言葉にすること 早朝からの任務は長丁場で、メンバー全員が帰還した頃にはもう日が暮れていた。皆くたくたではあったが、無事に任務を終えた達成感はそれに勝る。
とはいえ任務後のブリーフィングや報告書の作成など、まだまだやることが山積みの声聞士やロクハラの面々。そういうわけで、地魂男児たちは一足先に風呂で汗を流してくることになった。
タオル1枚になって身も心も温まれば、普段なら言えないようなことも思いきって言えるというもの。それを織り込み済みで、伊予は越後に声をかけた。
「なーなー越後。主と付き合い始めてからどんくらいぞな?」
「もう、みんな知ってるじゃないッスか。……あっこれ、ノロケていい流れッスか!?」
ごほんとわざとらしく咳払いをして、越後は声を張った。
「……そろそろ、3ヶ月になりまぁす!」
それを聞いた他の面々が、ひゅーひゅーと口々に囃し立てる。
「おぉ〜っ越後! その意気やよしぞな!」と伊予。
「もっと聞かせて越後~! ねえねえ、主のどんなとこが好き〜?」
恋バナには目がない筑後。普段にも増してぐいぐいと食いついてくる。
「ふふーん、いいッスよ」
越後も以前ならたじたじだったが、今は公然と声聞士と付き合っている身。何も恐れることはないとばかりに、余裕ある受け答えをする。
「師匠は声聞士としては、普段オレたちを見守って支えてくれる立場です。けど二人きりだと、等身大の姿が見えて……。師匠も普通の男の子なんだなって思うと、愛おしくなるというか……。あんまり甘え慣れてないところがまたいいんスよね……」
越後の方が声聞士より背は高いし、体格も良い。見た目は同じくらいの年齢でも、越後には千年以上にも積み重なった人々の思いが刻まれている。それでどことなく、父性のようなものが出てきてしまうのだ。
「でえともいっぱいしましたよ! いっしょに服を買いに行ったり、映画館や水族館に行ったり……。こないだは飲みにも出かけたッスね。日本酒飲み比べ、うまかったなぁ……」
「この〜! 主といっぱいお出かけ、羨ましいんだぜ!」
因幡はむくれて、えいえいと越後をこづいた。
声聞士は仕事でもプライベートでも、どの地魂男児たちとも分け隔てなく接する。越後と付き合い始めてからもそれは変わらずで、むしろ気を遣わせてしまっているのでは、もっと大胆でオープンにしてくれて構わない、気にせずイチャつけ──などと、複数の地魂男児から声が寄せられていた。
「と、こ、ろ、で~」
伊予がそわそわし始め、いつになく真剣な表情を作った。
「越後。主とはもう……したか?」
そう聞いた瞬間、目を丸くする越後。視線があちらこちらへ泳いでいる。
「し……っしし、したって……何のことッスかね……?」
「あーっ! とぼけてる!」と筑後。
「じゃあキス! キスは!?」
「し──」溜めが入る。
「し?」
「……しそうな雰囲気には、なりましたけどね……!」
「いやしてないのかぞな!?」
「……オレは一応っ、不犯を誓ってる身ッスから……ごにょごにょ……」
越後は言葉を濁した。
「つべこべ言わずに早くしちゃえぞな!! ……という冗談はさておき」
伊予が因幡に目配せをする。因幡はこくりとうなずき、言葉を引き継いだ。
「やっぱり越後の気持ち、主の気持ち、両方大事なんだぜ。ぶっちゃけ越後は、その……したい、のか?」
「したいッス」
「そ、即答~~~っ!!!」
筑後のリアクションが入る。
「じゃああとは、主の気持ちを確かめるぞな。キスしそうな雰囲気になったってことは、そこから先──たぶん主も満更でもないんだろ?」
「……そう、ですね。二人きりだと、師匠からのスキンシップも多いッス。……少したどたどしいのがまたそそるというか……」
「こいつまたノロケたぞなもし」
「でもそこから先に進めないのは……やっぱりオレが不甲斐ないからッスね……。大事だからこそ、躊躇ってしまって……」
誓いを曲げてでも、声聞士ともっと特別な関係になりたい──越後自身、そういう意志があることにはもう恥じらいはなかった。だが、実際に行動に移せるかはまた別問題である。何度も妄想だけをめぐらせて……一時の快楽が過ぎてしまえば、しばらくは自分の情けなさで何も手につかない。そんな状況には、そろそろまずいと直感していた。
「うぅ、泣けてくるッス……」
「でもさ。そう言えるまでには気持ちの整理がついてるってことだぜ。オレだったら、きっと……もっと迷っちゃうぜ」
因幡は照れながらも言葉を紡ぐ。
「そうだよ。やっぱり、したいことはちゃんと伝えなきゃ」と筑後。
「もう一人でぐるぐる堂々巡りなんかさせないぞな。背中押させろよ~」
そう言って伊予は越後の背中をぽんぽんと叩いた。
「みんな……ありがとうございます。──決めました! 次の休みには必ず……壁を乗り越えてみせるッス!」
「……と息巻いてみたものの。ほんとに、普通に部屋に誘うだけになってしまいました……」
休日の前夜。大多数の地魂男児が広間でのどんちゃん騒ぎに加わる中、越後は自室でひとり、そわそわと声聞士が来るのを待っていた。
「あからさまにはならないように……ああでも、ちゃんと言わなくちゃ……ッスよね」
