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    hanahanahukai

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    hanahanahukai

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    6/30流三サンプル オメガバα流×Ω三
    サンプルはプロポーズまで
    以降妊娠、出産、それからの2人が入ります。
    執筆中の為、完成品は加筆修正がある可能性があります。

    オメガバースの設定をお借りしています
    作者の都合上、独自設定を加えておりますのでご注意下さい
    作中に病気、結婚、妊娠、出産の描写があります
    ウィンターカップの時期など実際とは異なる謎時空です

    この幸福な運命よこの幸福な運命よ

     


     世界には男女の性別に加え第二の性が存在する。それがバース性である
     最も多くの人が属するβ。
     男女共にΩを妊娠させることができるα。
     そして男女共にαの子を妊娠することができるΩ 。
     αとΩは基本的にはαとΩの間にしか生まれない。隔世遺伝でβから生まれることもあるが稀であった。
     三井寿の第二性はΩである。しかしΩ因子がもう少し低くければ、確実にαだったであろう高い数値のα因子に引きずられ、バース性はどちらにもならず曖昧なまま成長を止めた。Ωであるがほぼβと言って差し支えなく、フェロモンも微量でヒートも無いだろうと診断されていた。珍しい症例、Ω未分化と診断されたのは中学二年のことだった。
     三井の生きる今の時代では薬も発達し長年Ωを悩ませてきたヒートもコントロールが容易となり、ヒート自体を起こさないことすらできるようになった。Ωはβと同じように生きていけるようになったが、Ω因子が筋肉をつきにくくしたり身長の伸びを抑制する事も事実なので伸び盛りの三井はαでない事にがっかりしたしΩである事に驚いたが、未分化である事を心底安堵したものだ。そして忘れていたのだ、医師の一言を。
    「遺伝子型の相性のいいαがいたらΩ性が成長することもありえるかもね。滅多にいないが所謂運命の番的な、ね」
     三井寿はバスケットコートに戻って来た。愛しいバスケットボールを柔らかく撫で胸に抱きしめたら、決して良くはない皮と埃の臭いが三井をおかえりと迎えてくれる。まだ誰もいない早朝の体育館の空気をスウと深く吸い込むと、体の中に閉じ込められていたバスケへの愛が溢れ三井の頬を濡らした。
     長かった髪を切った。左膝の病院でお墨付きをもらった。バース性の病院にも行った。もちろんバースはΩ未分化のままでバスケの神様の祝福を貰ったような気がした。
     復帰したバスケ部に馴染めるのかと覚悟はしたが、ちょっぴり悩んだりもした三井だが。すこぶるお人好しなバスケ部員達はなんやかんやとこの出戻りの先輩を受け入れ、イジったり慕ったりするまでになっていた。三井をぶちのめし、恐ろしく冷たい目で睨んだ流川さえもだ。
     
     ♢♢♢

     三井の襲撃事件から時は経ち、爽やかな風が湿気を含む熱風に変わりつつある頃。湘北バスケ部は地区大会を勝ち進んでいる。神奈川中高校が争うニ枠のうち、その一枠を勝ち取りインターハイ出場をもぎ取らんと鬼キャプテンによる厳しい練習に励む中、三井はふと違和感を感じた。身体の動きに集中するが何時もより脳みそからの伝達が遅い気がする。シュートも入るしバスケの戦術も申し分ないが何かが違うのだ。元々ブランクがあり過去の遺産で戦っているような物。焦りや悔しさもあるが不調の調整すら懐かしさを覚え、一層気合いが入る。今までで以上に練習を重ねる事を決めた三井は朝練は一番に入り居残り練は最後まで残るようになった。
     だからだろうか、同じく居残り練をする流川とは随分と距離が近くなったものだ。
     流川楓。高校一年生にして抜きん出たバスケの実力に加え、圧倒されるほどの美貌を持つ少年。あまり他人に興味がなく、その十五歳とは思えぬ体格や秀でた身体能力の全てをバスケに注いでいる。αと思われるがまだ検査を受けていないらしく流川本人は知らないらしい。そんな流川に誰しもが一線を引いて接していたし流川もそれが当たり前だった。しかし、三井は流川とは真逆にパーソナルスペースのとんでもなく狭い男だったのだ。桜木や宮城と同じようについつい流川の頭をぐりぐり撫でたり肩を組んだり。最初は内心やってしまったと焦った三井だったが、流川が嫌悪より困惑を浮かべるとそれからは他後輩と同じく雑に可愛がった。
     陵南戦後、流川にワンオンを強請られてから、それが二人の日課になるのはすぐだった。真っ直ぐゴールに闘志を向け、その力と技術で相手をなぎ倒す流川と、バスケセンスがあり相手を見て冷静に戦術を合わせてくる三井。二人の正反対とも言えるスタイルは、お互いに自分にない物を盗み高め合うには最高で、その楽しさにのめり込んでいった。そんな楽しいバスケをする相手を気に入らないわけはなく、それは流川も多分同じで。バスケを通じて通じ合うものを感じた二人は部活以外でも自然と交流を重ねるようになっていった。まあ、三井が他の部員に指導している時にさえワンオン!と強請りにくる唯我独尊ぶりにはまいったが。今日も三井が桑田にシュートの指導をしていると、
    「桑田代わって。センパイワンオン」 
     と流川がふてぶてしく言い放った。そんな無礼な流川に桑田は
    「ワンオン馬鹿が来たから譲ります」
     と苦笑混じりに譲ってやっていた。もう恒例になり過ぎて慣れてしまったやりとりだ。駄々っ子流川に譲ってやる優しく可愛い後輩に三井が悪いなぁと頭を撫でて労わっているとそれすら待てできない流川にTシャツの裾をけっこう強めに引っ張られよろめく。
    「ぶふっ!三井先輩、流川って可愛い奴ですよね」
     流川にチョップを入れながら、謎にご機嫌な桑田を見送ったがあの態度にムカつきはすれ可愛いなんて思えるのか?桑田がいい子過ぎて心配になる三井であった。
     
    ♢♢♢

    「流川!今日は何食う?」
     居残りワンオンの後の買い食いも習慣になった物のひとつだ。頭にコンビニの唐揚げとコロッケを思い浮かべながら肩を組んでじゃれた時、何か匂いがした。匂い自体は薄いのに、存在感のある力強く奥底の甘いスモーキーなムスク。
    「柔軟剤?いい匂いだな」
     声をかけるが流川はきょとんとしていた。その顔が普段より幼く可愛いくて、ぐしゃぐしゃ頭を撫で回すとさらに香りが広がるようだ。普段の流川を考えるに嫌がりそうなものだが、撫でられる事を以外と気に入っているらしく撫でる手のひらにグイグイと頭を擦り付けたりするし、自分から撫でろ!と目で訴えることさえする。懐かない孤高の肉食獣みたいな流川が自分だけに懐いて可愛い顔をするのが堪らなかった。
     二人の仲は部内でも話題で。
    「そこ!ふざけてないで集中せんか‼︎」
    「まぁまぁ、練習は真面目にやっているしあの三井と流川の仲が良くなるなんてチームプレー的にもいいことじゃないか」
    「ちょっと!三井さん流川といちゃつかないでくれる?」
    「フヌー!おいキツネ!ミッチーを独り占めするな!」
     なんて揶揄いつつ、三井が部に馴染んだこと、バスケ以外に最低限しか関心を寄せない流川が、まだ三井限定であるが自分から寄って行くようになったことを喜ばしく思っていた。(桜木は除く)
     

     ―バスケ部に戻ってからしばらく、誰も気付かぬうちに三井の身体は静かに変わり始めていた―
     熱く苦い夏が過ぎ。まだまだ暑くとも季節は秋になっていた。少しは涼しげに見える街路樹の木陰を揃いのジャージを着た湘北バスケ部がノシノシと歩いていた。今日は他校へ練習試合に行ったのだ。ウィンターカップへの切符を手にするため湘北はさらに厳しい練習や練習試合をへて更に成長していた。赤木と桜木が抜けた穴を埋める角田や安田も大分様になってきた。桜木が復帰するまでこのメンバーでやるしかない。練習試合に気合いの入るバスケ部だったが今日は特に敵陣に切り込んでゴールを捥ぎ取る流川の勢いが凄まじく、正にオフェンスの鬼。そして三井自身もスリーはもちろんディフェンスやゲーム運びもいつも以上に上手くいった。
     三井はすぐ隣りを歩く流川に視線をやり、先ほどの試合を回想する。試合展開や相手チームのプレー、改善点、必要な練習メニューなどを思い浮かべる。そして試合直前の流川が浮かぶと何故かうなじが疼いた。

     ♢♢♢

     試合前の独特の空気感。ゲームが始まる緊張感や高揚に心臓が高く脈打ち試合への熱が身の内から立ち昇る。整列の号令に並ぼうと歩き出した時、ぐっと後ろから力強い手で両肩を掴まれ、首筋に頭を擦りつけられた。少し湿った髪と焼けそうに熱い肌、そして三井の好きなあの匂いが香る。
    『あっ……流川だ』
     常とは違う爛々と燃える瞳で三井を射貫く。トクン、トクン。鼓動が高鳴りコンマ数秒見つめ合う。その瞬間、この広い体育館で三井には流川しか見えなかった。
    「流川、行くぞ」
    「……うす」
     試合開始から違うのがわかった。近頃の違和感が嘘のように自分の思い通りに身体が動く。流川が走り宮城がドリブルで切り開き三井へパス。しかしスティールされボールが浮いた。その瞬間、恐ろしい程の反応速度で流川が走りだす。トップスピードで相手の手に渡ったボールに追いつき、その気迫に怯んだ相手にできた隙を見逃さずボールを叩きつけるように弾く。ダン!とボールが力強く床に叩きつけられ、弾む。その着地点に居たのは三井だった。吸い込まれるようにボールが三井の手に渡ると、トンと足を揃えてのクイックモーション。ディフェンスを躱すフェイダウェイ。美しい弧の軌跡が、シュンッとゴールに吸い込まれていった。
     強い視線に振り返ると、流川の熱のこもった眼が三井に突き刺さった。三井はそれがどうにも嬉しくて堪らず、思いそのまま流川に跳び付くと、流川は鍛えた体幹を駆使し危なげなく縦抱きに受け止め三井をギュッと抱き締めた。汗に濡れた肌が触れ熱さと脈動を感じた。ああ、流川の匂いがする。自分のプレーで流川が熱くなり、普段はしないようなスキンシップで答えてくれた。それがまたまた嬉しくて三井は大声で笑う。
    「いつまで抱きついてるんだよ‼︎」
     宮城に飛び蹴りされたが高まった喜びは引かなかった。
     その後も湘北はいいリズムを保っていた。特に目を惹かれる流川のプレーに見惚れ三井もそれに負けられぬとばかりに限界まで走り抜けた。
     脳内で試合を振り返るうちまたふわっとあの匂いがした。横を向くと眠そうにしていたはずの流川と目が合った。流川の眼の中に試合の時の爛々とした光が見えて鼓動が高鳴る。三井は思わず目を逸らし無意識にうなじを押さえた。
     練習試合から一カ月。日に日に流川の匂いが強くなるのを感じていた。あまりに強い匂いに酔いそうだし、なんだかずっと嗅いでいたくなる。自分は好きな匂いだからいいが、苦手な人にはキツイのでは?
     「宮城よー、流川の柔軟剤強くね?俺は嫌じゃないけどお前大丈夫?」
     肩に腕を回してくっちゃべっていた宮城の耳に口を寄せヒソヒソと聞いてみた。スメハラ問題発生してるなんて流川が気づく前に解決してやりたい。
    「そうっすね、注意しとくかな」とか「そんなに強い?別にいい匂いじゃん?三井さん匂いに過敏な方?」とかそんな続きを予想していたが宮城は不思議そうに言った。
    「流川から柔軟剤の匂いします?似合わねーシャボンの制汗剤してるのは見たけどあんま匂い感じなくない?」
     『あれ?今の離れた位置でも強く香るこの匂いがわからないなんておかしくないか?』
     何かが引っかかる。匂いを辿り目線を投げると眉間に皺を寄せ、重苦しい何かを乗せた熱い眼が三井と宮城を見つめていた。
     グッと更に眉間に皺を寄せ恐ろしい表情で宮城を睨みつけ、ぐんぐん流川が近づいてくる。尋常じゃない様子の流川に部内に緊張が走り、宮城は三井を守るように前に踏み出した。
     そんな中、三井の意識は強く強く、ムスクの匂いが広がることだけを感じていた。

    ズクン!!

