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    gryclwn_66

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    gryclwn_66

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    国立魔法防御専門学校の創作。
    ケイトとジャックの出会い編。

    国立魔法防御専門学校消灯時間を告げる鐘の音が鳴るまで、もう時間はない。
     僕――ケイトは、ほとんど駆け足に近い速さで寮へと続く廊下を進んでいた。右手に抱えた紙袋からは、くすねてきたパンの香ばしい匂いがふわりと漂う。夕食後に軽く体を動かしただけだというのに、どうしようもなくお腹が減ってしまったのだ。厨房のおばちゃんには悪いが、これも成長期の男子生徒としては致し方ないことだろう。
    「(まずい、間に合わないかも)」
     心の中で焦りの声が漏れる。僕が所属する瑠璃寮は、4寮の中でも特に規律を重んじることで知られている。そして、僕のルームメイトである先輩は、その瑠璃寮の精神を煮詰めて固めたような人物だった。消灯時間に少しでも遅れようものなら、それこそ夜通し説教をされかねない。
     周囲に人がいないことを確認しつつ、さらにペースを上げる。角を曲がり、自室までの最後の直線廊下が見えた、その時だった。
     廊下の真ん中に、人影が倒れているのが目に入った。
     一瞬で背筋が凍る。こんな時間に、こんな場所で? 僕は咄嗟に身を隠し、息を殺してその人影を観察した。学校内に襲撃、あるいは何かの罠か。最悪の事態がいくつも頭をよぎる。
     だが、いくら待っても人影はぴくりとも動かない。意を決した僕は、紙袋の音が鳴らないよう抱えなおすと、足音を忍ばせてゆっくりと近づいていく。
     倒れていたのは、同じ制服を身に着けた男子生徒だった。警戒しながらもさらに距離を詰め、その顔を覗き込む。そこにあったのは、眉間にぐっと深いしわを寄せ、どこか苦しげな表情で眠っている、なんとも間の抜けた寝顔だった。
    「(……寝てるだけか)」
     全身から力が抜けるのと同時に、安堵のため息が漏れた。どうやらただの寝落ちだったらしい。
     彼の制服に目をやると、胸元には防衛支援術式科を示す青いネクタイが締められている。僕が着けている攻性術式科の赤いネクタイとは対照的な色だ。僕と同じ黒髪はさらりとしていて、この学校の生徒にしては、まだどこか幼さが残る顔立ちをしている。
     ひとまず、僕は彼の肩を軽く揺すってみた。
    「ねえ、大丈夫?」
     しかし、彼が目を開ける気配はない。それどころか、何やら苦しげな声でうなり始めた。
    「……あと、10キロ……」
    「え?」
    「腕立て……500……うぅん……」
     どうやら夢の中で過酷なトレーニングでもしているらしい。そのあまりにストイックな寝言に、僕は思わず呆れてしまった。
    「こんなとこで寝てると風邪ひくよ」
     もう一度声をかけてみるが、反応は同じだ。放っておきたいのは山々だが、そうもいかない。瑠璃寮の生徒として、規律を乱す行為を見過ごすのは良くないことだと、入学してから耳にタコができるほど聞かされている。廊下で人が寝ているなど、間違いなく風紀の乱れだ。
     僕はため息をつきながら、彼の制服の襟元に目をやった。そこには、珊瑚をモチーフにした寮のバッジがつけられている。
    「(珊瑚寮の生徒か。……仕方ないなぁ…)」
     僕は彼の腕を自分の肩に回し、その体をなんとか担ぎ上げる。ずしりとした重みが肩にのしかかった。パンの入った紙袋を口にくわえ、僕は彼の寮である珊瑚寮へと、重い足取りで向かい始めた。面倒なことになった、と心の中で悪態をつきながら。鐘の音が、もうすぐそこまで迫っていた。

     珊瑚寮には来たことはないが、僕が所属する瑠璃寮と同じであれば寮の入り口近くに談話室のようなものがあるはずと、近寄ってみるとその談話室から明かりが漏れているのに気が付いた。消灯間際でも誰か人がいたことに安堵しつつ、藁にもすがる思いでその扉を叩いた。
    「すみません、この寮の生徒だと思うんですけど…」
     中から顔を出したのは、いかにも上級生といった落ち着いた雰囲気の生徒だった。僕の肩に担がれた彼を一瞥するなり、その生徒は「ああ、またか」とでも言いたげな、慣れた様子で小さく息を吐いた。
    「すまないな、わざわざありがとう。そこのソファに寝かせておいてくれ。後はこっちでやっておく」
     そのあまりに冷静な反応に、僕は少し拍子抜けしてしまった。廊下で生徒が寝ているというのは、そんなに日常茶飯事なことなのだろうか。疑問は残ったが、ちらりと見えた時計が示す時間をみると、さっさと礼を言って彼を引き渡し、僕は今度こそ自分の寮へと全速力で駆けだした。
     