ひとりごちて、部屋の隅にあるタンスをちらりと見やる。そこには、豊後に揃えておくように言われたものが一式まとめてしまってある。おそらく何かしらは入用になるだろう。
それも──オレが、言葉にできればの話。
「──越後。入るよ?」
襖の向こうからの声聞士の声で、越後ははっとした。
「し、師匠! どうぞ上がってくださいッス」
「おつかれ。お酒と、軽くおつまみも持ってきたよ」
声聞士が携える瓶。アルコール度数は抑えめ、スパークリングで甘口の日本酒だ。
「師匠はこれがお気に入りッスよね」
越後は手際良くグラスを座卓に並べ、酒を注ぐ。
「軽く飲みたくなった時にちょうどいいんだよね。すっきりしてて飲みやすいっていうか……」
これまでも二人で飲むことは何度かあったし、それぞれの部屋でごろごろすることもあった。けれども、その両方をするのは初めてだ。声聞士も、少しだけ落ち着かないような心持ちでいた。言葉を切り、一呼吸。そっと越後に目配せをする。
「……っと。じゃあひとまず、乾杯!」
「はい。乾杯ッス!」
かちり、という小気味よい音を合図に、越後と声聞士の二人きりの時間が始まった。広間の喧騒を遠くに聞きながら、取り留めないことを語り合う。今日の任務のこと。鍛錬のこと。地魂男児やロクハラの仲間のこと──一方が話すことに熱中すれば、一方が深く耳を傾ける。自然と笑みが溢れ、あっという間に酒が進んだ。
「……あ、もう空いちゃったな」
もっと持ってくればよかったと呟き、声聞士が腰を上げようとする。
「……師匠」
そっと呼び止める越後。
「隣……いいッスか」
「ん、いいよ」
なんだかタイミングを失ってしまったような。でもそれはそれで、いいか。
越後が声聞士の隣に座り直す。手をそっと近づけると、声聞士はすぐに気づいて握り返した。お互いに、沈黙がじっとりと熱を帯びるのを感じて──。
「……越後の手、あったかいね」
「っ……はい──お酒、入ってますから」
思わず越後はぎゅっと目をつむった。声聞士が普段言わないようなこと。ほろ酔いだからか、ためらいがない。
しばらくうんうんと唸っていたが、観念しように目を開く。
「師匠。……その。ガラにもないこと、聞いていいッスか」
「……うん。なに?」
「……その、師匠は……。興味、ありますか? あー……その」
ごくり、と唾を飲み込む音。やってしまったと思いながらも、越後は声を振り絞った。
「……キス、とか。その先のこと……」
「あ、あー……」
手を握る力が、少し強くなったように感じる。わずかな逡巡の後で、声聞士はそっと口にした。
「ない……と言ったら、嘘になる……というか」
はっとして、ぶんぶんと首を横に振る。
「いや、ある。うん。断然……」
自分の中で言葉を反芻させるように、ゆっくりと話す声聞士。まるで無理矢理言わせてしまったみたいだ──越後は一瞬焦る。そんな表情の変化を声聞士は見逃さない。
「……言っとくけど、越後のせいでも、お酒のせいでもないからね。ほら、顔に出てる」
越後の眉間に指を当て、しわをほぐすように軽くぐりぐりとなぞった。
「あ、あはは……お見通しッスか」
「まあね。……自分で言ってて、恥ずかしくなってきちゃったな。あんまり表に出さないようにしてたから……」
もじもじとする声聞士。その姿がいじらしくて、越後はたまらなくなった。
「でも。そういう訊き方するってことは。越後も、そう……なのかな?」
「はいッス。オレは不犯を誓っている身──でも師匠だけは、その。特別、だと思ってて……」
越後は顔を真っ赤にし、少しうつむきながら呟いた。数秒遅れて、声聞士はその言葉の意味を悟ると……越後と同じくらい真っ赤になった。
「……うん。おれにとっても、越後は特別。だから……いいよ」
そう言う声聞士がひどく愛おしくて。ためらいとか恥ずかしさみたいなものを通り越して──心の動きと体の動きが一致した。
「──師匠」
越後は声聞士に、そっと口づけをする。
「……!」
声聞士の体が一瞬こわばって、すぐに受け入れたように解ける。しばらく時間の流れが止まったかのような錯覚。
「……しちゃいましたね。はじめてのキス」
「おれ……まだ、ぼーっとしてる……」
──混ざる吐息、心臓の音。
「……師匠。もういっかい、いいッスか……?」
「この甘えん坊め。……いいよ」
そうしてまたキスをして──。
あとはもう──遮るものは、何もなかった。
*
「おっはよーっ越後! 今日も朝練しようぜ──って、あれ?」
明くる日の朝。訓練場に駆け込んだ和泉はきょろきょろと辺りを見回した。いつもは自分と同じか、それよりも早く来ているはずの越後の姿が見あたらない。
「んー、おっかしいなぁ……」
「ふわぁぁ……おはよチヌちゃん。朝から元気ええなぁ〜」
和泉の声で目を覚ましたのか、訓練場の扉の向こうにきぐぱ姿の河内。あくび混じりの声だ。それを見ると、和泉はぱっと目を輝かせて駆け寄ってくる。
「おはようアニキ! ……そうだ、越後見てない? ヘンなんだ、まだ起きてきてないなんて……」
「ん、越後……?」
河内はふと昨晩のことを思い返す。酒の席で大爆笑必至のネタを披露した時、越後の姿はなかったはずだ……それに声聞士の姿も。
(おお、ほんでほんで?)