     身体の何処かから広がる何か。中心から末端に向かって痺れるような熱さが走り溶けるような心地がした。流川の匂いがもっと欲しい。身体中に纏いたい。流川にきつく抱きしめられたい‼︎
    流川が…欲しい
    これは、この感覚は………
    「み、宮城!流川抑えろ!俺に近づけさせんな!」
     大声で叫び震える身体を叱咤して部室に戻って内鍵を閉める。身体が熱い。特に下腹が。流川を欲しがり際限なく熱くなっていく身体。いつかの医者の言葉を思い出した。必要ないと忘れていたあの言葉。

    『遺伝子型の相性のいいαがいたらΩ性が成長することもありえるかもね。滅多にいないが所謂運命の番的な、ね』

     そんなまさか?あり得ない。運命の番なんてほぼおとぎ話に等しい。科学的にも珍しく世界有数の大国がやっと一組を見つけただけだったという記録もある。
    だが、自分の身体が証明している。いま三井はΩのヒートを迎えたのだ。

    「み、宮城!流川抑えろ!俺に近づけさせんな!」
     流川の異様な殺気を浴びて硬直していた宮城はハッとして三井を見た。真っ赤な溶けそうな顔をした三井が必死に体育館から逃げだす。そして殺気を纏った流川が宮城から視線を外し三井を追いかけようとしている事に気付いた。
    『ヤバイ!不穏な予感がして反射的に道を塞ぐように立ち塞がった。いまのこいつはヤバイ!』
    「流川⁉︎なんかわかんねーけど落ち着きやがれ!」
     無愛想で生意気だが普段は一応は先輩を重んじる姿勢を見せる流川だが、今の様子はおかしい。宮城の言葉なんて聞こえない様子で三井の逃げた方向を睨んでいた。
    殺気を纏った眼がまた宮城に向き見えない何かが威圧してくる。「グゥ」と唸った流川が威圧に倒れそうな宮城を押し退ける寸前、赤木が流川を押さえ込んだ。今日は幸運にも練習を見に来ていたが、赤木がいなければどうなっていたか。
    「どけぇ!ふざけんな!センパイ!センパイー‼︎」
     暴れながら三井を求めて叫び出した流川に体育館は騒然となる。流川の力は恐ろしく強く普段なら力負けするなどあり得ない赤木に加え他メンバーも抑えにかかるが、あまりの力に引き剥がされそうだった。
    「宮城!お前も手伝え!安田‼︎救急箱にフェロモン遮断マスクがある!三井に誰も近づかないように見張ってやれ!おい!誰も行くなよ‼︎」
     赤木に怒鳴られた宮城は慌てて暴れ続ける流川を抑える。聡い宮城には次第に事態が飲み込めてきた。フェロモン遮断マスクはΩのヒートに巻き込まれないよう医療機関や突発ヒートを起こしたΩを救助する救助隊が持っているものだ。あるいは身近にΩがいる職場などにも置いてあるそうだ。
 つまり、三井はΩで突発ヒートを起こしし、流川はαでΩのヒートによって発情状態ラットに陥ってしまったのだ。
    「先輩!呼んできました‼︎」
     彩子の声がして彩子と白衣を着た保健医が駆けてきた。そして筒状の何かを流川に押し当てると流川はビクッと大きく跳ねた。それでも暴れる流川にニ本目が打たれると、手足が段々と緩慢になりやがて気を失った。それを確認した保険医は彩子に連れられ三井が行ったであろう部室に向かい、体育館に静寂が訪れた。呆然とする部員を代表し宮城は赤木に聞く。
    「旦那、俺よく理解できてねーんですけど、三井さんて……」
    「お前へ引き継いでなかったな。すまん。しかし、これは三井自身が言うべきだった。まったくあいつは!
    ふむ、普通は言わなくていい事だがこの事態ではな。全員他言するなよ。そうだ、三井はΩだ。もちろん普段からコントロールしているが今日は体調不良だったのかもな。今後は医者と相談して対処するだろうから安心しろ。だが、一応は心得とけよ。万が一に備えてうちの救急箱にはフェロモン遮断マスクもあるから、何かあれば三井を助けてやってくれ。流川はこの前診断を受けたばかりだそうだから自分がαだったと知らないはずだ。通常、αはヒートに巻き込まれないよう緊急抑制剤を持ち歩くが、未判定の流川が持っているはずもない。今回は不運な事故だな。まあ、大事件にならずによかった」
     赤木の押し殺した低音が体育館に響く。有名なスポーツ選手や政財界に公表している者も多く、なんとなく馴染みはあるαと違い、希少であり普段はβとして暮らし一般人にはお伽話のようなΩ。部員は何も言えず、赤木が流川にジャージを掛けてやるのを見ているしかない。
    「流川のαはわかるけど、三井さんがねー、あのガタイに性格でΩとか夢も希望もねーな!まあ、バスケできるなら何も問題ないすけどね」
    「そうですよ!にしても流川の力凄かったなぁ。あれを試合で出せたら凄くね?三井先輩で釣ったらできるかな」
    流川の威圧、αの威嚇フェロモンを当てられ真っ青になりながらも三井のために軽口を叩く宮城と、倒れた流川をつんつん突きながらあえてなのか天然なのかわからない桑田の気の抜けた話に場の空気が軽くなり部員に笑顔が広がる。
    「ああ。三井はすぐにバスケ部に帰ってくるさ。流川もな」
    少しして三井と流川は保険医と一緒に救急車で運ばれて行った。 

    ♢♢♢

     三井はまだ混乱していた。
    白い壁紙に白いベッド。救急車に運ばれたのはΩ病棟。親達も呼ばれ検査入院することになり、天井を見上げながら考えを巡らせる。
     αとΩの番である親は呑気におめでとう!と息子の成長を喜んでくれた。素直にありがとうと言えた自分にホッとした。
     あの時。部室に入り鍵を閉めた後、自分のロッカーを漁りカバンの底から筒状の注射器を取り出し太ももに突き刺した。一生使うとは思っていなかった緊急抑制剤だった。
     安西先生、部長であった赤木とケアを担当するマネージャー彩子には自分がΩである事を復帰した時に伝えていた。万が一の際は部室に行き内鍵を閉める事も確認していた。ついにその万が一が起こってしまったのだ。
     復帰した時にした検査ではまだΩ未分化状態だった。それから流川との距離が近くなった。日に日に強くなる匂いを感じた。身体の不調もヒートの予兆。つまりそういう事だ。
    「運命の王子様に出会っちまったか。流川がまさか運命とかよ、バスケの神様は俺が嫌いなのか?」
     世の中には運命の番をテーマにしたドラマや映画が溢れ、夢物語に憧れているものも多い。科学的にも滅多にいないと証明されている運命に出会ったのが番を夢みる可愛いΩではなく、男としてデカく成長し番なんていらなかった三井だとはなんて皮肉だ。
     未分化時に成長期を迎えられたことは不幸中の幸いだった。だが、筋肉が出来にくくなる性質上、これからはもっともっとトレーニングが必要になる。海南、陵南の選手陣に湘北のレギュラー。筋骨隆々の奴らを思い浮かべ三井は燃えた。バスケの神様に拒まれたって自分はバスケが好きなのだから!毎日飲むのが面倒だが合う薬さえ見つかれば、ヒートだって起こさないで済む時代であり、バスケだって問題ない。
    やってやろうじゃねーか!目指すはΩ初のプロバスケット選手だ!
     燃える心の片隅に運命である流川を思い浮かべる。ヒートの時に見たあの喰われそうな眼。あの眼も好きだが、いつも三井を見つめる可愛い眼が一番好きだ。
     匂いの話題にきょとんとしていた流川を思い出す。外見はデカくても精神的にはまだ幼い様子を見せる流川をヒートに巻き込まなくて良かった。いくら遺伝子的に相性がよくても俺が初めての相手とか可哀想だもんな。
    Ω未分化であった事は幸いだった筈だが、将来可愛く愛らしいΩと番うであろう流川を思うと心のどこかが軋む。それには蓋をしよう。バスケしかいらない俺には関係ない事だ。
     三井は眠ることにした。ごちゃごちゃ考える事に疲れてしまった。起きたらきっぱりバスケをする事だけを考えられるはずなのだ。

     ♢♢♢

     流川は目覚めた。
    ハッと飛び起き「センパイは!?センパイ!どこ⁉︎」
    と滅多にない大声を出す息子に両親はびっくりした。
    「まずは状況の確認をしましょう。何があったか覚えていますか?」
     医者に聞かれ頷く。
    「俺のセンパイなのに宮城先輩がくっつくからムカついた。センパイがいっちまったのにみんなで邪魔してきてムカついた。センパイどこ?」
     無表情で淡々と喋るのに受ける印象はギラギラしていた。あまりの熱量に息子の初恋を感じた両親はアラアラと微笑み、医者はそうじゃなくてと汗をかいた。
    「えーと、君は自分がαでΩのヒートに巻き込まれた事、緊急抑制剤の投与をされた事を覚えていますか?」
    医者は具体的に聞く事にした。
    「?わからないっす。ムカついて暴れてなんかチクッとされた?気がする?」

