麗らかな午後。ホグワーツの廊下では自立した楽器たちが優雅な音楽を奏でている。まるでリズムを合わせるように揺れ動く楽器たちを見つめながら近くに設置された椅子に座り、紅茶を飲んでいたヒヨリの背後から名前を呼ぶ声が聞こえ視線をそちらに向けた。
「やぁヒヨリ、隣いい?」
そう声をかけてきたケイトのどこか楽しそうな様子に嫌な予感を覚えつつ、わざわざ断るのも、と一瞬迷ったもののどうぞ、と向かいの席を手で促した。椅子に腰を下ろした途端ティーポットが自動的に宙へ浮き、新しいカップに紅茶を注ぐとケイトの前へと移動した。それに一度口を付けると、ケイトはさっとあたりに視線をやり、近くに他の生徒がいないことを確認するとヒヨリの方へと身を乗り出した。
「ヒヨリ、君に紹介したい魔法薬があるんだ」
「魔法薬ぅ?」
いかにも、なケイトの様子とそんな彼と同じ寮でその悪行の噂には事欠かない天才クンを思い浮かべ怪訝な表情を浮かべるヒヨリ。そんな彼の前にケイトは懐から小さな瓶をふたつ取り出すとコトリとテーブルへと並べた。
小さな瓶の中にはピンク色の液体が揺れており、すくなくともヒヨリが授業で扱ったことのあるどの薬とも異なっていた。あの男、ギャレスからのものであれば即その場を離れるが、少なくとも目の前の友人は危ない薬の治験を人にやらせるような人物ではないはずだ。
「それで、何この薬」
「……まぁ有体に言えば……感度100倍薬」
「帰る」
「わー!待って!待ってってば!」
立ち上がろうとするヒヨリの手を掴み、無理やり椅子に座らせるケイト。
「僕、怪しい薬には手を出さない主義なんだ」
「大丈夫、安全性はちゃんと確認済みだし、それにヒヨリにも悪い話じゃないと思うんだ」
返してもらえなさそうだと覚悟を決めた様子のヒヨリにケイトが事の経緯を話はじめる。
きっかけはとある学生から依頼された時間倍速薬の開発だった。退屈な授業や嫌な罰則の時間を一瞬で終わらせるために自分の時間間隔を速めるための薬。その薬の開発にギャレスとケイトは夜な夜な使われていないトイレで実験を進めてきた。そしてその副産物としてできたのがこの「感度100倍薬」というわけだった。
「時間倍速薬の材料が思ったより高価なものばかりで……数に限りがあるもののこれで少しは補填しようってわけ」
ケイトが瓶を揺らせば赤い液体が光を反射する。
「……魂胆は理解したけど、それとこれとは」
「そんなに危ないものでもないんだ。効果が出るのはゆっくりだし、ちょーっとだけいつもより感じやすくなって、しかも効果時間は一晩だけ。これでも恋人たちにはいつもと違う恋人の様子を見ることができるって結構人気でさぁ……あの薬の副産物じゃなかったら大量生産も考えてもよかったんだけどね」
やれやれと首を振るケイトにヒヨリは少しだけ考えるようなそぶりを見せた。
「見ての通り、残りはわずか二瓶だけ……ヒヨリも、たまには恋人のいつもと違う姿とか見たいんじゃない?」
ニヤニヤと笑うケイトの言葉にヒヨリはセバスチャンのことを思い浮かべる。別に彼との行為に不満があるわけではない。確かにちょっといじわるなときもあるけど、自分のことを大切にしてくれているのはわかってる。それでもいつもと違うセバスチャンが見たくないのかと言われたら……
「……で、いくらなの」
しぶしぶと言った様子で尋ねるヒヨリにケイトが提示した価格は、その辺の魔法薬とは比べ物にならない価格。どれだけ高価な材料を使ったのだろう。
「さすがに高すぎない?」
「これでも材料費ぎりぎりだよ。それにヒヨリなら払えない価格じゃないと思うけど?」
「うーん」
「あ、ケイトいた!」
ヒヨリの思考をかき消すような元気な声が聞こえ呼ばれた本人であるケイトとともにそちらに視線を向けると、ケイトと同じグリフィンドール寮のジャックが走って近寄ってくる。
