俺は、とうに生きるのを諦めている。
26歳。
職場で受けた健康診断で引っ掛かってしまい精密検査を総合病院で受けた。
その時に見つけたのだ。
密かに身体を蝕んでいた病魔を。
国内でも発症例が少ないその病。
まだ治療法がない難病だった。
この病は進行が早く、もって1年、などど担当した医師にハッキリ言われた。
…ショックだった。
けど、俺以上にショックを受けて泣いている家族を見ていたら不思議なことに何だか淡々と事実を受け入れることが出来た。
じゃあ身辺整理だな、と逝くまでの時を有効的に使うことを考え始めたのだ。
少しずつ住んでいたアパートのものを片付けた。誰かに見られたら恥ずかしいものは真っ先に全処分。
もし健診で引っ掛からなきゃ、病気の事を知らずに過ごし、アパートの中で倒れてるとこを後に発見されたりして。部屋の中を調べられて見られたら恥ずかしいものを見られたり、お世話になっている大家さんの物件を俺の所為で事故物件にさせるところだった。
27歳の誕生日の今日、職場に辞表を出した。
上司に病気のことは伝えていたけど、余命のことを言うのは初めてだった。体育会系で明るさが取り柄の上司が「そうか…」て震える声で呟いた。
引き継ぎとかもあるので、しんどいなら無理にとは言わないが、今週いっぱい大丈夫か?と聞かれ頷く。
「お前が治療を頑張れるように盛大にみんなで頑張れの会するからな!」
敢えてお別れ会、という言葉を避けたのだろう、明るく言う上司の頬に水滴が流れてきて、俺は気が付かないフリをした。
良い上司に恵まれてたな、と改めて思った。
そんな帰り道だった。
眩しい光に包まれて。
目を開けたら見知らぬ世界。
キレイなお姫さまがいて、奥にはキラキラ眩しい装飾で身を固めた王さま達。
こういうの知ってる、異世界召喚ってやつ。
まさか病院の待合室で暇つぶしに読んでた小説と同じ事が現実に起こるなんてビックリしたよ。
…ということは俺は勇者なのか!?
…違いました。勇者は別にいて、俺は巻き込まれただけらしい。
だよね。こんな病気持ちのやつが勇者になれるわけもない。
一瞬、これは最後に神様が見せてくれた夢なのかもしれない、て期待しちゃったよ。
ステータス画面を見れば、名前の横に病気持ちであることがちゃんと記されていて、別に転生されたからといって病気が消えたりとかはないみたいだ。
鑑定をしてくれた人が「これは何て読むのだ?」何て聞いてきた。
病気の欄は異世界文字で書かれ、翻訳されてないらしい。
もし、うっかり鑑定されても、腫れ物を見るような気遣いをされることは無いみたいで安心した。
病気の横に記されている数字は何だろうか?