    「以前にバース検査を受けたでしょう?君の結果はαでした。今回突発ヒートになった方は先輩なのかな?遺伝子的に相性がいい相手、所謂運命の番とか呼ばれるのですが、君と先輩がそのように相性がいいみたいでね、ヒートが誘発され易くなる事がありますから気をつけて下さいね。同じ部活なら君も常用の抑制剤を服用した方がいいね。アスリートも使える抑制剤もあるし……」
 わかりやすく説明しようとする医者だったが、流川の耳に入ったのはひとつだけ。
    「運命の番?俺とセンパイが番に?」
     淡々とした言い方に医者は、急に相手が現れてしかも部活の先輩が番になるなどと言われて混乱しているんだとばかり思った。
    「大丈夫ですよ。今時相性だけで番になんてなりません。抑制剤があれば違うΩと番ったりβと結婚だってできますよ」
     優しく答えたとたんに殺しそうな眼で睨まれ、医者は「ヒィ⁉︎」と椅子ごと後に下がった。
    「俺がαでセンパイがΩなら番になれるのか?」
     殺しそうな眼で聞いてくるものだからうんうんと頷くしかできなかった。流川はそれで満足したようで眼を和らげ(親からしたら)何処か夢みるようなうっとりとした顔をしている。
     それを見たαの母が流川によく似た涼やかな目元を細め嬉しそうに言った。
    「楓、君は三井君が好きなのね」
     幼い頃から感情表現が乏しく人に興味の薄い子だった流川。心配はしたが本人は全く苦にしていなかったから見守るしかなかった。そんな子がついに恋をしたのだ。
    「?好き?」
    「あら違うの?だって楓は他の人が三井君とくっつくのがムカつく。そして番になれるのが嬉しい。私がママを好きな気持ちと一緒だわ」
    「私もそう思うわ。私の愛しい番に別の誰かがくっついたら悲しくなっちゃう」
 流川のαΩの二人の母親はお互いの手を絡めてにっこり微笑む。それを自分と三井に重ねた流川は、頬と耳を赤く染めふわふわと花を飛ばして呟いた。
    「好き。俺は三井センパイが好き。だからセンパイと番になりたい」
     流川はたったいま知ったのだ。自分が三井を好きなことに。

     ♢♢♢
     
     流川と三井の出会い、それは世にも稀なる最悪さだった。
     バスケットボールを汚しコートを土足で踏み躙り暴力を振う襲撃者。あまりに穢らわしく愚かしく流川ははらわたが煮え繰り返るほどの怒りに震えぶん殴ってやった。ボコボコに痛めつけてもう二度とバスケ部を潰すなんて考えられないようにしてやりたかった。
     しかし…………

    「バスケがしたいです」

    主犯は泣いた。バスケがしたいのだと臆面もなく、子どものように、全てを曝け出して。
     それが妙に心に残った。
     心のしこりに首を傾げながらも特に深く考える気もなかった流川が体育館の扉を開けた瞬間。見えたのは流川が見た中で一番美しいシュートだった。
     髪を切り顔は青アザにガーゼだらけ。そんなぼろぼろで惨めな姿なのに、窓からの一条の光に照らされた三井があまりにも眩く煌めいて見え、流川は朝練にきた石井に声をかけられるまで呼吸も忘れて三井のシュートに魅入っていた。
     それから何故が三井の姿に吸い寄せられるようになるし、三井が誰とでも距離が近いのもイライラするし、逆に他人との距離なんて空いていれば空いているほどいい筈の流川が三井の側にいたいし、触れていると気分が高揚した。流川は人生で初めて感じる意味のわからない三井への反応に困惑した。
     が。
     まあ別にバスケに支障ないしいいか。とあっさりそんな自分を受け入れた。
     見たいから三井を見るし、他の奴といるなら邪魔するし、自分を見ろ構え!と心の向くまま思うまま、何も考えず三井に懐いてきた。そして困ったポーズをとりながら嬉しそうに構ってくれるようになった三井にどこかがほかりと暖かく満たされた。そしていつの頃からか、三井から爽やかでしっとりとした柑橘の匂いがするようになり、それが堪らなく好きで、流川はますます三井にくっついていたくなった。そんな、よくわからない三井への反応にたったいま名前がついたのだ。
    「あの、抑制剤とかいらねーです。センパイと番になるんで」
    「え?まあ確かに番ってしまえばΩのフェロモンは番にしか効かないですが、αは他のΩのフェロモンに影響されてしまいますから、番関係なく抑制剤は必要です。それにまだ高校生ですから番うのはきちんと考えてからの方がいいですよ」
     黙り込む息子をよーく理解する両親は言った。
    「ねえ楓。まずはそのセンパイに告白するのが先じゃないかしら?」
     青天の霹靂とばかり流川の眼が見開いた。
     
     ♢♢♢

     三井の検査結果が出た。予想通り三井は正常なΩとしての成長が始まっていた。やはり流川とは遺伝子的相性がよく、流川のαフェロモンを浴び続けた事でΩ因子が刺激され目覚めたとのことだった。
     緊急抑制剤によりヒートが収束したのを確認したのち、三井と両親は菓子折りを持って流川の病室を訪れた。
     三井のヒートに巻き込まれ緊急抑制剤をニ本も打ったのだ。緊急というだけあり咄嗟にヒートや誘発された発情を止められるが体の負担になりかねない代物、三井は巻き込んだ謝罪をしに来たのだった。
     はじめは殴り込みに来た不良、次はヒートに巻き込んだΩ、我ながら最悪な奴だ。可愛い後輩にかけた迷惑を思い嫌われてなきゃいいけどなと沈んだ気持ちで病室に向かった。
     流川の病室につき親がコンコンとノックする。
    「すみません三井です」
     中から動く気配がし扉が開く。
    流川の親に部屋に招いてもらったらまずは頭を下げ、「ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした」と言うシュミレーションをしていたのに、出てきたのは腕。
    ?と思うと次には心なしかキラキラした表情の流川が出てきて、先程一番に見た腕を三井に巻きつけてきつく抱きついてきた。
    そして
    「センパイ好きです。番になって!」
     頬を紅潮させ初めてみせる柔らかく優しい笑顔で告白してきたのだ。
    「⁉︎は?えぇ!?」
     流川の両親と三井の両親に挟まれながらキラキラした笑顔の流川と真っ赤な顔をした三井

    あれ?俺結構覚悟してきたんだけど?何この展開!?
    え?好き?え?え?はぁ

     大混乱の三井をよそに両家の両親はニ人の様子にいろいろ察しお互いに会釈をした。

     その後、考え過ぎる癖のある三井を流川が鬼のオフェンスでグイグイ追い詰める姿が目撃され学校中(特に女生徒)に阿鼻叫喚が巻き起こったのだった。

     ♢♢♢

     「お前は運命の番だから好きになったんだろ!そんなの俺じゃなくても運命なら誰でもいいってことじゃねーか!」
    「大丈夫。センパイを好きになったのは匂い感じる前。フェロモンよりセンパイが好き」
    「バッ⁉︎このバカ!ところ構わず好きとか言うな‼︎」
    「いやさ、なんでもいいけど部室はやめて?馬鹿でかい部員同士のいちゃいちゃとか悪夢なんだけど?」

     三井と流川が退院した日、二人揃ってお騒がせしましたのお菓子を配る姿に嫌な予感がした宮城のカンは正解だった。流川が三井に懐いて、なんなら流川自身が気付いていなかった三井への恋心だってわかっていた宮城だ。まあ、それは三井と流川本人以外の部員だってわかっていたが。流川が(無自覚に)甘えたり自分からスキンシップを求めたり、三井が自身以外と親密な様子を見せるとあからさまに拗ねて邪魔しに行っていたからだ。(恐ろしいことに全て無自覚だ)桑田なんかはそれが面白いらしくわざと三井に絡んではそんな流川を可愛いと喜んで他メンバーをドン引きさせていた。しかし、恋を自覚した流川がこんなになるなんて誰が予想出来ただろう。
     宮城の死んだ目の先では、真っ赤になって怒鳴る三井に壁ドンならぬロッカードンをしながら好き、番になってと告白をする流川。それはもはや当たり前の風景となりつつある。初めて目にした時にはメガネを割った石井さえ、今やイチャイチャしている流川と三井の真横で普通に着替えている始末である。       
     はぁ。宮城はそんな二人を見て以前の練習試合、流川の異常な行動を思い出しため息をついた。会場で相手チームと顔を合わせた時からピリピリとキツイ空気を醸し出しその場にいる者を引き攣らせていた。何より試合前のアレ!三井を後ろから抱きしめ、あまつさえぐりぐり頭を擦りつけながら相手チームを殺しそうな目で睨んだアレ!訳のわからない輩から睨まれ相手チームのビビりようは申し訳なかったが、対戦相手を威嚇するのはまあアリだろうとその時はやり方にドン引くくらいで考えることを放棄したが、今になればわかる。多分相手チームにαがいたのだろう。流川は自分の運命の番を他のαに獲られないよう無意識に威嚇とマーキングをしていたのだ。退院した三井にキャプテンたる宮城にバースの引き継ぎをしなかった事をギッタンギッタンに叱り倒してから必要事項を聞き出した宮城は知っている。三井がΩとはいえずっと未分化状態で、フェロモンもαが感知できるほどの量はがないことを。自分にしかわからないΩをまだ自分がαだとも知らない流川が本能で囲い込んだ訳で、その独占欲の強さが末恐ろしい。三井が同級生と喋っているだけで、青筋立てて急襲する流川を見かけた時は胃を押さえて蹲ったものだ。もはや湘北名物である。一見、流→三の一方通行だが宮城は三井が流川を恋愛ではないが特別の位置に置いていたのもわかっていた。それが実は運命の相手で激しいオフェンスに押され恋愛感情に変わってきたのもわかりたくないにわかってしまった。
    「はぁぁ……」
     腹の底から重たいため息が出る。三井の特別が流川であることへの少しのモヤモヤをため息と共に吐き出して頭を切り替えた。まだ考え無ければならない問題は山積みだ。そろそろ湘北バスケ部のもう一人のα桜木が戻ってくる。俺がどうにかしなきゃなんないんだろうなぁ。アヤちゃん、俺キャプテン辞めてもいいかなぁ………宮城が現実から逃げている間も流川と三井はいちゃついていた。
     宮城の懸念通り、桜木が退院しバスケ部に戻ると流川は三井を取られまいと凄まじい威嚇を仕掛けた。訳も分からず吹っ掛けられた桜木はもちろん応戦し、怪獣大戦争が勃発した。しかしそれはすぐに終息した。桜木は三井がΩだとわかっていなかったのだ。三井の匂いが自分だけにしかわからない、それは流川を大いに満足させ、桜木へ執拗に絡むことはなくなり一同は一安心だった。
     
     ♢♢♢

     三井と流川のイチャイチャを目の当たりにした当初、桜木は口をポカンと開け飛び上がって驚いたが、持ち前のおおらかさであっけらかんと受け入れた。
    「ついにキツネも好きな人ができたのか!恋愛のことなら経験豊富なこの天才が教えてやってもいいぞ!なんでも相談したまえ‼︎」
    「正解には『振られた経験豊富』だけどな」
    「フンヌー‼︎」
    「うわヤッベ逃げろー‼︎」
     桜木と桜木軍団も揃い賑やかになった体育館。逃げる軍団と追う桜木を微笑ましく見ていた三井は、ふっと息を吐き覚悟を決める。リハビリ込みの基礎練習から始める桜木をウィンターカップまでに使えるようにしなければならない。もちろん各自のレベルアップもしなければならない。その覚悟は皆同じく。湘北バスケ部は厳しいであろうウィンターカップに向け一層練習に熱が入った。

