開封されなかったラブレター 一人で留守番中の魏無羨は、静室の片隅で見つけた手紙を前に考えていた。宛名は無く、差出人も示されていない。だが間違いなく藍忘機の筆だ。上質な紙は古びれていても、しっかりしている。が、なぜか折り線がたくさんついている。紙を折った後に残された山折りと谷折りの痕跡がたくさんある。小さくたたんでいたのか? それにしても不規則な折り線だ。藍忘機の私物を勝手に触るのは間違っていると思いつつも、この線が謎解きを要求するので、挑戦に応じてやったまでだ、ということにする。
手先と計算、図形において卓越している彼は紙についた折り線を頼りに、順々に折りたたんで、あっという間に元の形に戻した。
(うさぎか)
うさぎの紙人形は子供の頃に作った記憶があった。だから紙を折って行く途中から楽しくなって完璧に作れたのだ。その出来に満足していると
「魏嬰!」
藍忘機が慌てて飛んで来た。出かけていたはずなのに、予定外に早い帰宅だ。
「あ、藍湛、もう終わったの? 早かったね」
と場を繕ってみても、現行犯だ。勝手に藍忘機の物を見ていた。これは怒られるな、と覚悟をしても、言い訳はする。
「違うよ、詮索していたわけじゃない。この紙が勝手に俺を呼んだんだ。見てくれよ、折り線が付いてる手紙って変だろ? 気になるのは当然だ。だから――」
そう言う途中で、藍忘機は魏無羨の手からうさぎの紙人形をさっと奪った。
見ないで、とでも言うのか。
悪かったよ、悪かったよ、大切に何年もしまっておいた手紙を、こんな風にしちゃってさ、と魏無羨はありとあらゆる言葉を並べて許しを請うべきかと迷っている。しかし藍忘機は意外にも
「うさぎだったのか……」
と感慨深げに紙人形を見て、次に魏無羨をいきなり抱きしめた。
「藍湛、どうしたんだよ、藍湛」
藍忘機は黙っている。
(このまましばらく……)
抱擁を続ける。わけのわからない魏無羨は置いてきぼりだ。
「藍湛、この手紙誰に宛てたものなの?」
抱かれたまま、耳元で尋ねた。別に知らなくてもいい。でも、今の話の感じだと、うさぎを折ったのは藍忘機本人ではなさそうだ。ということは宛名の人間だ。どんな相手か知っても損じゃない。そいつは俺と同様に手先が器用で、おまえけにうさぎなんか作りやがって、藍湛の気を引こうとしてるみたいで――なんだか焼けた。
(俺としたことが柄にもねえ。落ち着けよ魏無羨)
深呼吸をした。
「君は覚えていないのか?」
藍忘機の鼓動が聞こえた。
俺が? 俺がなんで覚えているんだよ? 俺は関係ないだろ? えっ? 関係してる? てことは江澄か? いや温寧? 待てよ懐桑だったりして? それはないな。どこにも無い記憶を掘り起こしながら目をきょろきょろと動かした。
魏無羨がいつまでも答えないので藍忘機は教えた。
「これは君に書いたものだ」
「俺に? 俺にだって?」
魏無羨は驚いて彼の腕をすり抜け、藍忘機の顔を見た。
「そう。君が前世を終える少し前に」
そんなことあったっけ? 魏無羨には覚えがない。ところどころ記憶が飛んでいることもあるから、これもか、と素直に話を聞き始めた。
藍忘機は、夷陵老祖討伐の気運が強まる中、魏無羨に宛てて短い手紙を書いた。
主文は『応戦を避け、共に落ちのびよう』と誘う内容だった。もちろん『君と共に生きるのは外聞を失うものではない』としっかり書き置いて、雲深不知処での自分の立場を気にかけるだろう魏無羨に配慮し『君の理解者はすぐ側にいる』と知己としての助言もした。しかしながら最後には『むしろ君との暮らしは私の望むところなのだ。いつも一緒にいたい』と知己以上の感情を込めた一文も記した。どうとでもとれそうな、とても曖昧な筆だったが、魏無羨の身を心配して居てもたってもいられずに急いで書き送ったので精一杯だった。
その上、手紙は自分で直接届けるわけにはいかなかった。当時雲深不知処を出て、夷陵老祖に接近することは叶わず、この文は人に託すしかない。いくら信頼している人物であっても、文を奪われて誰かに渡ってしまえばおしまいだ。大したことが記せなかったのは、そういう理由だった。といっても『一緒にいたい』とはしっかり語っていた。
藍忘機が魏無羨に送ったはずのこの手紙を見つけたのは、乱葬崗から温苑を連れて帰る道すがらだ。なぜか子供の懐に入っていたのだ。その時は、すでにうさぎの形ではなかった。半分崩れて、なんだかわからない状態だ。だがよく見ると自分が魏無羨に宛てて書いた手紙だとわかった。
しかもまだ封印されたままだった。
君は読んでいなかったんだ、と知った。
この時点で本来であれば、読んでくれていたら一緒に逃げのびて、別の人生を二人で送っていたかもしれないのに、と悔やんだりして考え込むところだが、藍忘機は却って救われていた。
夷陵老祖討伐当時、藍忘機は魏無羨を守ろうと側にいたが邪険にされ、そのつれない態度から、自分は振られてしまったのかと、絶望感の方が強かった。彼の死の間際までの一連の出来事を思い出す時、自分はいつも怪訝な顔であしらわれていた。
なぜだ?