…120。
夜になってカシャンとひとつ減ったことに気がついて確信した。
あぁ。そうか。
俺に残された日数だ。
120日じゃあ元の世界に戻る方法を見つけるには短すぎる。
通勤鞄の中に常備薬と痛み止めは入っているけど、一カ月分もない。
この世界でせめて痛み止めと同じ作用の薬があれば良いけど…。
薬は本当に辛いときのみの服用にしていくしか無い。
もし体調が悪化して、薬も切れたとしたら…下手したら120日が早まることもあるかもしれない。
…そっか。
俺は知り合いもいない、勝手も分からない異世界で死ぬのか。
最後は家族と…と思ってたのに叶わぬ夢となってしまった。
120日で死に場所を見つけなければならない。
死に場所と、死に方だ。
戦争に巻き込まれたり、行き倒れになって死ぬのは嫌だ。
魔物がいるらしいこの世界で、魔物に食べられる最後も嫌だな…。
120日じゃ無理かもしれないけど、……誰か安心できる人が傍にいてくれたら良いな。
とりあえず、召喚された国はいろいろヤバそうなので、俺は王様から手切れ金をもらったらすぐに逃げ出した。
こういう勘は当たるみたいで、街の人から話を聞けば案の定。
戦争がはじまりそうとかで、逃げて正解だったようだ。
さて。
落ち着いて自分の状態を確認してみる。
スキルはアイテムボックスにあとネットスーパー。
「ネットスーパー?」
どんなスキルなんだ?て思って宿屋に泊まったときに試してみたらなるほど、ネットスーパーだった。
元の世界のものが手に入るのは良いな。
食べ物はやっぱり安心安全なものを口に入れたいもんな。
お金は必要みたいだけど。
「どこかでお金を稼ぐ方法も見つけないとな」
それまでは節約生活。
お金を使う予定が1個あるからだ。
この世界は魔物が出る。
だから、道中、戦えない俺は冒険者に護衛を依頼した。
護衛を引き受けてくれたのはアイアンウィル。
パーティランクはC。実際に魔物を倒すところを見たけど、チームワークも良く慣れてるって感じで格好良かった。
護衛を依頼するときの条件として、俺が食事を用意します、て言ったんだけど、皆さん、俺の作る飯が気に入ってくれたみたいで、ムコーダさんがパーティに入ってくれたら良いのに、なんて言ってくれたんだ。
剣士のヴィンセントが言い始めたら皆それがいい!て賛同しちゃってさ…。
実力冒険者チームに俺が…?
絶対皆さんの足を引っぱることになる…戦闘できないし、まして病弱だし。
でも、この世界で初めて良い人達だなぁって思ったチームに勧誘されて…俺の気持ちはかなり揺らいだんだ。
もしかして、死に場所としてここに落ち着くのもアリじゃないか?って。
アイアンウィルの皆さんも俺が飯を作っている間に話し合ったみたいだ。
ヴィンセントがやってきて、
「ムコーダさん、リーダーが正式に申し込むってさ」なんて言う。
夕飯の席で徐に立ち上がったリーダーのヴェルナーさんは、立ち膝をし、俺の手を握った。
「…ムコーダさん」
「はい」
「俺は…ムコーダさんのことをとても好ましく思っている。それはパーティのメンバーも同じだ。ムコーダさんさえ良ければ何だが…」
「…はい」
ヴェルナーさんの手が熱くて、何かドキドキした。
周りで見守る皆さんの視線も熱い…。
リーダー頑張って、なんて茶化すリタの声、何だか愛の告白のようですわね、と口元を押さえて笑うフランカさんの声も聞こえる…。
「我々のパーティに……」
俺は「こちらこそお願いします」という言葉を口の中に溜めて、ヴェルナーさんの言葉が終わるのを待っていた。
きっとここなら。
この人たちなら。
ここなら安心して逝けるかもしれない。
そんな時だった。
物凄い重圧感を背後から感じて。
振り返れば白くて大きなオオカミみたいな魔獣がすぐ近くに立っていたんだ。
「あ…」
これは死んだ。
魔物に殺されるとか嫌だな、て思ってたけど、それは間違っていたと気がつく。
殺されるかどうかは圧倒的強者が決めることで、こちら側に嫌だという権利はないって事。
アイアンウィルのメンバーは実力者揃いだが、皆、このヤバそうな魔獣を前に恐怖で固まってしまっている。
それほどの魔物って事だ。
俺は改めて白いオオカミみたいな魔獣を見上げた。
その大きな体でのし掛かられて死ぬ。
その燃えるような色の前足で掻かれて死ぬ。
大きな口で噛みつかれて死ぬ。
俺を待っているのは一体どれだろうか。
『おい、人間よ。我にもそれを食わせろ』
魔獣が地の底から聞こえるような声で俺に話しかけてくる。
喋れる魔物って相当にヤバいレベルのものだって、異世界初心者の俺でも分かる。
前足で俺の方を指すので、自分を指さして「俺ですか?」と聞けば、『その皿の方だ!』と怒鳴られた。
つまりこの魔獣、どうやらお腹が空いているらしい。そして、食べたいのはヒトでは無く、俺の料理の方らしい。
恐らく、肉の焼けるにおいに引き寄せられてここに来たのだろう。
俺が皿を差し出すと勢いよく齧りついた。
『何だこれは』とか『足りぬ』とか、ガツガツ食べながら漏れてくる声。
おかわりを強請られる度にドンドン作ったら、作った分だけモリモリと平らげていく。
魔獣が満足する頃には俺はヘトヘトでテーブル代わりの大きな岩にもたれかかってグッタリしていた。
そのキツさは運動テストのシャトルランをした後みたいだ。
『とても美味かった…我は満たされた』
「はいはい…どうも…」
ゼェゼェ…
『気に入った。お主と従魔契約を結ぶ』
グッタリしている俺に向かって、白い獣が何か言ってる。
ジュウマケイヤク…?