     ♢♢♢

     朝練、昼練、放課後練。激しく厳しい練習にも真摯に打ち込むその合間、自然と寄り添う三井と流川を見るようになったのはいつ頃からだったか?
     はじめは流川が近寄るたびに三井がワーワーギャーギャー騒がしかったし、流川も流川で三井の同級生にすら嫉妬し、三年教室に乗り込んで威嚇フェロモンを撒き散らす暴走ぶり。
     二人の傍迷惑な大騒ぎはもはや湘北名物となり流川がαで、Ωの三井に告白しまくっているのはほとんどの生徒や教員まで知っていることだった。はじめは絶望して三井許すまじ!となっていた流川親衛隊もしばらくすれば落ち着き、いちゃつくくせに告白は断るなんて流川くんが可哀想‼︎と三井に逆の意味で突っかかるようになった。
     流川の気持ちと優しく包んでくれる匂いは三井を蕩し幸せにする。三井はもう自覚していた。たとえ流川がα因子に操られ遺伝子的な相性から三井に惹かれたとしても、自分はもう流川を好きになってしまったことを。だから告白を受け入れ番になったら天にものぼる程幸せなんだろうともわかっている。しかし、三井にはバスケがあった。今告白を受けて恋人や番になったら幸せすぎて二人して溺れてささまうかもしれない。そんなことは絶対ありえない。だがそれでも不安になるほど、三井は流川が好きだった。
     恒例の部活後のワンオンワン。二人しかいない体育館。流川はいつものように、へばって抵抗しない三井を優しく抱きしめ三井の自分のためだけの匂いを思う存分吸った。
    「?センパイ大丈夫?やりすぎた?」
     いつも体力が尽き抵抗できずとも口ではいろいろ喚く三井が今日は静かだ。
     三井は首をコテンと傾ける流川の顔をじっと見る。相変わらずの美貌に今は三井への愛しさと心配を乗せている。強引に引っ付くし三井の友人にまで嫉妬するアホな奴。三井の好きな人、番になる人。でも。
    「流川……俺とウィンターカップどっち取る?」
    「は?何言ってんの?あんたもウィンターカップもどっちも手に入れるから問題ない」
    自信満々の顔で言い切る流川に惚れ直す。しかし。
    「俺はウィンターカップを取る」
    「゛あ?俺を捨てるってこと?」
     ピリピリとした威嚇フェロモンが漂いだす。
    「ばーか。お前が素直に捨てられてくれるなら苦労しねぇよ。そうじゃなくて、ウィンターカップ終わるまで告白してくんのやめろってこと。後、抱きつくのも匂い嗅ぐのも禁止!」
    「はぁ!なんで?ウィンターカップの間に俺が心変わりするって期待してんのかよ‼︎」
     鬼の形相の流川、その苛立ちにますます重くキツくなる威嚇フェロモンに苦笑する。湘北のエース流川の弱点は経験不足ゆえの視野の狭さ、今も同じく。その幼さすら愛しいのだから完敗だ。
    「違う。俺が……ぶれちまいそうで怖いの」
    するりと手を伸ばし艶やかな黒髪を引き寄せ顔を埋める。流川の甘くスモーキーなムスクがもっと強く香った。
     「……なんでだよ。鬱陶しい告白くらいであんたがぶれるかよ。そんな柔じゃねーだろ」
     不機嫌にぶすくれる流川にそうだ、こいつ情緒もへったくれもなかったな。とため息。
    「わかんねーなら意味は誰かに聞いてみろ」
     流川の胸を押し返し離れろとタップすると、意味がわからずぶすくれたままの流川の頬にキスをした。
    「はぁ⁉︎なっ、なっ⁉︎」
     世にも珍しい真っ赤に赤面し狼狽える流川を見れて、三井はご満悦だ。
    「流川ウィンターカップ、行くぞ」
    「……行くだけじゃねー。勝つ」
    「おう、そうだな。流川、絶対勝つぞ」
    「うす」
     翌日の一年十組、流川が昨日のことを石井に相談したら、久しぶりに石井のメガネが割れた。大興奮の石井が大声で叫ぶ。
    「る、流川!それって…三井先輩はお前の告白が嬉しくて心が乱れるからやめろって言ってるんだよー‼︎」
     ぼん‼︎流川の顔が一緒で赤く染まる。石井の目から滝の涙が溢れる。そして石井が大声で叫んだものだから、つい聞こえてしまった同級生たちからも「やったな流川!」「流川くんよかったね!」と大歓声があがった。あわや学校中に知らせてお祝いを、なムードを食い止めたのは石井だ。
    「待って!三井先輩はバスケだけに集中するために流川に告白するなって言ったんだよ。だから、このことはうちのクラスだけの秘密‼︎もし学校中にバレて三井先輩の邪魔になったら、流川にも悪いよ。だから秘密でお願いします!」
     秘密を抱え、流川を含めた十組全員がふわふわ花を飛ばす様子に教師ははて?と首を傾げた。

     ♢♢♢
     
     ウィンターカップ出場のためには神奈川予選を勝ち抜かなければならない。Ωである三井にはやることがあった。Ωはヒートやフェロモンの対策をしないと公式戦には出られない。スポーツ界にはαが多いため、αには抑制剤とフェロモン遮断薬、Ωなら抑制剤、ヒート管理薬、万が一の為の頸保護シートなどが必須だ。さらに分化が始まったばかりの三井には経過観察もあった。

    「三井さん、経過観察でちょっと気になることがありまして。いえ、バスケの試合は大丈夫ですよ。三井さん、失礼な質問で申し訳ないのですが、パートナーと性交渉はしましたか?」
     パートナーと性交渉⁉︎突然飛んできた質問にぷわんと流川の顔が浮かんで動揺するが、頭を振ってキラキラする流川を追い払い、蚊のような声でないと伝えた。
    「性交渉はしていないと。それはよかったです。気になるのは子宮の発達がまだ発育不十分なことです。男性Ωの膣に繋がる直腸もまだ未成熟で挿入時に裂傷の可能性もありました。Ωの発育状況で言えばまだ中学生くらいでヒートの制御も未熟です。抑制剤があるので大丈夫とは思いますが、突発ヒートであっても、パートナーがいても性交渉はしないでください。それに番になるには性交渉中に頸を噛む必要がありますので、番うのはΩとして成熟するまでは我慢してくださいね」
     
     ♢♢♢

     バース性専門病院からの帰り道、脳内に流川が出てきたのが恥ずかしすぎて、ぶつぶつ文句を言いながら帰る三井。
    「性交渉なんて⁉︎流川はまだ十五歳だぞ!性交渉なんて………うぅ…だぁー‼︎」
    三井は煩悩退散と唱えながら、電車二駅分の道をロードワークをするはめになった。
     暗くなってきた道を走る。冷えた頭にはウィンターカップしかない。恥ずかしい思いはしたが、準備はできた。あとは勝つのみである。まずは打倒海南だ。海南大付属の名の通り牧達三年も引退していない海南に、赤木が抜け桜木も仕上がっていない湘北が喰らいつく。そんな展開が一番面白いじゃないかと三井は不敵に微笑んだ。

     ♢♢♢

     神奈川予選を順調に勝ち進む湘北はついに決勝戦を迎えた。相手はやはり王者海南。控え室で着替え終えた三井の手を流川が握り連れていく。
    「おい、どこ連れてくる気だ?」
     着いたのは会場の備品倉庫。埃っぽい中は沢山の備品が積まれ細い通路が申し訳程度にある小さな部屋だった。倉庫の扉が閉まると流川が三井のユニホームの裾をチョンと引く。お願いがあるときの甘えた仕草だ。
    「お願いセンパイ。センパイの匂い頂戴。センパイの匂いくれたらすげー頑張れる気がする」
     三井より背が高いくせに妙に上手い上目遣い。まさか流川にあざと可愛いなんて感想を抱くなんて。三井は流川を抱き寄せ顔を首筋に押し付けてやった。
    「はぁー。今日だけだかんな。で、俺にも嗅がせろ。やっぱりお前でも緊張すんの?」
     三井自身も流川の匂いを堪能する。甘くスモーキーなムスクは三井を安定させ、霧が晴れるように体の隅々がクリアに感じられた。
    「緊張はしてねー。あんたの匂いがあったらもっと燃えそうだと思った。あぁ、いい匂い。今すぐ番いたいくらい」
     流川は抱きしめた三井の首筋に鼻を擦り付ける。
    「はいそこまで。それ以上は告白禁止違反です!」
    「抱きしめて匂い嗅いでんのはいいの?」
    「俺がいいって言う時はいいの!」
    「……オーボー。けど好き」
    最後に流川の頭を雑に撫でて倉庫を出る。流川を振り返ると、その目には爛々とした闘志の炎が燃えていた。三井の背筋をゾクゾクさせる肉食獣の気配。
    「行くぞ!」
    「うす!」
    「桜木と連携も!」
    「うっ…ぅす」
    「ははっ声ちっさ!でも、そこに掛かってるぜ?俺らの秘密兵器がまさかの連携プレーなんてな。海南だって予測してねーさ。流石は安西先生」
    天に向かって拝みだす三井を肩を竦めて揶揄する流川に三井のチョップが入る。
     さあ戦いの始まりだ!

