことはなかった。
    「そういえば……この前、新月軒でも言われたよ。『今日は恋人の彼とご一緒では?』って」
    「んー? 俺のこと? それより、相棒はそんなところに誰と食べに行ったのかな? 俺はそっちの方が気になるんだけど」
    「玉京台の秘書さん、女性だよ」
     なぜ会食の相手が女性だと彼に言ってしまったのだろう。まるで自分から彼に申し開きをしているみたいで居心地が悪い。仮に会食の相手が男性だったとして、タルタリヤは何かを思うのだろうか。
    「なるほどね。俺も家族から“恋人”を連れて帰ってくるようにせっつかれてるよ。……テウセルが自慢げに君の話をするせいなんだけど」
    「そ、そうなんだ」
     恋人とは。恋愛とは。タルタリヤにとっての蛍、蛍にとってのタルタリヤは。
     ただでさえ夏の日差しが暑いというのに、考え始めると余計に身体がぽかぽかしてくるような気がした。





     海に着く頃には、日が傾き始めていた。
     蛍と手を繋いで、タルタリヤの背で作った日陰に彼女を隠すように歩き、疲れたら木陰で休んで水筒の水を二人で分け合った。
     まるで、恋人のようだと思った。ままごとのような生ぬるさは、そわそわと泡立って少し居心地が悪い。だが、繋いだ手を解くのが惜しいような寂しいような、煮え切らない気持ちが渦巻いていた。
    「わぁ……! 海辺は風が強いね!」
     潮風に乱れる透き通った金髪を片手で押さえながら、蛍が楽しそうにタルタリヤを見上げた。鳩尾のあたりが擽ったくて、酒に酔ったような熱がその奥に落ちていく。
     衝動的に蛍を抱き上げて、白い砂浜を駆けた。
    「たっ、タルタリヤ⁉︎」
     バシャバシャと海の中に入っていき、太腿まで浸かったあたりで蛍を放り投げた。大きく水飛沫が上がり、タルタリヤも無事では済まない。
    「あはははっ! どうだい? 涼しくなったんじゃないか、相棒?」
    「タルタリヤっ……! もうっ!」
     小柄な蛍が立ち上がると下腹部まで水に浸かっていて、タルタリヤに仕返しとばかりに水を掛けてくる。彼女の小さな手で掬い上げる水の量など知れたもので、タルタリヤは笑いながら身を引いて避けた。
    「そんなんじゃ、俺は倒せないよ!」
     タルタリヤの悪戯心に火がついた。蛍とはいつもそうだ。彼女と向き合うと血が滾る。手出しせずにはいられない。気高く清らかで美しい彼女に、触れないでいられるはずがない。
    「それなら……えいっ!」
     小さな両手で掬い上げた水はタルタリヤの顔面に直撃して視界が奪われ、次いで腹に重い衝撃がぶつかった。痛いわけではないが、水中の足が滑ってその重さを抱えて後ろに倒れて尻餅をついた。どうやら蛍は、タルタリヤに体当たりしてきたらしい。きょとんとした蛍が、タルタリヤの胸元から見上げてくる。
    「へ……? た、タルタリヤ、大丈夫?」
    「……相棒に押し倒された」
    「えっ、ちが、そういうのじゃなくて……!」
    「じゃあ、“そう”じゃないなら、“どう”だって?」
     ぷつりと糸が切れたように、瞬間的に記憶が飛んだ。
     何かに駆り立てられて、タルタリヤは蛍の小さな顔を両手で包み、潮に濡れた紅いくちびるを喰んでいた。それは熱を帯びていて柔らかく、飲んでもいない酒が全身に回るような気持ちのいい浮遊感に包まれる。必死に空気を求める蛍の声が漏れるたび、びりびりと背筋が痺れた。わずかに残った理性が本能に蝕まれ、生理的な高揚を知らせてくる。
     これ以上は悪戯ともままごととも言えなくなるというのに、蛍は抵抗することもなく蕩けた表情でタルタリヤを受け入れていた。頭の奥が焼き切れるような思いでようやくくちびるを離すと、蛍はくたりと脱力してタルタリヤに身体を預け、肩で大きく呼吸を繰り返した。
    「……蛍」
    「ん……なに、タルタリヤ?」
    「もう一回、してもいい?」
    「……だめ。頭が変になりそう」
    「そっか……。それじゃあ、服でも乾かす? そこの焚き火を借りようか」
    「うん……」
     何かを越えたような、越える手前だったようなもどかしさが残る。もう一度キスをして確かめたかったが、蛍が踏みとどまった。
     浜辺に残された焚き火跡を利用して火を起こし、どちらからともなく寄り添って砂浜に腰を下ろす。服をすべてを脱ぐわけにはいかないので、上着や手袋、ブーツだけ脱いで乾かしている。
     日が落ちて、辺りも暗くなってきた。昼間はあれほど暑かったというのに、海辺のせいか気温は涼しく心地よい。
    「……タルタリヤ、しばらく璃月にいるの?」
    「急に予定が変わることもあるけど、数日間はいるつもりだよ」
    「そっか、忙しそうだね」
    「まあね。行ったり来たりだよ」
     そういえば、と昨日から入れっぱなしだったスキットルを取り出して栓を開く。軽く揺すると、中身は半分ほど残っていた。スネージナヤの火酒だ。