…あぁ、この魔獣を仲間にするって事?
…え。
「…俺、長く生きないよ?」
『人の寿命が短いことなど承知。我にとっては瞬きする間の流星と同じ。その暫しの生を我に捧げよ』
捧げよって…。
何か変なことになっちゃったな。
アイアンウィルの皆さんの方をチラリと見ると、首を縦に振って「逆らうな」「承諾しろ」みたいなジェスチャーまでされた。
えぇぇ。
こんな強そうな…伝説級の魔獣を仲間に…?
「あの…お断りしま…」
『ん?』 ギロッ
「ですから、おこと…」
『ん?』ギロッ
ひぇ。
先程食わせたしょうが焼きが気に入ったのか、尻尾ブンブン振っちゃってるし。わんこかな?
それ見てたら怖さとか少し飛んで、まぁいいか、何て思ってしまった。
どうせ、少しの付き合いだし。
「…良いよ」
こうして俺は、白い魔獣…フェンリルのフェルを従魔にすることとなるのだった。
フェルを仲間にしたから、俺はアイアンウィルの皆さんとは別れることにした。
街に辿り着いたとき、沢山の兵士に囲まれちょっと怖い目にあったんだけど、それはフェルと、フェルを連れている俺が警戒されているからだ。
フェルは世界最強のフェンリル。
そんなのが街に入ってくるんだもん、そりゃあ兵士たちが警戒しない方がおかしい。
この先、俺とフェルは度々こんな扱いを受けることになるんだ…。
それはきっと、各地を冒険してる皆さんにきっと度々迷惑をかけるだろうな、と思ったから……。
「俺はフェルとふたりで行きます」
ムコーダさん、とヴェルナーさんがあの夜の仕切り直しをしてくれようとしたんだけど、言わせる前に俺は笑って首を振った。
「フェル様がいるなら大丈夫だろうが……そうか。俺はムコーダさんと一緒にもっと旅がしたかったよ」
「ありがとうございます……」
「いつでも声をかけてくれ。ムコーダさんにまた会いたい」
「…俺も、です」
きっと…残りの日数的にそれは難しいかもしれない。
ヴェルナーさんが差し出してくれた手に、俺は自分の手を重ねる。
さようなら、の言葉を飲み込んでニコリと笑った。
それから俺とフェルのふたり旅が始まった。
怖くて食いしん坊な魔獣だと思っていたけど、意外と紳士だし、博識でこの世界についても色々教えてくれた。
あと、魔物に襲われる心配は全くなくなった。フェルの張ってくれた結界のお陰で、俺は常に守られている。
あと、お金と食料の心配もなくなった。
フェルの獲ってきてくれた魔物を冒険者ギルドに持ち込むと解体してくれて、肉と素材が手に入るのだ。その素材が高額で売れる…フェルの獲ってきてくれる魔物はどれも高ランクらしく…。
次々と積まれる金貨の入った袋に、俺は目を回して倒れるところだった。
俺は手に入った肉でご飯を作るだけの人になった。
魔物の肉には初めは抵抗もあったけど、食べてみると高級肉の美味しさで、これはどんな料理に合うかな…?とメニューを考え、料理するのが楽しい。
何よりフェルが喜んで食べてくれる。
律儀に感想を言ってくれるのも嬉しくて、「また作るからな」てフワフワの毛並みに抱きついた。
…フェルって優しいんだ。
何回か俺が夜中に咳き込む事があったんだけど、大きな前足で撫でてくれたり、寒くないようにフワフワの毛で包んでくれたり…。
俺のことを大切にしてくれる。