     ♢♢♢

     湘北対海南は接戦となる。赤木の穴を埋める角田では牧に競り負けてしまう。そこで宮城と安田のダブルPCで挑んだ。安田の安定したボール回しに宮城の速攻、桜木の鉄壁ゴール下とリバウンド。流川はその突破力に加え、この試合においては時にゴールを守り、時にボールを運ぶオールラウンドな立ち回りをした。脅威になる神には三井が徹底マークし打たせないし、少しフリーにすればあっという間にディープスリーをお見舞いする。
     湘北のガラリとスタイルを変えたスタイルに海南は翻弄され前半は湘北のリードで終わった。しかし、常勝海南。後半戦からは順応しボールを取らせなかった。最後は意地とプライドのぶつかり合い。シーソーゲームのち、海南の二点リードで最後の一分を迎えた。ディフェンスを擦り抜けた信長のシュートをなりふり構わぬ流川が着地を考えない無謀な体制でボールを弾いた。コートに身を打ち付ける流川、ボールは三井の手へ。シュートを打たせまいとする海南が飛ぶ。しかし、シュートフェイクを入れた三井はディフェンスをかわし中に。全員が走りパスを通すまいと牧も中へ斬り込む。二十秒。流川へのパスだ、と思いきや、桜木がスクリーンになる位置の向こうにラインへ走る安田がいた。
    「戻れぇ!」
     牧の絶叫。しかし、安田へのパスが早かった。残り一秒。安田の手からボールが飛び、誰もが息を飲む静寂な会場に終了のブザー。
    パシュンッ
    スウィッシュの音が響いた。

    「ヤスー‼︎‼︎」
    「しゃっー‼︎‼︎‼︎」
    「安田ぁ!お前あの場面で公式戦初スリーとかバケモンかよ!やるじゃねーか‼︎」
    「あはは、三井先輩の特訓受けた甲斐がありました」
     激戦の勝利に湧く湘北バスケ部。ベンチメンバーも加わり桜木に肩車された安田を中心にして、抱き合い叩き合い雄叫びをあげた。
     どさくさに紛れて流川が三井に抱きついてきたが、まあこれはノーカンであろう。

    ウィンターカップ神奈川予選
    優勝 湘北高校バスケット部

    「三井さん、あんた首繋がったね」
    「おう!バスケの神様もここで終わる男じゃねーだろってさ!」
     ウィンターカップ本戦まで後わずか。一層気合いを高める湘北バスケ部であった。

     ♢♢♢

     時は瞬く間に過ぎウィンターカップ本戦。もう湘北はダークホースではない。夏に山王を下し、強豪海南を破った神奈川の勝者。相手チームも湘北を研究して来ているが湘北も伊達ではない。苦しい戦いを勝ち抜き今日を勝てばベスト8だ。
    「センパイ、ちょうだい?」
    「おう。お前のも俺に寄越せ」
     ルーティンになった試合前だけ許す肌の熱。互いの匂い。目を閉じて深く深く息を吸う。これがあれば何処まででもやれる。愛しい匂いに満たされて、肉食獣に喰われそうで、心がグラグラ熱くなる。
    「流川よ、今日の三井はいいぞ。外す気がしねー。点を取って取って取りまくってやる‼︎」
    「俺だっていい。蹴散らしてぶっ潰す‼︎」
    「はは!お前はいつも物騒で笑うわ!まずはベスト8!いくぞ流川‼︎」
     
     しかし、全国の壁は厚く…
     
    ♢♢♢

    「シャトルラン十本!」
    「「はい!」」
     湘北の体育館、バスケ部の練習風景。そこに三井はいない。全国ベスト16。それが湘北の公式記録となり、三井はついに引退をした。公立高校がベスト16ならば快挙であり、校舎には成績を讃える横断幕が垂らされている。三井はベスト16ではあるものの、その能力を見出され大学から声が掛かっていた。なんと家庭の事情で急遽推薦を辞退した者がいたらしい。宮城はその悪運の強さに度肝を抜かれた。さすが自称神さまにここでは終わらないと言われた男。しかし、バスケ部の推薦の他に学力テストもある程度の点数を出さなければならず今やあの三井が勉強の日々を送っている。
     練習終わり、スポーツドリンクのボトルを傾け一息ついた流川が頭を振り落ちた汗が体育館を汚してしまう。
    「ちょっと流川!そこもうモップかけたから汚すなよ!それくらい自分でできるようになれよな」
     桑田に叱られモップを取りに倉庫へ行く。「犬かお前は⁉︎」と呆れながら小突いて、づぼらな流川の髪を優しく拭いてくれた三井はもう部にいない。流川は三井に甘え甘やかしてもらっていた日々に思いを馳せる。高三の三井に会えたのは五日も前の登校日。流川の中にぽかりと空いた穴ができた。バスケをしていても時折そこが寒くなる。コンディションにも影響するから困る。ぽつりと石井にこぼしたら、それは寂しさだと教えてくれた。なら寂しさの穴はどうすればいいか?
     部活後、流川は自転車をいつもと逆の道へ向かわせ風を斬る。流川は何故今まで思いつかなかったのかと、気付かせてくれた石井に感謝した。そして…

    「もしもし、三井センパイのお宅っすか?バスケ部の後輩の流川です。センパイいますか?……あっ、センパイ……駅まで迎えに来て」
    「流川どうした?え?駅って?はぁ?俺に会いに来たけど家知らないだぁ⁉︎」
     流川は気付いたのだ。学校で会えないなら三井に会いに行けばいいと。しかし、三井の使う駅に着いた時にハタと思い出す。三井の家を知らなかったことを。
     結局、三井に電話をし迎えに来てもらうことになった。三井に迷惑をかけてしまったが、初めて来た三井の使う駅。この駅から三井はいつも高校へ通っている。存在を感じるだけで穴がちょっぴり暖かくなった気がした。

    「この!バカ流川‼︎」
     突然の訪問や遅い時間の無茶に青筋を立てて叱る三井。口が大きく開いたり閉じたり動いている。身振りも大きい声も大きい。動くたびふわりと舞う爽やかな柑橘の香り。
    (センパイだ。センパイがいる!)
    気付いたときには動いていた。ガミガミお説教をする三井の両手を掬い上げ包み込む。
     そこは人の行き交う駅のバスロータリー脇、薄暗く空き缶の落ちた街路樹の下。
    「センパイ好きです。番になって」
     盛大なチョップをもらったのは言うまでもない。青筋顔から真っ赤な顔になった三井に更なるお説教をもらったあと、流川は三井の家に案内された。出迎えてくれたのは小柄で栗色の髪の三井の母だ。
    「おかえり寿。流川くんにちゃんと会えたのね。よかったわ。流川くんいらっしゃい。ゆっくりしていってね。もう遅いしお家の方には泊まるって連絡しておきましたよ」
    「ただいま。はぁ。流川上がれ!洗面所はその扉!手洗いうがいすんぞ!」
    「すんません。お邪魔するっす」
    「はいどうぞ。ご飯ありますから食べてね」

     三井の家は上品な住宅街にある瀟洒な一軒家だった。流川にはわからないが近代的なデザイナーズ住宅だ。流川がわかったのは庭にバスケットゴールがあることだけ。一方方向を向いてじっと動かなくなった流川に三井は苦笑とともに飯の後なと言ってくれた。
     流川はよく食べた。三井の倍は食べ進める流川に三井の母は更に米を炊きおかずを追加してくれた。遠慮なく食べるその勢いは三井の母を喜ばせ、三井はげんなり箸を置き、食べ過ぎて苦しい腹を抑えた。
    「ごちそうさまでした」
    「お粗末さまでした。流川くんはよく食べるのね。たくさん食べてくれて嬉しいわ」
    「俺は見てるだけで胸焼けしたわ。よし流川腹ごなしいくぞ!母さん、俺らちょっと庭行くわ」
    「いってらっしゃい。終わったらお風呂に入ってね」 
    「はいはい」
     庭にはリビングから降りられた。三井がスイッチを操作すると軒先の照明が点灯し即席ナイターのできあがりだ。
    「父さん帰る前に風呂入らなきゃだから三本やったら終わるぞ、いいな」
    「うす」
    「よし!流川よ。受けて立つ!」

     ♢♢♢

     ワンオンワンを終え流川を先に風呂に入らせた。今は三井の番だ。熱い湯に浸かり天井の雫を眺めながら三井は流川の告白を思い出す。連絡もせずに場所も知らない家に行こうとする無鉄砲さには怒りを覚えるが、三井に会えず寂しくてきてしまったと、前髪を弄りながら言う流川は可愛かった。三井だって流川に会えず寂しかったのだ。流川の告白だって、ウィンターカップも終わったし嬉しかった。だが、場所も説教されてる時というシチュエーションも中々にダメだ。三井は告白された瞬間、脇で缶コーヒーを飲んでいたサラリーマンがぶふっとコーヒーを吹き出したのを見てしまった。だがまあ、そんなアホなところすら可愛いと思ってしまうのだから重症だ。
     震えてしまう指先を守るように握る。流川が好きだ。だからこそ、言わなければならないことがあった。たとえそれが、二人の別れに繋がっても。

     ♢♢♢

     流川は先にお風呂をもらい、一人三井の部屋にいた。三井のフェロモンが濃厚に香る室内に心臓が爆発しそうなビートを刻む。三井のパジャマを着ているのも良くない。
     三井の部屋は広く、白木のベッドにオシャレな白いシステムデスク、クローゼット、床にはベージュの丸いカーペット。飾り棚もあり、トロフィーや盾、賞状が飾られている。中には夏の全国大会やウィンターカップの写真もあった。しかし、よく見れば賞状には破られた跡、トロフィーも折れて修復した跡がある。脳裏に浮かぶバスケがしたいと泣く三井。この飾り棚にあるのは三井の飲み込んだ苦しみであり、今の三井が過去を昇華し飲み込んだ証左なのだろう。隠すような位置に置かれた写真立てを手に取ると、それはバスケ部に入ったばかりであろう三井と木暮、赤木が笑顔で写る写真であった。
     コンコン。ノックのち「入るぞと」と三井の声。咄嗟に写真立てを置き慌ててカーペットに座ると、三井が部屋へ入ってきた。生成りのパジャマにまだしっとりと濡れた髪、薄ピンクに火照る肌。流川はもうどうしていいかわからないほど精神が乱れ、全く動けないまま風呂上がりの三井を見ていた。
    「あら?流川どした?」
     固まってしまった流川の顔を覗き込もうと体を近づけた三井から立ち昇る、洗い立ての石鹸と柑橘のフェロモン。全身が心臓になったようにドクドクと脈打つ。
     本能的な衝動に押され、流川は三井をベッドに押し倒した。
    「センパイ。好き、いい匂い、どうしよう…好き、好きです」
     押し倒された三井は、熱に浮かされいつもの無表情な顔を困ったように、泣いてしまうように歪めた流川を見上げた。赤く色づく首筋も潤んだ目もあんまり美しく、あんまり可愛くて三井の体も熱を持つ。流川のフェロモン、スモーキーなムスクが三井を包む。ゆっくりと覆い被さる流川のまつ毛が降りてくる。黒い瞳に三井が映り消えた。唇に柔らかな熱が触れる。流川の唇が合わさる唇をつんと啄ばみ、ふにふにと押し付ける。体いっぱいに流川のフェロモンを浴び、三井は下腹の奥が堪らなく疼いた。
     この疼き…流川が欲しい……胎いっぱい…流川を…
     三井もまた、危うい熱に浮かされていた。流川の頭を優しく抱き寄せ、イメージよりずっと柔らかい唇をペロリと舐めた。ビクンと逃げそうになる流川の後頭部にまで腕を伸ばして引き寄せ、唇の合間に舌を這わせる。舌先に感じる粘膜に三井の口内に唾液が溢れた。その唾液を分け与えるように硬く尖らせた舌を口内に差し入れると、勢いよくじゅっと吸われ尖った犬歯が舌に食い込む。そこから技巧も何もなく、吸って舐めて噛みつかれる。息継ぎの合間にギラギラした肉食獣に睨みつけられる。あぁ喰われてしまう。三井の一番好きだった可愛い流川。でもこの三井を喰いたい流川も好きだ。もっと流川肌を感じたくなった三井は流川のティーシャツの下に手を差し入れ………
    「寿ー?流川くんの布団忘れてるわよー」
     