きっと、あの手紙のせいだ。告白なんかしたから、不快になったのだ。気持ち悪がって、あの手紙で距離をおかれてしまったのではないか、と悩む。迂闊だった、そうか、知己は知己のままで、知己越えしてはならぬのだ、しかも、あんな殺伐とした戦いの前に、場も読まず、なんということを私は! 確かに君を死ぬほど愛している。だが、それを伝えるのは今じゃなかった。ああ、もう取り返しがつかないじゃないか!
手紙を書いた自分を呪っていた。
しかし開封されていなかった。ということは、彼は読んでいないのだ。それはもうほっとする以外ない。私は振られてはいない。良かった。まだ彼氏になれる! 希望が再度湧きあがる。
だからというわけではないが、何年でも前向きに魏無羨の転生を待っていた。今度こそ恋を成就させて道侶になろうと、慎重に機を見計らい、想いは胸に秘めることにした。
そんな因果な手紙が魏無羨のいたずらで、今になってひょっこりと出て来た。
藍忘機はうさぎの形に折られた自分の書いた手紙をしみじみと見る。今日の今日まで謎の折り目がついた文が『うさぎ』だったことに心は破裂しそうだ。
かつての魏無羨はうさぎを偶然折ったのではない。その動物をわざわざ選んだ。藍忘機を大切に思っているからこそ、気持ちをうさぎになぞらえたのだ。誰にもわからないはずの暗号だ。のはずが――
今自分で種明かしをしてしまった。魏無羨は情けなさを募らせるが、一方の藍忘機は感激で胸を躍らせている。
「私のうさぎだ。私のために、乱葬崗からは返事を送れないから、代わりに君はこれを作ってくれたのか」
魏無羨は珍しく照れていた。多分自分の謎を自分で解いていい気になっていた能天気さを恥じていたのだ。だから適当なことを言った。
「違うよ。きっと阿苑をあやそうとして、ほら乱葬崗には物資が無かったから、紙は貴重だったんだ。それで、お前の手紙で人形を作ったんだよ」
そんなことはなかった。魏無羨はもうすっかり当時の記憶を呼び戻していた。
藍忘機からの手紙は心から嬉しかった。でも、開くわけにはいかない。内容はわかっていた。ずっと良き理解者でいてくれた彼が言いそうなことは全部想像出来た。だから開けなかった。
手紙をもらった嬉しさはやがて寂しさに変わる。藍忘機に会いたくなったし、また座学の頃のように一緒にはしゃげたらいいのになって思い始めたら手はいつの間にかうさぎを折っていた。
読んでからうさぎにすることも出来たのに、最後まで手紙は開けなかった。動機は――俺が死んでもお前の日常は変わるわけじゃない……そうであって欲しい。だから、封印したままだった。何もかも捨てていきたかった。それなのに――
こうなったら読みてえ!
「藍湛、その手紙さ、今読んでもいい?」
藍忘機は首を横に振る。
「なんで? 恥ずかしいのか? 後から読み返して恥ずかしくなることなんて最初から書くなよ。何を書いてくれたのか俺には知る権利があるんじゃないのか?」
藍忘機はまた首を振る。
「読まないと、俺からの返事はもらえないぞ。それでもいいのか?」
藍忘機は紙人形のうさぎを見せる。
「もうもらった、君からの返事はこれだ」
藍忘機は当時の魏無羨の心の中に自分の居場所があったことを知って嬉しくなっていた。どれほど特別扱いしてくれたのか、それも、遠い昔から、今に至るまで……
ちゃんと教えてもらったから、今度は藍忘機が魏無羨の返事に返事をする番だった。
「魏嬰、愛してる」
藍忘機は魏無羨を熱く抱擁した。
「藍湛、それだけ?」
まったく、甘え上手な瞳だ。どうする? 口づけだけで済むのか? そうか、君が望むなら……
閨へ連れて行こう。
藍忘機は彼を横抱きに掬って胸におさめる。
「えっ? 藍湛?」
先の長い二人の恋路はまだ始まったばかりだ。
すべてを懐かしむのはずっと、ずっと先の先のこと。
~おしまい~