    「そんなこと気にして、どうかした? 相棒だって、また別の国に行くんだろう?」
     口に含んだ火酒は、いつも通りの辛口だった。また、別れの時が近付いている。
    「うん……。次はいつ会えるかなって」
     寄り添って座っているのに、蛍は決してタルタリヤに撓垂れ掛かったりはしない。それはこの少女の矜持なのだろう。すっと背を伸ばし、真っ直ぐに海を見つめている姿は高潔で美しい。だが、その澄ました顔の下に覗く弱い部分を誰が掬い上げるというのだろう。
    「蛍。やっぱり、もう一回したい。いい?」
    「え……? ん……いいよ」
     火酒で腹に熱を落とし込む。スキットルの栓を締めて、砂浜に突き立てた。回した腕で蛍を抱き寄せて、今度はなるべく優しく蛍のくちびるに押し当てる。それだけでは我慢できずくちびるを喰むと、火酒の辛さが広がった。
     一回目は潮、二回目は辛い酒。どちらもひとつも甘くないというのに、蛍とのキスはひたすら甘い香りがする。鼻に抜ける甘さを追いかけるように何度もくちびるを喰み、吐息を吸う。
     遅くなる前に、彼女を璃月港まで送り届けなければいけない。だが本心では、そのままタルタリヤの居室に連れ帰ってしまいたかった。連れ帰って閉じ込めて、その後は。
     タルタリヤの家族も、他の執行官たちも、そして他の何人かも、タルタリヤと蛍の関係を『恋人』だと見做している。誰もその関係を“否定”しないのならば、“本物”にしてしまってもいいのではないだろうか。規範や理性も、二人の間の熱で融けていく。
    「んっ……」
     名残惜しく離れたくちびるに、蛍の熱と甘い香りが残っている。
    「……そろそろ、戻ろうか。オチビちゃんも心配してそうだ」
    「うん……」
     月が昇り、薄明かりの下を二人で歩いた。行きはあれほど時間がかかったというのに、帰りはあっという間だった。ぽつりぽつりと交わされる会話も表面を軽くなぞるような他愛のないもので、互いに何か大事なことを避けているように感じた。
     璃月港へと続く大門を抜け、大橋の真ん中で足を止める。
    「今日は付き合ってくれてありがとう」
    「うん、楽しかったよ。……改めて、お誕生日おめでとう、タルタリヤ」
    「ありがとう、蛍。……次いつ会えるかわからないけど、元気でいてくれよ」
    「うん。タルタリヤも、ね」
     蛍の小さな両手が、タルタリヤの服の袖をぐっと掴む。精一杯の背伸びをした蛍のくちびるが、タルタリヤの頬に触れた。そして、耳元で優しく囁く。
    「——会いにきて」
     離れる間際、蛍はタルタリヤの胸元に何かを押し付けて寄越した。軽やかな足取りで距離を取った蛍は、タルタリヤに小さく手を振り微笑んで璃月港へと走り去っていく。蛍の背中が見えなくなってタルタリヤの手元に残されたのは、『洞天通行証』と記された木札だった。これが何なのか、タルタリヤは知っていた。所謂、彼女の家の合鍵のようなもの。そして、それを渡された意味も。
    「……あぁ、会いに行くよ」
     決して、火遊びではない。これは間違いなく、恋なのだ——。
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    amelu

    DONE2024年アルハイゼン誕生日ゼン蛍。
    とあるきっかけと周りの後押しで急接近した二人のおはなし。
    光を抱く巨樹 不可抗力ではあったが、アルハイゼンは蛍と抱き合った。
     それは、真昼の往来で起きた、些細な事故に過ぎない。
     だが、あの小さくしなやかな身体を自分の腕に収めたときから、アルハイゼンの日常は複雑に縺れてしまっている。
     業務の合間に教令院を出て街中へと下りてきたアルハイゼンは、不意に曇りなく晴れ渡った暑い青空を見上げた。白い鳥が旋回するように飛んでいる。まるで、あの日のような光景だ。もっとも、あの日に真っ白な翼を広げて空を舞っていたのは、鳥ではなく蛍だったのだが。
     あの日は、風が荒れていた。ヤザダハ池の桟橋からの坂道を上りきったところで、アルハイゼンは上空を緩やかに滑空する白い影に気が付いた。その影の大きさから鳥でないことはすぐわかったが、それが彼女であることに気が付いたのは一瞬遅れてだった。突風が吹きつけ、乱れた前髪がアルハイゼンの視界を奪う。指先で払って再度見上げたときには、翼の制御を失った白い影が回転しながら勢いよく落下しているところだった。体勢を立て直すには低空すぎる。あとは如何にして着地の衝撃を和らげるかだ。目測だが、このままでは建物に衝突する可能性もある。彼女ならば咄嗟に身を翻して避けられるのかもしれないが、予備策の有用性について検討する前にアルハイゼンは石畳を蹴っていた。
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