    ビョン‼︎‼︎‼︎
     
     階下からの声に流川が驚いた猫のように跳ね飛んだ。三井もはっと我に帰ると、ギラギラ肉食獣はいい色に染まった可愛い茹でダコになっていた。話をしなきゃならないのに、自分から手を出しそうになり三井は反省した。
    「あら?あー……ごめんな。ちょっと理性失ってたわ」
    三井の声に茹でダコが今度はピシッと直立不動に立ち上がった。
    「ち、ちげー!嫌じゃない!逆‼︎口が、きっ気持ちよくて!柔らかくて、センパイキスしてくれて……告白オーケーなのかって思って…でもまだ言葉で聞いてないから……ど、どうしたらいいのかわからない」
     真っ赤にあたふたしたら今度はしゅんとして。もう三井はキュンキュンが止まらない。しかし、やるべきことを忘れるのはいけなかった。
    「…ドア開けて右の突き当たりトイレな。客用の布団持ってくるから…ソレ抜いてこい」
     言われた流川はハッとして元気な股間を両手で隠した。三井が階段を降りていくと、自室からバタバタとトイレに走る音がするのを苦笑で見送った。
     流川が好きだ。好きだからこそ、怖いのだ。

     ♢♢♢

     流川がどうにか納めて三井の部屋に戻るともう布団の準備がされていた。
    「おかえり。ほれお前この布団で寝な。でだ。大事な話がある。落ち着いて聞けよ?告白の返事する前に考えて欲しいことがあってよ」
     ベッドでストレッチをしていた三井が姿勢を正したので流川も布団に正座をする。
     流川の頭にある歌手の曲が流れる。俺より先に寝るな起きるなとかいうアレだ。だが問題ない。番になるためなら何を言われても受け入れる覚悟はすでにある。ゴクリと唾を飲み三井を見つめた。

    「流川、俺…番えない」
    「なんで⁉︎」
     思わず立ち上がる流川を座らせる。
    「最後まで聞けって!……あのな、俺はお前に出会うまでΩとしての機能は成長してなかったんだ。今もまだ未熟で…せ、性交渉…つまりセックスができない。番うには………ちんこ挿入しながら頸噛む必要あるだろ?だから番うのは無理なんだ。それどころか、セックスできるまで成長するかもわからねー。流川よ、お前それでいいのか?」
     三井の真っ直ぐ貫く目に怒りが湧き威嚇フェロモンが噴き出し三井をきつく睨み付ける。バスケしか要らなかった流川に芽生えたこの大切で大事で愛おしい想いを、三井を好きだという気持ちを、たかがセックスができないくらいで捨てる程度だと疑うのか⁉︎
     だがしかし、流川の怒りを浴びてなお静かで深く、奥底に何かを押し殺した眼差しの三井に、燃えた怒りはひやりと鎮められた。
    「………当たり前に決まってる」
    「おい、今答え出すなよ。よく考えろ。一生セックスしないなんて言うだけなら簡単だぜ。でもよ、本当にそれで恋人や伴侶と言えるのか?他の奴としてみたくなるんじゃないか?それに、成長したとしても子どもが産めるかもわからねー。俺の子宮はまだ中学生くらいだと。いつセックスして番えるかもわからないし、番う機能があるかどうかもわからねー。俺はΩにならないはずのΩだった。将来的にどんな欠陥があるか…
    お前は強いαだ。しかもバスケも上手くて女にもモテる。Ωに会ったの俺が初めてだしよ。他を知らないお前は俺しか選択肢がなかったんだ。そのたった一つの出会いがまさかの運命の相手だとして、一生の番を決めるにゃ早いんじゃねーかってこと」
     流川の中でグラグラと怒りが再燃する。
    「俺の気持ち疑うのかよ⁉︎」
    「疑っちゃいねー。でもよ、恋人と番じゃ重みが違いすぎる。しかも……欠陥アリのΩだぜ?」
     三井は流川に考えろと言う。しかしその内容は到底許せるものではなかった。
    「取り消せ。欠陥とか選択肢とか関係ねーんだ。俺は自分がαだとかよく知らねーしΩじゃない時からあんたが好きだった。Ωが欲しいんじゃねー。あんたがいい。あんたしか駄目なんだ‼︎」
     気持ちの昂りに三井の座るベッドを殴りつける。ダシンと重い打撃音が鳴る。

     力が入り過ぎて痛々しい程白くなった流川の握り拳に三井はそっと手を添える。
    「ごめんな。でもよ、俺は年上だからちゃんとお前に考えさせる義務がある。番になったら一生別れられない。もし…好きな奴が別にできても、番にはなれないんだ。だから頼む。考えてくれ。…来週の水曜日の昼休み、屋上に来て欲しい。登校日なんだ。そこでお前の気持ちが固まってたら…告白に答え出す」
     流川と三井の目線が交わって数秒か数分か数十分か。目を逸らしたのは三井だった。
    「…わかった。考える。だからセンパイも覚悟しとけよ」
    「ああ、わかってる。…よし、寝るか!」
     電気を消して布団に入るとのそりと流川がベッドに上がってきた。
    「ちょ、流川!」
    「なんもしねーす。ただ一緒に寝たいだけ。お願い」
     パジャマの裾を握って強請られたらもう三井に勝ち目はない。酷いことを言ったのは三井の方なのに、目をぎゅっと瞑って溢れそうな涙をちらした。
    「………ん」
     羽毛布団をめくってやるとするりと滑り込んできた長身。背中合わせになると、触れ合う場所から流川の高い体温が伝わって三井の体温と混じり合う。先程まで三井を性的に高めた流川のフェロモンが、今は眠りを護るように優しく包み、体と心がふわふわと夢に漂いだす。
    「流川……おやすみ」
    「…おやすみなさい」
     流川が三井の手を握ったことは気づかないフリをした。

     ♢♢♢

     約束の水曜日。空は分厚い雲に覆われ薄暗い。冷たい風が吹きすさぶ。流川が屋上に行くとそんな寒々しい中でコンクリートに寝転び空を眺める三井がいた。
    「寝たら風邪ひく。センパイ久しぶり。俺ちゃんと考えてきた」
     その目線を遮って三井を覗きこむ。
    「……久しぶり。屋上でもどこでも万年寝太郎なお前がいうか?………なぁ、俺が好きだからいいって話しじゃねーぞ?」
    「ちゃんと考えた。よく聞いて」
     三井の上に覆い被さり手を握って見下ろす。冷え切った手が少し震えていた。切なく揺れる三井の目が流川から伏せられ逃げるように遠くを見やる。この目だ。告白をしても突き離すのは三井なのに、その目はいつも流川が好きだと雄弁に語っていた。それを隠そうと伏せられた目が逃げるのだ。流川はその仕草が好きだった。隠せていると思っている年上ぶった三井が好きだった。
     それはつまり、流川から逃げられないと白状しているに等しいのだから。三井が告白されて嬉しくてぶれてしまう、なんて言ってきた時にはこれで捕まえたと思ったのに、三井は本当に難解で複雑で面倒な男だ。隠すのが下手なくせに、中身は絶対見せてくれない。
    「Ωとかαとか関係ねー。センパイだから好きなだけ。あんたが番になれないなら恋人になればいい。男同士は元からセックスしない奴らもいるらしい。だからセンパイに触わってセンパイも気持ちよくなれればいい。子どもは居なくても問題ねー。俺はセンパイ以外好きになれねーからセンパイがいなけりゃ元々子どもなんてできねーし。センパイが子ども欲しいなら養子取ればいい。親もそれでいいって言ってた。俺に子どもどころが番だってできると思ってなかったって。人に興味ない俺に恋をさせてくれたセンパイに感謝してるって言ってた」
     流川は淡々と話す。決定事項を話すだけだ。揺るがない事実でしかないのだから熱く訴える必要はない。ただ想いを込めて伝えるのみ。三井が隠した何か。その何かを怖がっているのには気付いていた。なるはずの無かったΩになったことか、流川を信じられないのか。こうと決まったらそう動くだけの流川より三井は深く何通りにも気を巡らせるたちだから。バスケではそれが広い視野や場を支配する戦略となっていたのだが今は出口のない迷路にいるようだ。
     何を怖がっているのか?流川に難解で複雑で面倒な三井の思考はわからない。できることは流川の思いを伝えることだけ。
     聞いている三井は動かない。ただ遠くを眺める目からつらつらと雫が落ちるだけ。
    「ちゃんと考えた。今度はセンパイの答え……聞かせてクダサイ」
     冷たい頬を流れる雫を拭うと暖かかな温度が流川の指先を暖めた。三井の纏う温もりは流川の手とこの涙のみ。三井を温めるのは涙ではなく自分でありたい。流川は三井に想いを込めた告白をした。どうか届きますように。
    「センパイ好きです。何があっても好き。何があっても離さねー。もう逃げらんねーんだから腹括れ」
     「………ぅう……」
     食いしばる唇から声が漏れた。耐えた想いが決壊したように溢れ出す。
     三井は怖かった。考えたくなくて心の奥に閉じ込めるほど怖かった思い。Ωになった自分が、流川を好きになった自分が怖かった。バスケがしたい自分には不要だったΩ。しかし、流川が三井を好きだというから。バスケにしか興味のない眩しすぎるバスケ馬鹿が三井がいいと言うから。だから、流川の番になるためならΩの自分も受け入れられた。だが、欠陥ばかりのΩだ、流川にやっぱりそんなΩは無理だ、なんて言われたら、崩れて壊れてしまいそうだった。それなのに、告白は嬉しくてますます好きになった。だが、告白をキッパリと断ることもできなかった。だって流川が好きなのだから。流川に曖昧な態度を取り続けるのは卑怯だとわかっていたが、この怖さを抱えたまま告白を受けるだなんてできなかった。少しでも自分を騙して安心するために流川に考えさせたのだ。狡い自分が情けなかったが、これで怖さをもっと奥に隠せたら流川とちゃんと付き合えると思ったのだ。だが今日この時。流川はぶち破ってきた。苦手な筈の言葉に乗せた流川の真摯な想いが、隠し場所の蓋にしていた気力の盾を貫通し、恐怖も不安も蹴散らして一直線に三井を貫いたのだ。
    「……き……好きだ…流川ぁ、俺もお前が好きだってんだ馬鹿!くそ‼︎俺はΩじゃなかった筈なのに!なんでお前なんだよ!くそ!馬鹿!くそ馬鹿流川‼︎フッても諦めねーし!俺のダチにまで嫉妬するし!お前のせいだからな!好きにさせやがって!俺が欠陥品だったらどうすんだよ!馬鹿!責任取れよ馬鹿!逃げらんねーってなんだよ⁉︎逃げらんねーのはお前だばーか!もう別れてやんねーからな!一生離すんじゃねーぞ!くそ馬鹿の大馬鹿野郎が‼︎」
     くそが四回、馬鹿に至っては八回。なんとも残念の告白である。
     その瞬間。ひゅうと鋭い風が吹き、まるで魔法のように空を覆う雲が晴れた。隠されていた太陽が顔を出し、高く澄んだ青空が二人を明々と照らしだす。これが映画であれば美しい主人公の美しい運命の場面であろう。だが、ここにいるのは口汚ない告白をして、ダダ漏れた涙と鼻水が太陽の光にキラキラ輝く男。だがその馬鹿みたいな場面こそ、流川にとってこの上なく美しく尊く輝かしい運命であった。


