【戦を終えて・前編】——かくして神竜軍は巨悪を討ち倒し、世界に平和が訪れた。
とはいえ御伽噺のようにこれにて一件落着というわけにはいかない。特に各地を統べる王族たちにとってはむしろこれからが正念場だ。彼らには各々の国で果たすべき其々の使命がある。
ブロディアの第一王子・ディアマンドに直に仕える王城兵、アンバー。彼もまた神竜軍にて仲間と共に戦った一人だ。
普段は笑顔を絶やさないほどに朗らかな彼だったが、今はいつになく真剣な顔をしていた。
「アンバー。今の話、聞いていた?」
落ち着いた、透き通るような、そして耳慣れた女性の声。
同僚のジェーデがいつもの無表情で彼の顔を覗き込んでいた。
「あ、ああ、大丈夫だ。当然俺も同行するぜ」
戦を終えた今、先王モリオンを失ったブロディアは今すぐにでも新王を立てる必要がある。当然第一王位継承権を持つディアマンドが即位することになるが、その為にやらなければならないことが山ほどあった。
また即位してからも課題は山積みで、立場上自由に動き回るわけにいかないディアマンドに代わり側近である二人は忙しく走り回ること必至だろう。
ブロディアが落ち着くまでに、果たして何ヶ月かかるだろうか。いや、一年、もしくは何年も——
アンバーにとって大切な主君の即位は大変喜ばしいことで、早く王位に就いた彼の勇姿を拝みたくてウズウズしているくらいではあったものだが、彼の中に一つの懸念があるとすれば。
ジェーデとの話を終え、考え事をしながらほとんど勝手に足が向かっていたのは相変わらず窓から妖しい光が漏れ見える占い小屋だった。
そういう照明の方が雰囲気が出るのだと、この小屋の主がいつか言っていた気がする。
しかし特段その扉を叩くでもなくただ小屋のそばでうろうろとしていた彼の姿を窓枠の中に認めたのか、気付けば主が扉の間から呆れ顔を覗かせていた。
「入るなら入りなよ」
「お、おう」
特にそのつもりがあって来たわけではないのだが、足を運んでしまった以上は素直に招かれることにする。
小屋の主・セアダスは【closed】の看板を扉に下げ静かに扉を閉めた。
「用があったんじゃないの」
コポコポと音を立て来客用のカップに紅茶が注がれていく。
「あ、いや……なんか体が勝手に」
「なにそれ」
温かい紅茶から独特のスパイスの香りが立ち上る。
ブロディアにも紅茶にスパイスを使う文化はあったのだが、このセアダスの出身地であるソルムのスパイスティーは正直あまりアンバーの口に合わなかった。
が、彼が気に入っているというのでなんとなく付き合って飲んでいるうちにクセになってきたいつものお茶だ。
「君の考えてること、当ててあげようか」
徐にテーブルの上にカードを広げてセアダスはそう言った。一枚捲るごとにアンバーの顔を見て、3枚目を捲り終える前に、はあ。とため息をついてカードを山に混ぜ戻す。
「このままブロディアに帰っていいものか悩んでいるね」
「う」
「ディアマンド王子の即位を誰よりも側で見届けたいけれど、他にやりたいことがある」
「ぐ」
「……というか、こんなの占うまでもないよ。君の顔見てればわかる」
「うぅぅ……」
占い師という肩書を持つ者の、全てを見透かしたような目がアンバーはあまり得意ではない。
とりわけこの目の前の男のただでさえ美しい容貌を彩る、朱の化粧が施された紅色の瞳にじっと見詰められると何もかも洗いざらい曝け出さねばならないような錯覚にすら陥る。
この戦で異形兵だの邪竜だのといった妖しい連中と戦って来たが、奴らよりもよっぽど、こういう時のセアダスの方が怖かった。
「で、俺に助言を求めに来たんじゃないの?」
ふ、と占い師の顔をやめたセアダスは、カードの束を整えてテーブルの端に置き、自分のカップに口を付ける。
占いなどしていると何かと他人の相談を受けるのが常であり、それはセアダスにとっては自然なことだ。
「助言っていうか……セアダス自身が問題っていうか……」
「はい?」
このアンバーという男は至極単純明快な性格でその心を読むことは容易いのだが、しばしば本気で何をどうしたらその発想に至るのかという、常人では考えの及ばない突拍子もない思考をすることがあった。
セアダスのような者にとってはある意味、天敵でもある。
「何で俺が出てくるの」
「そ、そりゃ出てくるだろ! だって俺たち、こ、………」
恋人同士じゃないか。
この神竜軍で出会って以来交流を深め友人となった後、詳細は省くが恋仲ということになったはずだ。