「ジャック、どうしたの?」
「ちょっと魔法薬学のレポート手伝ってほしくて……でも二人の邪魔しちゃ悪いからあとででいいよ!」
「僕は構わないよ、こっちの話ももうすぐ終わるから座って待ってたら?」
「いいの?ありがとう!」
にこにこ笑いながら空いていた椅子に腰かけるジャック。
「すぐに終わるってことは商談成立ってこと?」
「まさか!そうだな……これくらいなら考えてもいいよ」
「え?僕にも紅茶いれてくれるの?ありがとう!」
「それはあんまりじゃないか?……これならどうだ」
「だめだめ……じゃあこれなら?」
「おいしい……でも今はちょっと甘いのがいいな……はちみつとかある?」
「うーん……ヒヨリは友達だし……これは?」
「もう一声!」
「この瓶かな?……なんか甘い匂いする!」
「ヒヨリは上手だなぁ……」
「ケイトだってそれをわかったうえで僕に声かけたんでしょ?」
「ゴクン……うん、おいしい!あ、ケイトのカップも空っぽだからいれてあげるね!」
「わかったよ……これ以上は無理だからな!」
「……買った!」
よほど白熱したのか徐々に乗り出していたからだを椅子の背もたれに預け、ヒヨリとケイトは気持ちを落ち着けるように手元のカップから紅茶を一口飲み込むと息を吐いた。そんな二人の様子に状況をよくわかっていないジャックがよかったね、と声をかける。
「まあ悪くない買い物だったよ。それじゃケイトは君に譲るよジャック」
テーブルの上の瓶を手にするとヒヨリはジャックに向かってひらひらと手を振ると軽快な足取りでその場を離れていった。
「えっと、それじゃ魔法薬のレポートだっけ……」
テーブルの上に残ったもう一瓶を懐に戻すために視線を向けたケイトはすぐに異変に気が付いた。先ほどまで瓶の中で揺れていた赤い液体がない。空っぽの瓶に固まるケイトにジャックは屈託のない笑顔で答えた。
「あ、そのシロップ甘くておいしかったでしょ!」
にこにこと笑うジャックの言葉に、口の中に残る甘い香りがすべてを物語っていた。
「ふんふふーん」
鼻歌をこぼしながら廊下を歩くヒヨリは手の中の瓶を顔の高さまで持ち上げる。小さく揺らせば窓から差し込む日光が赤い液体によってちらちらと揺れる。
「ずいぶんといいものを持ってるな」
「うわっ」
突然耳元でささやかれた声に肩が跳ねる。その瞬間、いつのまにか背後にいた存在に手の中の小瓶を奪い取られる。
「げ、セバスチャン」
「げ、とはなんだ。何か僕に言えないことでも?」
先ほどまで思い浮かべていた存在を前に、そして彼にしようとしていたことを思うと気まずくなってもごもごと口を閉じてしまうヒヨリをよそに、セバスチャンは小瓶の中身に興味津々の様子だ。
「へぇ、見たことない薬だな」
「えっと……ただのシロップだよ……その、疲れがとれるぅ……的な?」
えへへ、と小首をかしげ、ごまかすようなヒヨリの言葉にセバスチャンはへぇと気の抜けたような返事を返す。
「ただのシロップ、ねぇ……そういえばさっきギャレスに取引を持ち掛けられたんだ。感度100倍薬だったっけか?僕は断ったんだが、そのギャレスに見せられた薬も確かこれくらいの瓶に入ってて、中は赤い液体が入ってたな……」
セバスチャンのダークブラウンの瞳が細められ、ヒヨリへと向けられる。
「えーーーっと……僕ちょっと用事が……」
怪しくなる雲行きに高価な薬を手放すことは惜しかったが、今は自分の身の安全が第一と即逃げの選択をとったヒヨリの腕をセバスチャンがつかむ。絶対に逃がさないと言わんばかりに腕の力が強くなる。
「話、きかせてもらえるよな?」
「は、はい……」
翌日、例の魔法薬をギャレスと取引するスリザリンの生徒が目撃されたとかされなかったとか。