     自室の扉をそっと開けると、案の定、そこには腕を組み、壁の時計を睨みつける先輩の姿があった。突き刺さるような鋭い視線に、僕は思わず身を縮こませる。時計の針は、無情にも消灯時間をわずかに過ぎていた。
    「遅かったな、ケイト」
    「すみません! ちょっと、その…廊下で人が倒れてて」
     言い訳がましく聞こえないよう、僕は正直にさっきの出来事を話して聞かせた。僕の話を聞き終えると、先輩はふむ、と一つ頷く。
    「…それなら仕方ない。だが、これからは不測の事態が起きることも予測して、もっと余裕を持った行動を心がけるように」
    「は、はい…」
     思ったよりも軽い注意で済みそうだ。僕が安堵のため息をついた、その瞬間だった。背後に隠していたパンの入った紙袋ががさりと音をたてた。先輩の眉がぴくりと動く。
    「(やばい!)」
    「ケイト、その紙袋は――」
    「そ、そういえば!」
     僕は慌てて話題を変えるように、声を上ずらせた。
    「さっきの珊瑚寮の人、僕が廊下で寝てたって言っても、全然驚いてなかったんですよ! なんだか、慣れてるみたいで…」
     我ながら強引な話題転換だったが、幸いにも先輩の興味はそちらに移ってくれたらしい。彼は「ああ」と納得したように頷いた。
    「その生徒、青いネクタイだったんだろう。防衛支援術式科の新入生だな」
    「え、なんでわかるんですか?」
    「あそこはまず新入生に、『最後に信じられるのは己の肉体のみ』だとか、時代錯誤なことを言ってな。毎年、死ぬ寸前まで心身を追い込む過酷なトレーニングを課すんだ。だから、この時期はよく新入生が廊下で行き倒れている」
     なんてことないように言う先輩に、僕は先ほどの彼の寝言を思い出していた。「あと10キロ」「腕立て500」。あれは、ただの夢なんかじゃなかったのだ。
    「(……防衛科じゃなくて、本当によかった)」
     心からそう思った。僕のそんな内心を知ってか知らずか、先輩はふん、と鼻を鳴らす。
    「仕方ない側面はあるとはいえ、生徒が廊下で寝るなど言語道断だ。次に見つけたら、容赦なくたたき起こしてやれ」
     情報探査術式科である先輩は、「これだから脳筋どもは」と、心底呆れたような表情を見せた。その冷たい言葉を聞きながら、僕はあの幼い顔立ちの寝顔を思い出し、ほんの少しだけ、彼に同情していた。

      翌朝、僕が朝食を取るために食堂へ向かうと、そこは既に多くの生徒でごった返していた。湯気の立つスープの匂い、パンの焼ける香ばしい香り、そして生徒たちの賑やかな話し声が混じり合う。僕はトレーに今日のメニューを乗せると、ちょうど窓際に空いていた席を見つけて腰を下ろした。
     今日の午前の授業では、攻性術式の実技訓練があったはずだ。今のうちにしっかり食べておかないとな、と考えながらパンを口に運んでいた、その時だった。
     視界の端で、山のように食事が盛られたトレーを抱え、困ったようにキョロキョロと辺りを見回している、一人の小柄な生徒が目に入った。そのアンバランスな光景に、思わず目が引き寄せられる。よく見れば、それは昨夜、僕が珊瑚寮まで送り届けた、あの防衛科の生徒だった。
     僕が見すぎたせいだろうか。ばっちりと、彼と視線がかち合ってしまった。
     彼は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まったかと思うと、次の瞬間には、ぱあっと花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。そして、その小さな体を揺らしながら、僕の座るテーブルへと、ずんずんと迷いなく近づいてくる。
    「おはよう! ねえ、もしかして君が、昨日僕を運んでくれた攻性術式科の生徒?」
     僕の目の前に立つなり、彼は人懐っこい笑顔を向けた。寝ている時の苦しげな表情とは大違いだ。僕がこくりと頷くと、彼は「やっぱり!」と嬉しそうに声を上げた。
    「ありがとう! 君のおげで、昨日はちゃんと自分のベッドで朝を迎えることができたよ」
     その屈託のないお礼の言葉に、僕は少しだけ引っかかりを覚えた。
    「『昨日は』ってことは…」
    「うん。実はこのところ、どうしても部屋にたどり着けなくて…もっと体力つけないとなぁ」
     その状況に疑問を持つことなく、むしろ当然の課題のようにそう言う彼の様子に、僕は防衛科という場所の恐ろしさを垣間見た気がした。入学式の時に遠目で見た防衛科の先輩たちは、落ち着いていて優しそうな人たちばかりだと思ったのだけど。
     彼は僕の隣の席に腰を下ろすと、目の前の山盛りの食事を、驚くほどの勢いでもりもりと食べ始める。僕も食べる方だとは思うが、彼の食べっぷりは尋常じゃない。その小柄で幼い顔立ちの、一体どこに収まっているのだろうか。
    「朝はしっかり食べないと、お昼までもたないからね!」
     にこやかにそう言う彼の笑顔とは裏腹に、僕の頭には昨夜の先輩の話が蘇っていた。『最後に信じられるのは己の肉体のみ』『死ぬ寸前のトレーニング』。僕の食欲が、わずかに落ちた。
     だけど、こんな風に素直にお礼を言われて、明るく話しかけられると、悪い奴じゃなさそうだな、とも思う。
    「僕はジャック。防衛支援術式科の1年だよ。君は?」
    「僕はケイト。攻性術式科の1年。よろしく、ジャック」
     差し出された手を、僕は握り返した。
     寮も、学科も違う。こんな風に、他の学科の生徒とちゃんと話すのは、入学してから初めてかもしれない。昨日までは面倒ごとの匂いしかしないと思っていたこの出会いが、なんだか少しだけ、わくわくするものに変わっていくのを感じていた。
     
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