魔法のおじや今日ほど自分の体を呪ったことは無い。何で今。何でよりによってこの日に。
確かにここ数日気温は不安定だった。でも仕事を多く入れてたわけじゃないし、そもそも仕事柄気をつけていた。
それがどうだ。前日の悪寒に嫌な予感がして早めに寝てみたら、物の見事に体が動かない。頭ではがんがんと鐘が響き、節々は悲鳴をあげる。現実を直視したくなくて数分渋っていたが、諦めて熱を測ると38度超ときた。今日は、今夜は、親愛なるお隣さんの誕生日祝いがあるのに。
間違っても吉田さんに移すわけにはいかない。RINEを開いて断腸の思いで謝罪と欠席の連絡をする。
既読も返信も見るのが怖くて枕元にスマホを放り、のろのろと冷蔵庫の栄養剤を取りに行く。
一枚多くシャツを着て、心許ないビンの蓋を開けて呷り、ベッドに潜り込んで目を閉じた。
寝苦しくて目が覚める。
真っ暗の部屋の中、体を引き摺って水を飲みに行く。ぐらぐらと視界が揺れる。熱くて、寒くて、大怪我して熱出た時ってこんなだったな、なんて考える。
今頃クラさんとお誕生日会をしているだろうか。俺の心配はしなくていいから、年に一度の誕生日は楽しく過ごして欲しい。
消えてなくなりたい。こんなタイミングでこんな有様で。優しいお隣さんたちは気に病むだろう、それが何よりも悔しい。
良くない考えばかりがぐるぐる巡る。だめだ完全に滅入っている。寝なくては。早く治さなくては。
――呼び鈴が鳴る。驚いて肩が跳ねた。
扉の向こうからいとしい人の声がする。
「三木さん大丈夫?既読もつかないし心配だからおじやでも作ろうと思って。開けれる?」
もつれる足を何とか動かして扉を開ける。物が詰まった買い物袋を持った吉田さんが立っている。
「なん、で」
「何でじゃないです。大事なお隣さんが弱ってるのに心配しないわけないでしょう?」
「大丈夫です……誕生日の人にそんなこと……それに、うつっちゃいますから……」
「三木さん、僕にもたまにはこういうことさせて?」
「こういうこと」
「お世話したり、看病したり?てことでお邪魔します」
「あ、吉田さん……」
止められず吉田さんが部屋に入って電気をつける。お誕生日会は?クラさん、ケーキ作るって張り切ってなかったか?よろよろと後ろからついて行くと、「三木さんはベッドに戻って休んでて。台所借りるからね。食欲はある?」と矢継ぎ早に言われ、曖昧に頷くことしか出来ない。手伝えないかと考えて後ろに突っ立っていたら「あ、ポカリ買ってきたから、枕元に持って行ってください」とペットボトルを渡され、すごすごベッドに戻った。
ぶわぶわとした感覚の中、料理をする音が聞こえる。他の人がいる気配。こんなに安心するものなんだな。
意識が遠のいていく。
「……さん、三木さん」
吉田さんの声だ。少しの間眠ってしまったらしい。
「ごめんね、体起こせますか?」
「……はい」
お盆に乗せた小さな土鍋から湯気が立っている。
「食べられますか?」
「はい……あの、吉田さん」
「どうしました?」
ぼうっとする頭で考える。吉田さんに迷惑をかけているんじゃないか。いい年こいて熱出してダウンして。
「本当にごめんなさい。俺のせいで、今日という日を台無しにしてしまいました」
誕生日の人に買い出しまでさせて。情けなさで目頭が熱くなる。
「何言ってるの。誕生日よりこっちのが大事です」
「だって、今年の吉田さんの誕生日は今日だけ……」
「だってもへちまもないよ。誕生日の祝いなんて、いくらでも後回しにしていいですから。というか平日だったら普通に仕事するし」
それより冷めないうちに食べて下さい。そう促されて、頂きます、と手を合わせる。おじやをレンゲですくって口に運ぶ。あたたかい。ゆっくり噛んで飲み込む。たまごとにんじんとねぎと、だいこんも入っているだろうか。喉がひりついた。かなり荒れてる。味覚がばかになっていて味が分からないけど、きっと美味しいに違いない。せっかく吉田さんが作ってくれたのになんて勿体ない。
「クラさんも心配してて――三木さんのところに行ってあげてくださいって言ってもらったんです」
……そうだ、クラさんにも謝らなければ。色々計画して用意もしてたのに、全部無駄にしてしまった。
俺も、吉田さんにプレゼント、買ってあったんです。美味しいご飯作ろうと思って、練習したんです。
あたたかいおじやを全て腹に収めて、ごちそうさまでしたと手を合わせる。お粗末さまでした、と返事が来る。吉田さんはお盆を持ち上げて台所に下げに行く。
……料理は無理でも、プレゼントは渡せる。今日のうちに、吉田さんがここにいるうちに。
「吉田さん、あの、誕生日プレゼント……」
「三木さんストップ」
立ち上がろうとすると、すぐに戻ってきた吉田さんに肩を押されてベッドに戻される。どうして、と見やれば、困ったように眉を下げて、それから子供をあやす様に言う。
「明日も明後日も僕はお隣にいるし、逃げませんから。ちゃんと元気になってからお祝いしてください」
「よしださん……」
「ね?」
そう言って微笑んだ吉田さんは天使か天女か。頼れるお隣さん。優しい年上のお隣さん。こういうところが――。
「すきです……」
吉田さんは変な顔をしている。そんなに妙なことを言っただろうか。
「……うん、元気な時に、もう一回言ってください」
「……すぐ治しますから。待っててください。お祝い、絶対しますから」
「うん、ちゃんと待ってますから。無理せず今日は、薬飲んで休んでください。後片付けもしておきますから心配しないでくださいね」
腹がぽかぽかとする。だるさも痛みも食べる前よりずっとマシだ。渡してくれた風邪薬を水と一緒に流し込んでも冷えないあたたかさ。吉田さんはすごい。魔法でもかかってたんじゃないかあのおじや。
「ほら早く横になってください」
「よしださん、ごめんなさい……」
「ごめんなさいより、ありがとうがいいです」
「……ありがとうございます」
「うん。ほら三木さん目を閉じて。おやすみなさい」
「はい……おやすみなさい」
被った布団の上からぽんぽんと胸を叩かれると、それが合図だったようにとろりと眠気に包まれる。
お礼も、お返しも、お祝いも、たくさんするんです。
このしあわせな気持ちを、何倍にもして返したいんです。
呼吸は深くなり、真っ暗だけど明るい夢に落ちていく。
「……僕だって、三木さんのこと――」
やさしい声がなんと言っていたのかは聞き取れなかった。