そして普段なら早起きのはずの越後が、この時間になっても起きてこない──。河内の頭の中で点と点がつながり、天啓にも似た閃きが瞬いた。同時に、兄としての責任感にも駆られる。
(……あかん。これ、チヌちゃんに言うてええやつ? や、むしろ懇切丁寧に説明した方が……)
ころころと表情を変え、明らかに狼狽している河内の姿を和泉は不思議そうに眺めた。そしてふいに、合点がいったように一言。
「あ、そっか。主さんといるのか!」
「チヌちゃん!?!?」
河内が文字通り滝のような汗を流す。
「そっ、そのな! 越後と大将はな──」
「だいじょーぶ。オレ分かってるよ! じゃあしょうがないよなあ……そうだ。ならアニキが朝練付き合ってよ!」
「チヌちゃん……! よ、よしっ。ウチが一肌脱いだるでぇ……!」
越後はいつもの癖で──といっても、さすがに普段よりは遅くだが──早くに目を覚ました。朝のやわらかな光がうっすらと差し込んでいる。ふと隣を見れば、すやすやと寝息を立てる声聞士。
(そっ──そうでしたっ! オレ、きのう師匠と……)
そっと布団から出ると、自分が下穿き一丁であることに気づく。それは言わずもがな声聞士も同じで──改めて自分たちが何をしたのかを実感させた。
(……本番一歩手前。準備とかもありますし、お互い今回はそこまでって決めたッスけど……。それでこのはっする具合って。本番はオレたち、一体どうなっちゃうんスかね……?)
就寝前、次からはホテルを取ろうと声聞士が真剣に言っていたのを思い出した。その拍子に頭に浮かんでくる、最中のあんなことやこんなこと──。
(わ、わーっ!! 朝ごはんもまだなんスよ!! し、鎮まれオレ〜……)
雑念を振り払おうと、越後はいそいそと上着を羽織った。声聞士にも何かかけるものをとタンスを漁っていると。
「ん……越後?」
「師匠! あ……すみません。起こしちゃいましたか?」
「ううん、平気──」
そう言いかけて、声聞士は自分の姿にはっとする。越後と同様、昨晩のことを思い出したのだろう。少し恥ずかしそうにうつむくと、小さな声で呟いた。
「……じゃないかも」
「こっ、これ着てください! オレの普段着ッスけど……」
慌てて越後はTシャツを引っ張りだし、声聞士に渡した。その様子がおかしくて、思わず吹き出してしまう。
「へへ、ありがとう」
二回りほども大きいそれを着ると、声聞士はなんだか越後に包まれているような、不思議な気分になった。ついでに匂いを嗅いでみる。丹波ほど嗅覚に自信はないが、それでも分かる。
「──うん、越後の匂いだ」
「は、恥ずかしいッスね……。じゃあオレもっ、師匠の匂い嗅がせてもらいますよ!」
がばりと声聞士の懐に飛び込み、お返しとばかりにすんすんと匂いを嗅ぐ越後。
「あはは、くすぐったいってば〜」
そうやってひとしきりじゃれあったあと。
「──師匠。今日はどうやって過ごしましょうか」
越後が笑いかけた。
「……まずお風呂かな。その後ご飯にして、洗濯物して。午後になったら、どこか行こうか」
「いいッスね! ──オレ、師匠とならどこだって行ける気がするッス!」
「おれもだよ。でも──今日はもうちょっとだけ、ゆっくりしていかない?」
声聞士がくしゃりと笑う。越後ははっと息を呑み、その手を強く握った。
「──はいッス!」