……やることだってしっかりやっている。
なまじ友人関係から始まったものだからあまりその境目がはっきりしないのは認めるが、それでも。
アンバーが顔を赤らめながら言い淀んでいると、セアダスも言わんとすることを察し、普段は伏せがちな瞼を一瞬持ち上げて、視線を逸らして言った。
「……それは、まあ、そうだけど。 ……で、俺が問題って何」
お互いに歯切れ悪く若干変な空気が流れ始めたところで、アンバーが口を開いた。
「……セアダスは、この後どうすんの」
「?」
「もう戦は終わったじゃん、神竜軍も解散じゃん、セアダスはどこ行くんだよ」
不安げでそして不満げな子供のような、表情と口調だった。
セアダスはしばしきょとんとそんなアンバーの顔を眺めてから答える。
「俺は……また、旅に出ようと思う。前と同じだけど、今度はソルムだけじゃなくて世界中を巡ろうと思ってるよ」
「……」
アンバーの表情は変わらない。が、はっきりとセアダスの目を見て言った。
「一人で?」
それは、そうだろう。前と同じ、ひとりで。
そう思ってから、アンバーの心がすっと理解できた。
「……一緒に、来たいんだね」
わがままが通らずに、しかし感情の言語化が難しい年頃の小さな子供のように唇を噛むアンバーの、柔らかな頬に手を添えた。
「気持ちは嬉しいけど、でも、君にはやらなきゃいけないことがある」
「……うん」
「それは、アンバーにしか出来ない使命だよ。もしそれを放り出して俺についてくるなんて言ったら、俺は君に幻滅するね」
ああ、また占い師の顔をしている。そんな顔でそう言われたら、従わざるを得ないじゃないか。
アンバーはギュッと唇を結びながらセアダスの話を聞き、そして口を開くと同時にセアダスの手首を握るように手を添えた。
「本当は俺が迎えに行くって言いたいけど、その時セアダスがどこにいるか、わかんないから……いつか、いつか絶対、ブロディアに来てくれ」
「うん、きっと行くよ。どうせ世界を巡るつもりなんだし。……一年くらいしたら新生ブロディアも軌道に乗るかな」
「多分な。もしかしたらもっと早く……、遅くなるかもしれないけど。絶対、絶対にその時は俺っ……」
それ以上は言わなくていいよ、とばかり、セアダスの細長い人差し指がアンバーの言葉を遮る。
「俺を優先しないで。ちゃんとやるべきことをやって。そういうアンバーが、俺は好きだから」
もう怖い顔はしていなかった。
特別優しい、静かな、けれど、どこか寂しそうにも見える、美しくて儚い笑顔。
アンバーは、彼がその顔を自分にしか見せないことを知っている。
「……うん、ありがとう」
「いつか例の隣町にも行かなきゃね、一緒に」
「ああ、俺、救世主だもんな」
くすくすと笑い合い、どちらともなくそっと唇を重ね、それから、暫くはきっと会えない愛しい相方の温もりを忘れないよう、深く、深く睦み合った。
*
一番最初に発つことになったのはブロディアの面々で、各々仲の良かった相手に見送られながら帰途につく。
「セアダス、どうかお元気で。良かったらいつかブロディアにも来てくださいね。僕も頑張りますから」
第二王子のスタルークもまたセアダスと縁を深めたひとりであり、本人の雰囲気に反して意外と無骨な手でセアダスの細い手をしっかりと握りながら別れを惜しむ。
「ええ、王子が喜ぶ新しい話を沢山仕入れておきますよ」
「へへ、嬉しいです……」
そんな二人の様子を少し離れてぼうっと見ていたアンバーの背中を、大きく温かい手が軽く叩いた。
「ディアマンド様」
「行かなくていいのか?」
どこまで知られているかは知らないが自身とセアダスが少なくとも友人関係にあることは周知の事実であり、ならば確かに、妙に距離を置くのはむしろおかしく映るだろう。
「は、はい」
どこか辿々しい足取りでアンバーが近付いてくるのを見て、スタルークは「ではまた」と少し名残惜しそうにセアダスの手を離し、自身の臣下であるラピスの前で号泣しているブシュロンの元へと向かった。
スタルークと入れ替わるようにして、アンバーはセアダスの前に立つ。
「よお」
「……」
少しぎこちない空気が一瞬流れたのを、セアダスが打ち破る。長い髪をふわりと舞わせその場で軽くターンしてから片手を差し出し、小首を傾げて言う。
「俺の踊り、覚えていてね」
「……忘れられるかよ」
あまり触れ合っていると、それだけ別れがつらくなるから。
少しだけ見つめあって、握手を交わして。笑顔で別れた。
【前編 了】