    終業式を控えた十二月の晴れ渡った日、三井と流川の番を前提としたお付き合いがはじまった。

     ♢♢♢

    「センパ……寿さん」
    「なんだ?る……楓」
     真っ赤になり名前を呼び合う二人を死んだ目で見つめる宮城と好奇心いっぱいにワクワク眺める桑田。
     今日は三年も登校しての終業式であった。今年最後の部活のこの日、寿から筆記試験に合格し大学入学が決まったことが発表された。バスケ部の面々は口々にお祝いとからかいの歓声を上げ寿を祝福した。この出戻りのどうしようもなく馬鹿で迷惑な先輩が、どれほどバスケを愛し、どれほどバスケを欲していたのか、痛いほどわかるから絶対に合格して欲しかった。できればその祝いの気持ちだけを持って気分よく解散したかったのに、それを二人が許してくれなかった。
    「楓」「寿さん」
     赤い顔で呼び合う二人に悟る。そっちもおめでとうだったかと。この混沌とした気持ちを共有したい。宮城が周囲を見回すがウキウキの桑田が目に入ったので却下。彩子も微笑ましく見守っているので、眺めていたいが泣く泣く却下。そのくらい宮城の傷は深い。安田を見ると目が合った。苦笑いの安田にやっと宮城は救われた。
     ちなみに、この「寿さん」「楓」のやりとりは廊下やら教室やらでも遠慮なく披露され、多くの流川親衛隊のもしかしたらの希望を打ち砕いた。

     ♢♢♢

     冬休み、寿と楓は許す限りを共に過ごした。まあ、主にバスケだが。勉強から解放された寿は引退したはずのバスケ部の練習に参加した。一、二年に自分の持てる技術を叩きこみ、さらなる湘北の強化を目指す。ガードにセンター、司令塔、どのポジションもできる寿に教えを乞うメンバー。楓はすでに教えるレベルを超えていたため、その輪を外から眺めてはひと段落した寿を捕まえ、拗ねて甘えてワンオンワンを強請ってはへろへろな寿を更にヘロヘロにさせていた。
    「うわぁ⁉︎あざとい!流川って甘えん坊だったんだな」
    「……うーん、クールな流川のあの姿、あんまり知りたくなかったなぁ」
    「でも、流川嬉しそうだ。三井先輩も。…今にも死にそうだけど」
    「キツネは気に食わんし目障りだが、ミッチーがいいなら許してやろう」
    桑田、佐々岡、石田、桜木。一年達はできたての規格外な恋人達の幸せを願ってからかい混じりに会話の花を咲かせる。
     正月は寿、赤木、木暮も参加しバスケ部で初詣に行った。二人が付き合っていることを寿から聞いていた木暮は、揶揄いを装って楓に言った。
    「こんな不束者だがどうかよろしく頼む」
     寿は照れて木暮に突っかかるが、楓は深く頭を下げて応える。その想いは木暮に伝わっただろう。
     正月が誕生日である寿がねだったのは縁日で売っていた指輪飴。それはいつかな、と楓が渡したのはりんご飴。さっさと先を行く寿の耳は楓が食べるりんご飴みたいに赤かった。
     楓が堀田に寿の恋人となってから初めて会った時は
「みっちゃんを泣かしたら承知しねーからな!みっちゃん、こいつが何かしやがったらぶっ殺してやるからすぐ言うんだぞ⁉︎」
     過保護な兄のようなことを言う堀田に寿は照れ隠しにブチギレたが、楓はそのブチギレこそ甘えている証拠だと真っ黒に嫉妬し、見せつけるように寿の唇を奪った。そこから一言も口を聞いて貰えなくなった楓が焦って路上で土下座をするという大事件もあったが、寿が楓のあまりの必死さが可愛くて、ついつい笑ってしまい逆に拗ねた楓を必死に慰めるはめになった、なんてこともあった。
     そんな穏やかな時間が流れ、三月となり。寿をはじめ三年生達はついに卒業していったのだった。

     ♢♢♢

     新年度は桜舞い散る小春日和で始まった。初めての大学生活に加えて一人暮らしも初めての寿は毎日クタクタだ。都内のバスケ強豪大学に入学した三井は冬休みから大学バスケ部の練習に参加していた。そのレベルの高さに圧倒されつつ、目を輝かせて高みを目指した。寿のディフェンスとシュート、試合を読み相手をコントロールするセンスは群を抜く。しかし、フィジカルに関しては逆の意味で群を抜いてしまう。バスケの練習に加えてマシンを使った筋力強化、しなやかさや強靭さを出すためのピラティス、筋肉のための栄養を重視した食事。しかも大学生は当たり前に勉強もしなければならない。一日が二四時間では足りないくらいのハードな毎日で、湘北の練習に顔を出すのはもちろん、楓と会うことすらできない日々が続いた。
 二人を繋ぐのは、週一の電話と互いの匂いを染み付かせた服やハンカチ。月に何度かパジャマや肌身離さず匂いをつけたハンカチを宅急便で送り合い、寂しい気持ちを耐えてきた。恋人すら断ち、血反吐を吐いて打ち込むのは無論バスケだ。寿とは全く会っていない、寿から送られただろうハンカチを大事に握って話す楓に聞き手であった石井は、この二人じゃなきゃ絶対無理だと運命の番に謎の感動をした。
     そんな生活はしばらく続き。その成果だろう、五月になると寿は体が一回り大きくなりスタミナも見違えるほどに向上した。新人戦ではそのスリーポイントを買われロスターを勝ち取り、新人戦スリーポイント王を獲得した。楓も寿にアドバイスを貰いながら身体改造に取り組んだ。さらに、ストイックにバスケに打ち込むのはもちろん、寿の穴を埋めるようにパス回しや他ポジションのフォローにも積極的に動くようになり、その鍛えられた恵体にバスケの実力、美しい顔も相まって、高校バスケ界の寵児として雑誌にも取り上げられるようになった。
     互いがバスケのために鍛え抜く日々、ついに高校バスケの全国大会が始まる季節となった。
     「流川さんのお宅ですか?はい、寿です。楓くんいますか?」
     寿が楓に電話をかけたのはそろそろ予選が始まる時期だった。
    「お、楓!バスケ部どうだ?言ってた良さそうな一年ものになりそうか?そうそう、来週の金曜日なうちの部活休みなんだよ。だからそっち顔出すわ。おう、安西先生にご連絡して宮城にも許可とったわ。俺の体でっかくなってきたから驚けよ!お前の成長も楽しみだわ!じゃあな!他の奴らにも伝えといてくれよ。ああ、金曜日な!……あー。好きだよ。じ、じゃーな‼︎」
     最後に爆弾を落とした寿に、電話台の下に崩れ落ちていた楓を母親が不審そうに見ていたが、親だからわかる微妙にニヤケている顔で寿からの電話だと理解し家事に戻っていった。
     「寿さんに会える!」
     寿の卒業式から、実に三ヶ月ぶりの逢瀬である。それからの楓はいつにも増してキツイ練習をこなし一年達を慄かせたが、他メンバーは気合い入ってんなぁと生暖かい眼差しを送っていた。
     そして金曜日の放課後。
    「おーい!三井大先輩様が来てやったぞー‼︎」
     相変わらずの大きな声で体育館にやって来た寿に在校生達が喜びに湧く。
    「‼︎ 寿さんっ!」
     一際目立ったのは楓だった。試合中でも中々聞かない大きな声で叫ぶと、寿目掛けて駆け出し、その体に抱きついた。
    「楓ぇ来たぜ!お前の成長見せてみろぃ」
    「言われなくても。あんたが逆立ちしても勝てないくらい強くなってる」
    「生意気な野郎だな!てか……はははっ!すっげーデカくなってんじゃん!背も伸びたなぁ!」
     抱きついてきた流川を抱き返し、優しく頭を撫でてやる三井。久しぶりに会う恋人達の筈がだいぶ物騒であるが、この二人なららしいくらいだ。訳知り顔で顔を見合わせる在校生に、クールで感情が無いのではと噂される流川のあり得ない姿に大混乱の一年生。キャプテン宮城もなんだか感動してしまって、延々と抱き合う二人を感慨深く眺めるだけだった。それは、彩子の容赦ない拳骨が三井と流川に落ちるまで続いた。宮城も彩子に怒られたのは言うまでもない。
     安西がやって来て練習開始になる。三井も着替え練習に参加した。荒削りで本能的に戦う在校生と違い、計算しながら動く三井は一年生にはいい指導者だった。弱点を指摘し長所をより良く。そして見本のような美しいスリー。度肝を抜く登場をした三井だが、一年生達はあっという間に三井に懐いた。流川はわかっていたが面白くない。機嫌が見る見る下降する流川があまりにわかりやすくて、バスケ部のメンバーは楓を可愛いと言う寿の気持ちがちょっとわかった。
     最後は紅白戦だ。寿と楓は紅白に分かれて対決する。寿は楓に激しくぶつかり競り合う。最近特にフィジカルトレーニングを増やし筋力強化に努めてきた楓にあのヨレヨレになっていた寿が負けないのだ。恋人にも会わずバスケに打ち込んできたバスケ馬鹿は、その成果を遺憾なく見せつけてきた。遂には低く落とした腰で楓を退け、無駄ない動きでシュートを放つ。そのボールは枠に掠りもせず、ゴールに吸い込まれていった。楓に向かってふふんとガッツポーズをする寿。それによって楓はじめ相手チームが燃えないはずはなく。ゲームは白熱し、ベンチの応援も盛り上がる。楓がゴール前でパスを受け、ディフェンスは寿。フェイクを入れ、ドリブルで交わし。そして、楓は寿の上を跳んだ。楓の筋肉が、全身のバネが。躍動し脈打つのを間近に感じる。触れたらやけどしそうな熱を発する楓が豪快なダンクを叩き込んだ。
     跳ね飛ばされた寿には、着地と共に前髪がふわりと跳ね、滴る汗が飛び散るなか、楓が深く息を吐いたのがスローモーションのように見えた。まるで野生の肉食獣のように美しい、自分の番。その美しい男が喰い殺しそうな目を寿に向ける。

    『喰われたい、こいつのモノ…になりたい』

     ドクン。体の深い何処かから溢れるナニか。寿はただ、楓を見ていた。楓しか見えなかった。

      ♢♢♢

    「あれ?なんか酸っぱい匂いしない?みかんみたいな?」
    「⁉︎なんだ?これ……Ωのフェロモン⁉︎……ミッチーの匂いか!」
     寿から溢れたフェロモンは体育館いっぱいに広がった。楓は不意打ちに運命のフェロモンを浴びてしまい思考が真っ白になる。いい匂い、俺だけの愛しい番。倒れ込んだままの寿のとろりと潤んだ目が一心に楓に注がれて。