まぁ目的は飯なのかもしれないけど…。
「…体、弱いんだ」
『人間とは脆いものと聞いてる』
フェルが従魔になって何日か目の夜…。
外敵から守られた結界の中、俺は横たわるフェルに背を預けながら、それとなく、フェルに体のことを話した。
「治らない病気でさ、普通の人より相当早く死んじゃうけど…」
そこで一旦言葉を飲み込んだ。
フェルに「じゃあ従魔にやめる」なんて言われたら俺……。
ぎゅう、と白くて美しい毛並みを一房握る。
『お主との契約は継続だ。元よりそれを承知の上で契約をしたのだ』
「…よかった」
ホッとしたら体の力が抜けた。
俺は完全にフェルに体重を預けてフゥと息を吐く。
見上げた満天の星空は美しかった。
「ねぇフェル」
『何だ?』
「フェルはヒトを食べたりしないの?」
『喰えんこともないが不味いから喰わん。それだけだ』
「そっか」
フェルの毛並みはあったかい。
呼吸と共に上下するのも一定のリズムで心地よい。
少し微睡みながらも、俺は考えてたことを口に出す。
「俺が死んだらフェルが体を食べてくれたら良いなぁって」
『お主をか?』
「美味しくないかもしれないけど、少しでもフェルのお腹を満たせればいいなぁって。いらなきゃフェルの火魔法で燃やしてくれれば良いから」
これは俺がいなくなったときの話。
魔獣のフェルは人の亡骸の扱い方なんて知らないだろう。
死んだ後、そのまま放置されるのは嫌だ。
だから、従魔になったフェルにどうしてほしいか伝えるべきだと思ったのだ。
「こういうの、ちゃんと決めとくべきだろ?俺の方が先に死ぬんだから」
『成る程。確かにそうだな』
フェルの声はいつものように淡々としていて、表情も見えないしどんなこと思ってるのかもわからない。
けれど、
『ヒトは不味くて喰えたもんじゃ無いのだが、お主の希望ならば』
そう言ってくれた。
フェルは鼻先で俺の首元を突く。そしてクンクンとにおいをかぐようにした。
『うむ……お主ならば美味そうだ」
「へへ。ちゃんと食べるか燃やしてね」
良かった。
死んだ後の事はこれで大丈夫。
くすぐったい、と笑って鼻先から逃れると、フェルは不服そうな顔をしていた。
『お主、何故そんなに嬉しそうなのだ?自身が死ぬ話をしておるのだろう?』
「嬉しいよ。俺が終わる時、傍にフェルがいてくれるんだから」
ねぇフェル、と呼びかけて、白い毛並みに顔を埋める。
さっきブラッシングしてやった毛並みは触り心地もよくフワフワした雲の中にいるみたいだ。
「ねぇフェル、俺が息を引き取る時は傍で見ててね」
最後もここがいい。
こうやってフェルの温かさを感じながら逝きたい。
「フェルがいてくれて良かった」
『……もう寝ろ。お主は起きてるとロクな事しか言わん』
「酷いなぁ……俺にとっては大事なことなんだけど」
尻尾がフサリと俺の身体にかかる。
結界の中は寒くないのに、こうやって俺のことを守ってくれる。
「おやすみ、フェル」
『うむ』
温かい毛並みに包まれて目を閉じる。
フェルが前足で俺を引き寄せたから顔が埋もれて白い雲の中にいる感じになった。
とても幸せな心地だった。
俺はこの世界であたたかくて幸せな「死に場所」を手に入れた。
カシャン、とまたカウンターが減る音が頭の中に響いた。
おわり。