    『あぁ。今だ。今こそ番う。寿さんを俺だけのΩに』
     
     寿を抱き抱えた楓が、寿の強すぎるΩフェロモンに支配され、抑制剤すら退けラットを起こそうとしたその時だった。
    「流川ーー‼︎三井さん守るのはお前だろーが‼︎」
     宮城の必死の叫びに霧が晴れるように目が覚めた。気付けば周りの部員達がぼんやりとこちらを見ている。普段とは違う虚な目が不気味に血走っているのがわかる。フェロモン遮断マスクをした宮城は緊急抑制剤を桜木に打ち込んだところだった。
     虚な部員達が一歩ずつ近づいてくる。寿のフェロモンに当てられて、寿を奪おうとやってくる。
     楓の中で凶暴な怒りが猛り狂った。

    「寿に………触んじゃねーーー‼︎‼︎」

     楓から発せられた何か、多分威嚇フェロモンだろうそれが、一瞬にしてゾンビのようだった部員達を吹き飛ばし昏倒させた。離れた宮城さえ衝撃を受ける。強いαの威嚇フェロモンがこれ程とは。寿が在校していた時、楓は気軽に威嚇フェロモンを垂れ流していたが、あれでもちゃんと加減はしていたらしい。
     体育館の出入り口から流川親衛隊やら他の部活の生徒やらもフラフラと入ってくる。皆寿を求めてやって来たのだ。青ざめた宮城は必要ないとは思いつつ、緊急抑制剤やフェロモン遮断マスクを持ってきた自分に感謝した。
    「流川!俺が扉に鍵閉めて回るからあいつらぶっ倒せ!三井さんに近寄らせんなよ!」
    「当たり前。俺の番だ。誰にも渡さん」
     宮城が鍵を閉める間にも体育館の外にはフェロモンに引き寄せられた生徒や教員が集まってくる。
     宮城が全ての扉に鍵をかけ終えた時、体育館内は楓の威嚇フェロモンによって倒れた人々でいっぱいだった。だが、唖然としている場合ではない。宮城は緊急抑制剤を陶然とと楓に抱き着く寿に打った。ゆっくりと、マスク越しにも強く感じた柑橘の香りが収まっていく。
    「流川、よく耐えたな」
     楓は太腿から血を流している。ヒートに惹かれないよう自らを傷つけ、痛みで正気を保ったのだ。
    「……キャプテン。ありがとうございました」
    「それはまじ、すげーよ俺。なあ、三井さんも抑制剤使ってるよな?」
    「使ってる。いつヒートくるかわかんないから、常に効くように飲んでるって言ってたっす」
    「それによ、三井さんてフェロモンごく微量で激弱だったよな」
    「そう。俺だけしか感じないくらい」
    「三井さんいるしさ、ちょっとバース性のことは調べたんだ。普通のΩだってここまでじゃねーよ。三井さんに何か起きてる。今アヤちゃんが三井さんの主治医に連絡してるから先生来たらお前も一緒に病院行ってこい。三井さんに着いててやれ」
    「……いろいろ…すんません」
    「謝るな。誰も悪くねーだろ。まあ、ヒートに当てられた奴らは気の毒だがよ」
     楓は気を失った寿の前髪を手櫛で整えてやると、米神に額を擦り付けそっと抱きしめた。寿を脅かす全てから守ろうとするように。

     バース専門病院に着くと寿はその場で緊急入院が決定した。楓は寿の親が駆け付けると頭を下げて謝罪したが寿の親は誰も悪くない、どうしようもなかったと言う。しかし、何があろうとも自分の番たる寿を危険に晒してはいけなかった。宮城がいなければ寿を一番に傷つけていたのは楓だっただろう。楓は自分の不甲斐無さが悔しかった。
     その日、楓は寿の病室に泊まった。ベッド脇の楓には小さい丸椅子に座り、寿の手を一晩中握っていた。

     検査の結果、Ω細胞の急激な成長でフェロモン過多が起こっているが、反してフェロモン制御機能が成長に追いついておらず、不安定にヒートを誘発してしまう状態であることがわかった。抑制剤もフェロモン制御機能に働きかける薬であり寿には効かない。緊急抑制剤はΩ細胞自体を刺激し細胞活動を止めてしまう劇薬であり使い続けることはできない。回復の道はΩとしての機能成長を待つことだけだった。
     この日から、寿はいつ来るかわからないヒートのため隔離室での入院を余儀なくされた。

     「楓、迷惑かけた、ごめんな。お前は大丈夫か?」
     寿が目覚めたのは翌日。寿は学校を休んで付き添った。親も学校もそれを許した。
     緊急抑制剤を打たれた桜木も無事だ。威嚇フェロモンに昏倒させられた生徒や教員も倒れた時のアザがあるくらいだった。楓に直接謝られ、逆に喜ぶ者もいた。その喜びは楓と寿への気遣いも多分に含まれていたが。
    「俺はなんともねー。謝んな。あんたは悪くねー。俺も謝んなって言われた」
    「お前が謝ったの?すげーな。俺も見たかったわ」
    「……寿さんこそ大丈夫?痛いとか辛いとかない?」
     気丈に軽口を叩くが、その顔は青白い。
    「痛かったり、辛かったりするところはねーよ。心配させたな」
     楓の頭を撫でようと手を伸ばす寿に合わせて頭を下げると、寿の顔が驚くほど近かった。
     柔く押し付けた寿の唇は渇いて荒い。潤すように舌で撫でるとふわりと開き、楓を招いた。初めて入る寿の口の中は暖かくとろりと甘い。寿の命を探るように、優しく口内を辿った。熱い舌同士が触れ合う。お互いを交わらせ一つになるように、ゆっくり静かにキスは続く。不安や憂いを互いの存在で掻き消すように。
     
    ♢♢♢

     寿が入院して一週間。突発ヒートが起こった。昔々、独り身のΩを苦しめてきたヒートを、寿は初めて体感することになった。
     
     熱くて、苦しくて、疼いて、疼いて、寂しくて。楓、楓。なんでいない?楓がいない。嫌だ。来て。入って。俺を抱いて。腹が疼く。イッてもイッても、気が狂う程に、足りなくて。辛かった。楓のフェロモンが染み込むタオルだけが支えだった。涙も喘ぎ声も枯れ果て、体力も尽きた。楓のタオルも体液で汚れ果てた。それでも、脳内を掻きむしるような性欲は収まらず、動かない手足が足りない足りないとただ震えるのみ。
     寿のヒートは幸い一日で収まった。だが、本来のヒートは約七日だという。これを一人で七日も耐える。寿は諦めが悪く不死鳥のように苦境を乗り越え甦る炎の男だ。だが。たった一日のヒートの苦しみに寿は挫けてしまいそうだった。楓のフェロモンが今の寿にどう影響するかわからないため面会すらできない。虚しさと悲しみと。自分がΩである不運。
     そして四日後、またヒートがやって来た。今度のヒートは二日掛かった。短いスパンのヒートは寿から栄養も気力も奪う。徹底的に管理し必死に増やした体重は今や高校入学前より軽くなっていた。新人戦での活躍、スタメンベンチの席、寿が大事に懸命に築いてきたモノが、手のひらからポロポロとこぼれ落ちていった。
     主治医曰く、唯一の光明があるという。今回のヒートで直腸の成熟が確認できたことだ。寿のヒートは、もう一人では乗り越えられない。医師は楓と番いヒートを過ごす提案をした。一般的にΩはヒートをαと過ごすことでフェロモンが安定する。寿のケースではそれが吉と出るか凶と出るかはわからない賭けである。番うことでフェロモン過多が治るのか、増加してしまうかわからない。だが、それでもやってみるしか無いのだ。
     しかし寿は拒否をした。死ぬかもしれないΩを将来ある楓の番にするなどあり得ないと。しかし選択肢は少ない。主治医から楓とその両親にもその提案がなされた。

     そして、楓は即断で頷いた。

     ♢♢♢

     数日後。点滴に繋がる寿の枕元には楓がいた。そして眠る寿のこけた頬を、
     
     思いっ切り引っ張った。

    「いってーな⁉︎なん…だ?……え?楓…夢か?」
     急激な痛みに頬を押さえて目を覚ました寿は目に映る楓を夢だと思った。倒れたあの日から面会謝絶で会うことができなかった楓が緑の患者着を着て立っていた。最後に会いたかったが、辛くなってしまうから会わないと決めた楓。きっと最後に神様が見せてくれた幸せな夢なんだと思った。ところが、その綺麗な唇から紡がれるのは美しい愛の言葉や死への慰めではなく、罵詈雑言だった。
    「どあほう」
    「え?」
    「根性なし」
    「は?」
    「馬鹿、あほ、弱虫、意気地なし‼︎諦めてんじゃねーよ‼︎」
     楓の怒気に震え湯気が出そうな剣幕に、寿は現実に帰ってくる。そして、チラリと目線をやると、寿の体にコードを繋げるモニターが、ヒートが近いと警告していた。楓がここにいる意味を理解する。楓はこの、あの世に片足突っ込んだような寿と番になろうとしているのだ。
    「……馬鹿はどっちだ馬鹿。なんで来た?俺は番わねーって聞いたろ?」
     軋む体を叱咤し寝返りを打って楓から体を背ける。顔を見たら泣いてしまいそうだった。
    「寿さんが辛いんだから俺が来るの当たり前。もっと早く来たかったのに!あの医者後でぶっ潰してやる!それにあんたも往生際悪い。俺から逃げよーなんざ許さん。あんたは俺とヒート過ごす。もう決定」
     とんでもない暴論を吐き出した楓が乱暴に寿の腕を引っ掴み、ボールをハンドリングする繊細さで手のひらを撫でる。そして。
    「痛っ!」
     急に痛みを覚えた寿の指には。
     安っぽい、やたらとピカピカしたオモチャみたいな指輪がはめられていた。オレンジ色の丸い玉がチープ感を際立たせる。そんな指輪が無理矢理に左手薬指の第二関節に食い込んでいた。
    「あ?……指輪入らねー」
    「ちょっ!痛っ‼︎無理、無理だって‼︎」
    「いや、入れる」
    「もう、お前は!ふっ、ふふ。はっはっは‼︎」
     ぎゅうぎゅうに食い込んだ指輪を、ムキになって更に押し込もうとする楓に、寿は何故か笑いが込み上げて笑った。弱った体が引き攣るくらいに笑って、泣いた。
     笑いながら泣く寿の涙を楓の唇が吸う。頬、米神、鼻、まゆ毛、目、唇。寿の涙が止まるよう、楓は優しく啄んだ。
    「ヒートは【愛し合うαとΩのための特別な儀式】なんだって。俺はあんたが好きだからあんたとヒートを過ごしたい。駄目?」
    「駄目……じゃない…でも……」
    「全部大丈夫。俺があんたをこんなに好きなんだから、あの世なんかに行かせねー。で、ヒートが終わったら鍛えて、練習して、またバスケやる。あと、イチャイチャするし、ヒートじゃなくてもセックスする。だから」
     顔中を慰撫した唇は、今度は寿の指輪をはめた左手薬指に贈られた。
     
    「番になる。で、結婚してクダサイ」
     
      ♢♢♢
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